フタのない筆を手にとる不便はないかという問いに不便はないが多少の不安はあると答えたなにそれもじきに慣れると微笑むあなたと今はまだ戸惑いにゆれるわたしをフタのない筆は進みてつなげる橋のないところに橋をかけ足らぬ思いを紡ぎてことばに託す不器用な指先に操られる筆のフタなき心許(こころもと)なさに打ち克(か)てと歯を食いしばり開かれた筆で豊穣の大地に自らをさらけ出す黒色の墨は薄墨を経て桜鼠(さくらねずみ) . . . 本文を読む
音の響きに託した「たすけて」は誰にすくいあげられることもなく水に沈んだ救いを求める手のひらは引きずりおろされるから掴むなかれと賢き者の言葉はもてはやされてそのみずうみには人気なく鳴く鳥の音を聴く影もなし純粋なことばは水に沈んだたたえられた感情をうまく表現できずに水はあふれるその発信源に記憶なくどこへ帰るべきかも曖昧模糊(あいまいもこ)として歩みは止まず泳ぎながら産まれたいのちは水恋しやと彷徨(さま . . . 本文を読む
春の雨にあたたかく包まれた春キャベツはしとしとと濡れているみどり色の香りはほのかに苦味をはらみ空から真っ直ぐに降りてきた柔らかな雨は未来の先からずっと見てきた灰色の雲から地平線彼方の青海原まで柔らかなぬくもりにその姿なく雨の冷たさは昔も今も、今も昔も濡れそぼる草木の下で待ち合わせした雨宿りアマガエルは見つけた透明な水をそのなかに残されたかそけき記憶にすべては呼応し雨音の鳴りて歌となる真っ直ぐな心根 . . . 本文を読む
あらたかな火の元であたたかくなったあたらかなともしびは夜空をかけるお月様がひとり淋しくないようにとあたたかないのちは歌声を知りかけがえのないあなたに子守唄は届く眠れない夜にあたたかさなど知らないと云った孤独ないのちに炎は宿る分けて離れた火と火を探しにはるか彼方まで旅立つと決めたまあたらしい朝にいのちはあたるあたらかな光はこの身に宿る . . . 本文を読む
いいたい言葉はなに一つ吐き出せないままうるさい黙れと無言になった色彩も熱ももたない感情はうずくまり丸まった個体は呼吸を続ける吸ったら吐いてを繰り返されてあの日吸い込んだものは何だったのか吐き出された塊は空にまぎれた苦しみも歓びもいっしょくたにされて包みこむ大気にあなたは宿る吸って吐いてを繰り返す意味を誰かに重ね合わせて自問自答した生きることに真摯(しんし)な臆病者はおそろしい明日を厭(いと)うて願 . . . 本文を読む
火の行方知らずのうちに彼方(かなた)は見つけた行方をくらませたはるか此方(こなた)まで届いてほしい宛先のない葉書は風となり言の葉の舞う季節に花は咲く焚き木(たきぎ)は絶え間なくくべられてここが火の元の在処だと誰も認識せぬまま熱のないかがり火は継がれていった燃えて舞ってまたくべられて形の残らぬうちにこめられた熱量は過去へなりとも未来へなりともどこの誰かも定まらぬ思いに日は暮れてそれでも風は吹き花は咲 . . . 本文を読む
あなたの顔は有明に染まりその微笑みは海と重なり見えなくなった実体を伴わない感情を乗せて環状線を走るその日常に重ね合わせることあたわずあなたはあなたから分かれていった海となりて海に触れ人となりて人に触れそれでも見つからない確かな言葉海のことも人のこともまるで分からないまま夜の戸は開けて明らかな朝はやってくる白い日の光にさらされてその影はいよいよ濃くなり夜と重なるおずおずと引っ張られた袖口に夜を隠して . . . 本文を読む
