風に吹かれて行こう

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これで農業やれって、誰がやるの?

2021-09-10 | 日記

 今日は珍しく、直截的な物言いです。

 今日、今年のお米の値段が決まりました。秋田県の農協の連合会組織が、農家からお米を買い上げる際の値段です。1俵(玄米60キロ当たり)、10,600円。過去10年間で、下から3番目の価格ということでした。昨年に比べて2,000円の値下がり。その原因は、コロナの影響で外食需要がずいぶん減り、在庫が増えているところに、今年の作柄が平年並みかそれ以上ということで、安くなったのだそうです。

 

 きっと、その通りの状況でしょう。食生活の変化や人口減で、お米の消費量は減少の一途です。それに加えて、長期化しているコロナの影響です。在庫が増えていることは間違いありません。でもだからと言って、こんなに安くては、いったい誰がやるというのか…。それが偽わざる心境です。いったい、稲作りの収益を時給換算したらどれくらいになるのでしょう? 500円? そんなに行くでしょうか(涙)?

 

 農業が大変だ、稲作りが大変だと言いつつも、農家はどうにかこうにかお米を作り続けてきました。でも周囲の状況を見た時、今度こそ、もうやる人がかなり減ってしまうだろうという気がしています。少しぐらい収入が少なくなっても、農業の方が良いのだという価値観や人生観を持つ人も少なくないとは思います。でも、「少しぐらい」の差は、いまでは何倍もの差になったと言っても言い過ぎではありません。勤め先が安定している人ほど、「田んぼなんていらない、オヤジがどうにかしてくれ」というような具合です。いや、それほど安定していない人にとっても、田んぼはお荷物になってしまっているのです。田んぼをやり続けるためには、何種類もの大きな機械が必要で、それらを購入するために、かなりの金額を支払わなければならないからです。まったく、何のためにお米を作っているのか、現実はあまりにきびしくなってしまいました。

 

 けれどもこの価格が元となって、最終的に各地のお店に並ぶときには、きっとそんなには安くなっていないだろうと思います。こうしたことはいつもそうです。農家の手を離れたとたんに、価格形成の原理が働いて、最初の値段が安かろうと高かろうと、流通の各段階での経費は、しっかりと積み重なっていきます。不利益の大部分は、生産者が被ることになるのでした。

 条件の良い(農作業が効率的にやりやすく、収量も安定している)平場地帯でさえ、あっつと思うような事態が起き始めてきました。そんな事例をここに書き連ねてみても、むなしい気持ちになるだけかもしれないし、何かが伝わるとも思えないという気もするのです。この流れが元に戻ることは、残念ながら無いように思えます。

 農家の人たちは、労働に見合った収入を受け取ったことがあるでしょうか? 新米が穫れるようになると、農家から直接お米を買っている人は、「安くなって大変だね」というものの、「お店で売っているような値段を請求して」という人はどれほどいることでしょう。その一方、「お米作りにはたくさんの経費がかかるから、これくらいで買ってもらわないと困る」と口にする農家は、どれほどいるのでしょう。

 

 人それぞれです。人の生き方も、人それぞれです。誰かのしていることを、どうこう言える自分でもありません。でも、農業というものが続いていく要素が、風前の灯火であること。それだけは、知ってもらえたらとありがたいものだなと思います。