礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

南北朝は正閏を立てず対等と認むるが穏当なり(喜田貞吉)

2020-03-19 04:11:17 | コラムと名言

◎南北朝は正閏を立てず対等と認むるが穏当なり(喜田貞吉)

『日本及日本人』第五百五十四号(一九一一年三月一五日)「南北正閏論」特集から、菊池謙二郎の「南北朝対等論を駁す」を紹介している。本日は、その五回目。文中、喜田貞吉の文章を引いているところは、《 》で示した。

 喜田氏曰く
《之を教育上の影響より見るに南朝の末路は実に悲惨なりき、若し北朝を偽朝とせば善亡びて悪栄えんといふことなり北朝の御系統たる現在の皇室に対し不満の感を懐くものなしと限るべからす南朝を揚げて北朝を抑ふるは却て教育上有害なる結果を来たすは明かなり南北朝は我国史に於ける変態なるが故に其間に正閏を立てず対等と認むるが穏当なり》
 現在の皇室は北朝の御系統なるが故に北朝を正統とせざるべからすといふは古来より北朝正統論者の唱ふる所にして彼等の本音は実に爰に〈ココニ〉在り。されどこの論の取るに足らざることは頼山陽なども既に言ひ尽くせる所なり。そもそも南北朝分立は五十七年間の史的現象に過ぎず氏の所謂史上の変態なり。両朝合一の際に已に〈スデニ〉南朝北朝の称呼は消滅せしなり、然るに其後に至りても南北朝の系統を云々〈ヌンヌン〉するは何の故ぞや、両朝同一以後の天皇は神武天皇の直系なり、一時の変態なりし南北朝の区別を現在の皇室に就いて尚之を用ひんとするは要するに俗見なり無識なり。喜田氏も賢哲忠良の事績を説ける中に『合一後はもはや両朝の別を問ふべき筋合のものではない』と言へり。両朝方の将士に就いて両朝の別を問ふべからずとせば皇室に就いても勿論両朝の別を言ふべからざるは明かなり。然るに現皇室は北朝の御系統なりと云々するは何の意なるや。又善亡び悪栄えしことゝなり云々と言ふと雖も、悪にして栄えしは武家なり、足利氏なり、北朝の皇室には非らざるなり。北朝の皇室は足利氏よりいたく冷遇を受けさせ給へり、光明院の如きは武家に推戴せられしを深く悔恨して遁世し給ひしにあらずや、帝国の臣民誰か北朝を悪み奉るものあらんや、況んや過ぎ去りし南北朝の分立より現皇室に対し奉りて不満を懐くものをや。氏の言ふ所は全く杞憂なり。氏は南北朝は史上の変態なるが故に正閏の区別を立つべからずと言へども変態なればこそ名分を正うし正閏を分つ必要あるなれ。乱臣賊子起りて始めて変態は生ずるなり。変態の際は常例を以て律すべからすとせば是乱臣賊子に口実を与ふるなり若し夫れ南北朝を対等とするときは却て対等上に至大の悪影響を及ぼすに至らん、其理由は左に述べんとす。【以下、次回】

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