風に吹かれて行こう

お米の便りを、写真でもっとわかりやすく!

うだ(歌)ッコ聞ぎながら

2022-05-26 | 日記

 

 機械による田植え。それが終わると、田んぼの隅っこや、不整形の田んぼの一部など、機械で植えられなかった部分を手で植えます。それが済むと、除草剤散布。散布の一日の遅れは、草の発生を多くします。そのため、一日でも早く、です。そしてその後、育苗ハウスのビニール外し。育苗箱の洗浄となります。田植え時に人数が増えると、苗箱の水洗いもいっしょにできたりしますが、人数が少ないとそれは後回しになります。除草剤散布が済んで、とりあえず急かされる仕事はすべて終わりました。「歌ッコ聴きながら、」水洗いです。今日も暑くなって30度くらい。良く乾いて、昨日から続いた洗いの作業も、無事終了となりました。

 

 


今朝やっと

2022-05-26 | 日記

 昨年夏、「水が入る仕組み」というようなタイトルで、ほぼ同じような写真を掲載しました。いや、この写真に限らず、いつも似たようなものばかりです(苦笑)。

 細く浅い用水路ですが、写真右側が上流。板を差し込んで流れをせき止め、田んぼに水を入れます。この写真では、入り口をふさいでいます。昨日の朝、田んぼに除草剤を撒いたので、田んぼの中の水をできるだけ動かさないためです。

 

 800枚弱の稲用育苗箱。役目を終えて水洗い。乾かしているところです。土を入れて水をたっぷりやって種を播き、その上に土をかぶせてできあがり。それをハウス内に並べて苗を作るというわけです。10アール当たり20枚前後。550キロ前後の玄米となります。500キロを下回る地域もあれば、600キロを超える地域もあり、同じ地域でも農力?の差によって、収穫量は違ってきます。

 

 早朝、水の状態を確認に行きました。水の見回りは、とても大事な仕事です。朝夕、もちろん毎日です。当分の間続きます。

 

 

 

 田んぼは通常、縦長の長方形です。手前側に用水路。奥側が排水路となります。用水路と排水路が一本の水路で兼用されている場所もあるかと思いますが、そうなるといろいろ不都合があります。でもずっと以前は、そうした田んぼ(地域)が多かったのだろうと思います。

 稲の栽培にとって、水の確保は最大の重要事項です。重機などなかった時代の水路工事。新しく開墾された場所への水の供給など、大変な人出と資金が必要だったと思います(現在でもそうです)。古い堰(用水路)には、その当時の地主の名前が付いたものが、あちこちにあるようです。地主対小作人…。そうした単純な対立構造というような理解だけでは足りないさまざまな歴史が、あらゆる場所であったことだと思います。

 長方形長辺のあぜ。今朝は、風があったのですが、このあぜを境に、風の当たり具合が違っていました。

 

 あぜの雑草と植わった稲の苗。水際に、お日さまの光が反射しています。

 

 こんな感じです。

 これも、同じ場所ですが、少し明るく写りました。

 続きは今晩。

 「今晩」になりました。続けます。

 和賀屋(我が家)から、直線距離で1キロ?くらいのところに川があり、その土手にはたくさんのアカシアの木が自生しています。あっという間に増え、生長も早いのです。花が満開です。今朝は少し余裕があったので、こちらに足を伸ばしてみました。

 土手のすぐ手前の、農道と田んぼ(「減反」して大豆を作付けする畑になっているようです)。ここに車を停めて、土手に上がってみたのです。

 アカシアのたくさんの花が咲いているのに、この頃あまりにおいを感じないなと思っていました。

 車から降りた瞬間、間髪入れず感じたのは、アカシアのにおいではではなく、除草剤独特の、あまり良い感じのしない匂いでした。農道の路肩部分と田んぼのあぜに撒かれたようで、草が枯れています。たぶん、有名な除草剤。世界各国で使用禁止となり、日本はその逆を行っているので、もう、使われ放題です(苦笑)。その匂いの充満する中、遠慮がちなアカシアの花の匂いが、わずかに感じられたのでした。

 土手の上から、田んぼを撮ってみました。縦の長さが200メートルはありそうです。田んぼのこちら側と向こう側。どうやって意思疎通をするのか(笑)?

