◎毎日新聞社ではモーニング姿の小泉庶務部長が出迎えた
『サンデー毎日』臨時増刊「書かれざる特種」(一九五七年二月)から、三浦寅吉執筆「反乱軍本拠突入記」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。
陸相襲撃隊に出食わす
自動車はやがて陸相官邸門前へ着いた。栗原〔安秀〕中尉を先頭にして私たちが車を降りたところへ一台のトラックが兵士を満載して驀進〈バクシン〉してきた。
と、それが目の前へぴたりと停って、兵士を引率したらしい青年将校が颯爽として降り立った。
見るより栗原中尉は大声で叫んだ。
「首尾はどうだ。」
「成功だ。高橋の親父をみごとにやって来た。任務は完全に果したぞ。」
「そうか。よくやった、万歳だ。」
二人の声ははずんでいた。
「おい。この自動車はここで待っておれ。」いい残して栗原中尉たちは、足を速めて陸相官邸へはいって行った。
動きの取れなくなった私は、もはや観念して、ここで待機するよりほかはなかったが、高橋の親父というのは蔵相高橋是清子〔子爵〕のことではないかと思うと、事の重大さが今更のように犇々〈ヒシヒシ〉と身に沁みて感ぜられた。
二十分ばかりも経ったであろうか。勢よく出て来た栗原中尉は、振り返って命令した。
「おい。いよいよ朝日と毎日を襲撃する。直ぐにトラックを二台用意しろ。」
「よし。」
直ちに身を飜して走り去ったのは、大尉の肩章をつけた士官であった。
私はすでに秩序の失われていることを知った。
上官に対して命令することは、日本陸軍において厳として有り得ない鉄則である。その秩序が破壞されている以上、新聞社の襲撃も単なる威嚇ではないと考えずにはいられなかった。
「栗原さん。この自動車は置いて行くが、僕はこれから社へ帰って、君たちを出迎えるように報告したいから、一足先へ帰してもらいたい。」
意を決して呼びかけた私に対し、中尉も承知して、直ぐに歩哨を呼んだ。
歩哨は命ぜられたまま、私を赤坂の電車通りまで案内してくれたので、ようやく叛乱軍の中から脱出することができたのだった。
「毎日襲撃」を急報
私は勇躍して本社へ帰ると、直ちに編集部へ飛び込んだ。そこには今日の事件について憂慮する岡崎編集主幹や杉山編集副主幹の顔があった。
その前に立った私は、今朝からの逐一を報告するとともに、襲撃された場合の態勢を、今のうちに整えておかねば、新聞の発行に一大支障を来たすであろうことを力説した。
主幹も事の緊迫していることに驚いて、さっそく編集部一部を蚕糸会館へ、一部を歌舞伎座へ臨時に移動して、万一に備えることに手筈を整え、一方小泉庶務部長は担当者の立場から、モーニングを着用におよんで、叛乱軍が到着の際は玄関へ出迎えることになった。
はたせるかな、叛乱軍の一隊はまず朝日新聞社へ殺到した。不意に驚く幹部の対応に不満をもった兵士たちは、社内に乱入して工場の活字のケースを顛覆して、ついに当日の新聞発行を不能ならしめた。毎日新聞では、モーニング姿の小泉庶務部長の丁重な出迎えを受けて、さしもの反乱軍も蹶起の趣意書を渡したのみで、一歩も社内へはいることなく静粛に立去り、ことなきを得た。
かくて私の懸命の脱出、報告の甲斐があり、社内全体の喜びを受けたのであった。いまから思うと、この結果を招来したのは、一に〈イツニ〉早暁第一報をもたらした松沢氏の功績であり、新聞記者の早耳が、いかに有意義に大勢を左右するかを物語るものとして、二十年を経過した今日、私は今なお、松沢氏に対する感謝の念を新しくしている。
本日、紹介した部分のうち、「陸相襲撃隊に出食わす」という見出しは、原文のママ。ここは、「蔵相襲撃隊に出食わす」、もしくは「陸相官邸で蔵相襲撃隊に出食わす」でなくてはならない。
なお、蔵相を襲撃したあと、陸相官邸までやってきて、トラックでから「颯爽として降り立った」青年将校というのは、たぶん、中島莞爾中尉(陸軍砲工学校在学中)のことであろう。中島中尉は、このあと、朝日新聞の襲撃にも加わっている。
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