夜に連れていこうとする幼子をなだめてその手を押し退けようとしたしかれども幼子はひくこともなくわたしの袖をくいくいとひっぱり共に夜の海で遊ぼうと誘いをかけるわたしはおりていく夜のふもとまでいまはまだ向かうべきでないと主張する大人は幼子に抗(あらが)う 意識を手放すなかれ夜と真昼のあいだに立ちてこっくりこっくりからだはゆれる時に酔い 苦しく時に酔い 心地よく太陽は雲のうえからすべてを見渡し誰の味方をす . . . 本文を読む
嗚呼(ああ)あと内側から溢れだす言(こと)の音熱をはらんだかたちすら定かでないものにその意味を誰に問えばいいのかも分からないまま水の流れに身を任せれば涙の落つる夜はあますことなく孤独を許容しひとりぼっちのからだから吐き出された音はいつしか言葉となる重ねられていく戯れ言をいくつもの光が呼応し言葉は歌となった言葉をなくした歌うたいの知る音を便りに鳥は飛ぶ忘れ去られた島歌よこの喉を通じて空へ帰れと冷たい . . . 本文を読む
物語として紡がれるのは業腹であると月はぷうとふくらみ空へのぼったそしてそのまま帰ってこない高い木に登って降りられなくなった仔猫のように泣き濡れた月のかわりに雨は降るお日様は愚かな月だと鼻で笑った月は顔を合わせてやるものかと満ち欠けてそれでも満月の夜はかかさずに高所は苦手だとかたく目を瞑(つむ)り月明かり冴えわたる夜は更けていく手を伸ばす祈りを夢にみて月はゆらめき酒にその姿うつす酒の苦味に辟易としな . . . 本文を読む
ひきつけられてひきよせられて助けも手柄もない生涯に踏み出したその足は奈落に落ちた奈落は歓びをたたえ抱えた元の木阿弥(もくあみ)そこに歓びも救いもないとほざいたのは誰だたどり着いたならば証明してみろ自分がいまここにいるということを暗やみに続く濁流にのまれてひきずられながらも意識は手放すな眼光炯炯(けいけい)として奈落を見つめた深淵に交わされた視界の果てにあなたの世界は産声をあげる夜に会いに行く約束を . . . 本文を読む
明日を目指して降りだした雨は
迷い路のすえ昨日に降った
今日はれるはずの雲は霧(きり)となり
有耶無耶な姿かたちかかる空は気まぐれに
時はかからず お天気雨に従いて
晴れた雨のなか舞う躍り子は
昨日に降った雨を明日へとつなぐ
今日を飛び越えて
飛び出した風の子は雲を運んだ
雨の落ちた先にあるのは光か闇か
明日と昨日を濡らした水は反射して
太陽は照らされて月となる
丸い月明かりに雨粒おちて
暗やみ . . . 本文を読む
踊りを忘れた踊り子は手足さえも縛られてもう踊らないからと約束された踊りを忘れた踊り子の踊る姿が見たいわたしに朝焼けはたなびき夢から醒めた歌い方を忘れた人魚の口元は隠されてもう歌うことはないと俯いた歌い方を忘れた人魚の歌声が聴きたい僕の耳には鳥のさえずり夢から醒めて人魚の歌声は届かない不条理に形づくられた積み木の城を片付けなさいとママは言うその叱責に抗(あらが)おうともこの小さな手足は無力のかたまり . . . 本文を読む
ぐにゃりとゆがんだ視界の果てに呼吸を忘れて魚となった道なき道をただ真っ直ぐと進む猛スピードに曲がった道だと云ったのは誰だ誰が云おうとこの道は直(なお)り合い進むべきまま水の流れも付き従いて目を見開いたまま魚は泳ぐいつの日かあの月まで辿り着けるように . . . 本文を読む
言葉を紡ぐことに怯(ひる)むじかんは定期的に訪れるそれは怠け心だったり不安だったり恐怖だったり理由はさまざまに思いつくけれどどれも本当のことからは微妙にずれている些末(さまつ)な感情そこにあるのはただ、書くことに怯む自分ばかりでこどもの頃に覚えた姿勢はいつまでたっても離れないまま優しく撫でてくれる母の掌を求めているそれを手に入れて或いはもう手に入らないのだと諦めてまたわたしはおずおずと顔を上げ細か . . . 本文を読む