 

 土手を背にして戻る途中、立ち止まって土手の方を撮ってみました。田植えの済んだばかりの田面に風景が映っています。

 田起こしの頃(大型連休中)は雨が近かったのですが、それ以降はまとまった雨の日がそんなにないまま、今日に至っています。当地は県内でももっとも気温の高い地域で、昨日今日は30度くらいになりました。その前も暑い日が続いていました。暑い日が続くと、田んぼの土がわいてきて(有機物が分解して)表面が濁ってきます。擦り傷にできるかさぶたのようなものがたくさん浮かんできて、それが日光が(水中部分の)苗に当たるのを妨げ、生育不良もしくは枯死につながります。好天は歓迎すべきものですが、続きすぎると、そんな不都合も。何であれ、バランスというのが大事なんですね。

 

 アカシアの匂いについては、今月の代かきのあたりに書きました。もしかすれば、においの強弱が時期によってあるのかもしれません。

 


いよいよ明日は

2022-05-19 | 日記

 代かきは昨日で終了。最後の一枚が終わった時に、すぐ横のタンポポを撮りました。

 数えきれないくらいの綿毛が、今日はもうなくなっていました。

 起きたら、日の出です。日の出の時刻は、ほんの少しでも出た時なんだそうです。

 

 振り返ると、ハウスの斜め上方に、月が浮かんでいました。でも写らなかったみたいです。田んぼに映ったよその家もいっしょに写したいところですが、それはダメ。

 

 一昨日は立待月、昨日は居待月でした。赤みがかった色で、浮かんでいました。一昨日同様、田んぼに映ってきれいでした。今夜は見られるのか…。今のところ曇り空です。伏待月です。

 

 


「月下独酌」 無言絶句?

2022-05-17 | 日記

 一昨日は旧暦の15日。十五夜の月が良く見えました。昨日もそうでした。そして今夜も見えます。薄い雲があって、少しぼんやりした感じになっています。旧暦の17日、「立待月」です。

 夜の10時を過ぎても、月の位置は低いままです。まだそれほど欠けていないお月さまが、今日代掻きの済んだ田んぼに映っていました。夜の素敵な光景。ひとりで目にするのが、何とももったいない思いですが、こればかりはどうしようもありません。写真に撮れないのが、なお残念です。

 というのも、田んぼが大きな水鏡となるのは、期間限定。稲の苗が植えられれば、完全な鏡ではなくなり、その後は生長する稲が、映るのを邪魔します。月の位置は、田んぼに沿った細い用水路にも重なり、流れる水の上に、ゆらゆらと揺れる姿を映してもいました。

 こんな素敵な光景が、これまで何度あったことでしょう。ここ数日好天なのが、何よりの幸いでした。そしてこの先、今年のような絶好のタイミングがいつ訪れるのかは、わかりません。いや、一年先、数年先の陰暦もわかるのですから、調べることは可能です。ただその時に、お月さまが見えるかどうかは定かではありません。そしてその時、私が正気がどうか、裸ではありません。あはは、韻を踏んでいますよ! せっかくの良い話が、これで台無しです(苦笑)。

 

 代掻きは明日で終わる予定。そして間もなく、田植えとなります。

 家の前(背後)にある田んぼ。月が映ったのは手前側でした。

 いずれの写真も、今朝、少し薄曇りの中で撮りました。

 苗も良く育っています。ハウス内部の中央部と外側。苗の成長具合が違います。日中、側面を開けるため、どうしても冷たい空気の影響を強く受けてしまうのです。少し可哀そうです。中央部の苗はそんなことを知らないことでしょう。ぬくぬくと、上機嫌で育っているかもしれません(苦笑)。「満腹は空腹を知らない」という言葉を初めて目にしたのは、つい先だってのことでした。

 


好ましい

2022-05-16 | 農家 農村

 「ほほぉー、おっきいやづ、じっぱり買ってきたごど」

 なんとなんと、大きいもの(を)たくさん買ってきましたね、というような意の秋田弁です。

 高齢になると、より大きなもの、甘いもの、色のはっきりしたもの(すべてスイーツ?)が好ましくなるのでしょうか?

 田舎だからなのかわかりませんが、どんなに高級なお菓子や料理であっても、大きめの皿に「ほんの少し」、というのは好まれませんよ(笑)。大きいのが良いんです。みんなそうです。

 「みんな」って誰よ。あはは、自分だけですか(苦笑)。「みんな」の魔力にごまかされてはいけませんね。

 

 それにしても、昔話ではどうしておばあさんの方が大きいものを欲しがるんだろう? ジェンダーフリーだぞー。じゃぁ言うけど、温泉の入浴シーンで、じいさんたちだけ映すのも、おかしいじゃないかー。じいさんたちだって、はずかしい場合もあるんだー。かも。