◎暴対法には「法の下の平等」がない(田原牧委員)
中野清見の『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している途中だが、いったん、話題を変える。
昨二七日の東京新聞六面「視点」欄は、田原牧論説委員兼編集委員の執筆で、テーマ(見出し)は、「暴対法施行30年/社会病理の視点失うな」であった。一部を引いてみる。
暴力団を手足としてきた保守派の党人政治家は官僚派に敗れ、姿を消した。暴力団は資本の「汚れ仕事」を担ってきたが、バブル期にアングラマネーをつかみ、表の株式市場を揺さぶる脅威に化けていた。日本の建設業界への参入を狙う米国の圧力もあった。【中略】
暴対法では、同じ行為であっても暴力団員であれば、違法と断じられる。そこには「法の下の平等」がない。
暴対法を補完する形でつくられた各地の暴力団排除条例は、例外を認めないはずの人権に例外をつくった。条例は暴力団員による住居の賃貸、銀行口座の開設と保持、自動車の任意保険の加入、ホテルの利用など禁じた。生活保護からも排除された。
暴力団員の子どもは給食費を現金で納めざるをえなくなり、家族旅行もできなくなった。これらが「社会の敵」という呪文で正当化された。
「暴対法」とは、「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」(平成3年法律第77号)の略称で、一九九一年五月一五日交付、一九九二年三月一日施行。
田原牧委員は、ここで、言いにくいことをハッキリ述べている。「暴力団を手足としてきた保守派の党人政治家」がいたことを、おそらく今の若者は知らないだろう。関心がある読者は、カプラン/デュプロ共著、松井道男訳『ヤクザ』(第三書館、一九九一)の巻頭写真を、とくと御覧いただきたい。
暴力団員に「法の下の平等」が保証されていないことは、あまり知られていないし、問題にされる機会も少ない。しかしこれは、厳然たる事実である。
私事にわたるが、私は、一九九二年四月二五日に、『無法と悪党の民俗学』(批評社)という資料集を出した。「あとがき」を書いたのは、同年三月七日であった(そこで、世にいう「ミソラ事件」に触れた)。それにしても、あれからもう三十年も経つのか。
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