◎死などとっくに超越してます(平沢貞通)
『サンデー毎日』特別号「六十五人の死刑囚」(一九五七年九月)から、杠国義執筆の記事「天国の鍵を捜す男」を紹介している。本日は、その二回目。
相変らず自白を否定
だが感心してばかりもいられない、面会時間には制限がある。
「お体の方は?」
「どうも具合が悪くて――、注射だけでも四本、水薬、粉末などあわせて十数種類使用してます」
「そんなに」
「ええ、肝臓に胃かいよう、吐気どめ、脚気〈カッケ〉――」
まるで四百四病〈シヒャクシビョウ〉、ひとりで背負っている調子だ。
「小菅も長いのですから、体の故障も出てきましょうね」
「足かけ十年、あと四十日で丸九年――」
記憶は実にいい。
「事件に対する気持はいまでも変りませんか」
「警祭はどうして――また裁判官も、ああもメンツにこだわるんでしょうね、私の自白は、あの暑いさかりに監禁されて、せめたてられるので、まるで自己催眠にかかったようなものですよ。あとで調書をみせてもらいましたが、まるでデタラメです。わたしの犯行にきめて都合のいい点ばかり記録してあります。そして、そのまま押し切られてしまったのです。警察のメンツを保つために刑をうけているようなものです」
自白をくつがえした第一審の法廷時代と少しも変っていない。さらに平沢は、
「きょう〔一九五七年七月一三日〕も唐沢〔俊樹〕新法相に手紙を出しました。わたしは当局の世間体のために犠牲になっている。これでは法の厳正はまもられない。私が釈放された暁に、はじめて検察当局も反省し、法の権威を世間に認識させることができよう。つまりわたしはそのための受難者です」
以前にも平沢は、みずからをガリレオの獄死になぞらえて、受難者をもって任じ、中村〔梅吉〕前法相宛てぼう大な上告書を送ったことがある。唐沢新法相にもまず手はじめに手紙を出したのかも知れない。
「死刑確定以来、心境の変化は……」
「とんでもない。わたしが仏教生活に入って三十八年、死などとっくに超越してます」
ほんとに頰の筋肉ひとつ動かさない。相変らずのナゾの微笑をたたえながら、淡々と話す。しかも調子にのって、
「むかし涅槃(ねはん)の意味の梵語NIRVARAがなぜNIRVANAに変化したかについて高島米峰〈ベイホウ〉と論争して私が勝ったことがありますよ。ここにきてからも、法隆寺の壁画をモデルに観音像を描いて纐纈(きくとじ)さん=延命寺の住職で平沢の教戒師〔纐纈澄順〕=に贈りました。いま塩谷博士の実相論と取組んでいます」
とうとうとして、如何に自分が仏典に明るいかを語り出す。まったく死なぞどこ吹く風か。死刑囚は一日でも生きるため、さかんに再審を要求する。だがそのため刑の執行を中止させることはできない。平沢としても、いま巣鴨はふさがっているので、いつ仙台の絞首台に送られるかもわからない。が、そんなことは少しも意にかいさぬようだ。【以下、次回】
文中、「いま巣鴨はふさがっている」とあるのは、「絞首台のある巣鴨刑務所は、いま、戦犯が収容されている」の意味であろう。
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