◎西田幾多郎と夜間動物園
日本を代表する哲学者の西田幾多郎〈ニシダ・キタロウ〉は、動物が好きで、動物園にゆくことも好きだったらしい。
アテネ文庫の『わが父西田幾多郎』(弘文堂書房、一九四八)は、西田静子、上田弥生の共著であるが、上田弥生は西田幾多郎の長女、西田静子は三女にあたる。そこには、西田静子の「父」、上田弥生の「あの頃の父」というふたつの文章が収録されている。
ちなみに、西田幾多郎の長女・弥生は、裁判官の上田操に嫁した。上田操については、本年六月一四日の当コラムで紹介したことがある。
本日は、西田静子の「父」から、西田幾多郎と動物園にまつわるエピソードを引用紹介してみよう(二二~二三ページ)。
父は動物園が好きで、よく私を連れて動物園へ出かけることがありました。小さい妹達は足手まとひになるとみえ、外で遊んでいると女中がよく私の好きな緑に藤の花の模様のあるメリンスの着物と赤いチリメンの兵児帯〈ヘコオビ〉を持つてきて御所のかげで着変へさせ、玉突き屋の石橋のところで父を待たせました。こういうときの父はとても上機嫌で、駱駝〈ラクダ〉にお芋をやつたり鶴に鰌〈ドジョウ〉をやつたり、猿やライオンの檻〈オリ〉の前に楽しい半日を過すのでした。帰りは出口の所十銭二十銭の小犬、ライオン、ニハトリ、アヒル等の形をした瀬戸物の玩具をねだりますが父はニコニコと機嫌よく買つて呉れたものでした。
私達の幼い頃は夜間動物園というものがあって、その時は父はよく必ず私達を連れて行つて呉れました。大勢の人混みで小さくて見えない私を、いつまでも抱いて終りまでみせて呉れました。父はカメレオンの姿が大きく写つて虫を取つて食べるところをみて大変面白がつて
「カメレオンが虫を取つて食べるよ」
と注意して呉れたものです。
母が亡くなつて十年ばかり父は動物園へ出かけることもありませんでしたが、孫の幾久彦〈キクヒコ〉がヨチヨチと歩いて動物園を喜ぶ様になりました頃から、また幾久彦や私達を伴つて出かける様になりました。七十を越してからのことです。こんなこともありました。新聞に、駱駝と縞馬〈シマウマ〉に赤ちやんが生れたと出てゐましたので、
「父様〈トウサマ〉も見にゆかない」
と申しますと、無言で皆と一緒になつてついて来ます。けれど実はちやんと私達よりも先に動物園に来てみていたのです。動物園に入ると父はさつさと皆より先に歩いて此処に駱駝がいる、彼処〈アソコ〉に縞馬がいると、案内して呉れるのです。
「父様もうみにいらしたの」
というとニコニコして笑つてばかりなのです。
ここでいう「動物園」とは、一九〇三年(明治三六)に、日本で二番目の動物園として開業した京都市動物園のことであろう。
また、「孫の幾久彦」とは、西田幾多郎の次男で物理学者の西田外彦〈ソトヒコ〉の長男、西田幾久彦氏(日本ゴルフ協会理事)のことである。
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