礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

末川博、青年時代を語る

2016-11-08 04:50:07 | コラムと名言

◎末川博、青年時代を語る

 末川博の『真実の勝利』(勁草書房、一九四八)を紹介している。本日は、「青年時代を語る」という文章を紹介してみたい。以下が、その全文でる。

 青年時代を語る

 私が始めて京都に出て来たのは、明治四十三年〔一九一〇〕の秋、三高に入学した時のことである。それまで山口県の片田舎の中学校で育つた私にとつて、まづ驚異に感じられたのは、都会で育つた人たちが、いかにも理智的に進んでゐるかのやうに思はれたことである。クラスの仲間の多くは、京都や大阪などの都会で育つた人たちで、あるひは文芸のことを語り、あるひは哲学のことを談じいかにもエラさうに見えた。しかも立ちまはりが上手であつて、私はこれはたうてい太刀打〈タチウチ〉出来ないと思つて、おそれをなしたほどである。ことに、その頃は、人生とは何か、あるひは人生の意義ないし目的はどこにあるかといふやうな論議をなす者が少くなかつたので、私もかういつたことを考へねば一人前の高校生にはなれぬやうに思ひ始めた。
 そしてそんなことを、つきつめて考へて見ようとする若い熱情に燃えれば燃える程、掴み所がない空虚を感じるとともに、懐疑的になり、またニヒリステイクになつてしまつた。そして半年ばかり経つと、私は学問をするといふことが人生にとつて、無意味なものであるといふやうな心境に立ち至り、たうとう先生や学友たちの止めるのもきかないで、退学願を出して郷里の山間の農村に帰つてしまつた。
 そこで父祖の業たる百姓をやる決心をし、田植の手伝ひをしたり、牛の尻を叩いたり、山にきこりに行つたりしながら、宗教的な書物を読み耽つて、どこかに安心立命の境地を見出さうと努めたのである。その間の私の気持は、今これをよく表現し得ないけれども、つきつめて考へれば考へるほど、ますます混迷の度は増して来たのである。
 しかし、やがて人間の生き方考へ方といふものについて、何か掴むことが出来たやうな気もし自分自身としては、如何なる環境においても、自分を偽らずに進む道があるかの如くに考へるやうになつた。
 そして九月からの新しい学年が始まる頃になると、退学願を預けておいた先生から、まだ退学願は学校へださずにある故、もう一度学校へ帰つて勉強したらどうかといふ手紙を貰つた。そこで心境の一変した私は、改めて一年生からやり直すことにして、キユウ〔笈〕を負うて再び京都へ出て来たのである。
 その時は前の年の入学当時とはすつかり気持が変つてゐたし、偉さうに思はれた都会育ちの学友たちが、本たうは何ものをも掴んでゐるのではないといふことも、だんだん判つて来だした。
 当時の私は、目茶苦茶に図書館に行つては、片つぱしから書物を読む一方、京都の自然の美しさが心から気にいつたので、溌剌と元気好く飛びまはることにもなつた。私は今でも、よく学生諸君から、どんな本を読んだら良いかといふ質問を受ける。しかし私は、これに答へて、自分が面白いと思ふものを手当り次第、乱読したら良いのであつて、人にすすめられて読むやうな読書の仕方ではなく、自分で自ら選んで、読むやうにするのが本たうの読書だといつてゐる。それは私の先の体験から得た結論である。.
 このやうにして、私は高等学校を四年かけて、大正三年〔一九一四〕に京都大学の法科に入つたのであるが真実のところ、法律の方は余り熱心には勉強せず、経済の方に興味を引かれてゐたので、成績なども良くなかつた。そのため、研究は続けたいと思つたが、大学に残るといふことは出来さうもなく、官吏になることに決め、大正六年〔一九一七〕七月に卒業と同時に東京に出て、当時の農商務省に採用して貰ふことになつた。ところが、辞令を貰ふ前の日に、京都から電報で、大学院に入つて研究を続けてみる気はないかとの旨をいつて来た。そとで役人は思ひ切つて、またまた京都にまひもどり、京都大学で民法を専攻し、昭和八年〔一九三三〕七月まで務めた次第である。
 かへりみると、人生の意義ないし目的といふやうなことを漠然と考へてゐた時から、もはや四十年近く経つたのであるけれども、そのことが未だに未解決のまゝで今日に至つてゐる。しかし私としては、私の性格に合ふやうに、私の生涯を進み得たことに感謝してゐるのである。そして迷ふ時には迷ひ、途方に暮れる時には途方に暮れるといつたやうな一種の人生観といふやうなものを今も持つてゐるのである。
  ――二三、五、三――

 紹介が遅れたが、末川博(一八九二~一九七七)は日本を代表する民法学者で、山口県玖珂〈クガ〉郡玖珂村に生まれた。地元の岩国中学を卒業。この文章を書いていたときは、満五五歳だったはずである。

*このブログの人気記事 2016・11・8(9位にやや珍しいものが入っています)

 

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