礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

作中人物は、ほとんど全部本名を用ゐた(尾崎士郎)

2024-05-18 00:03:20 | コラムと名言

◎作中人物は、ほとんど全部本名を用ゐた(尾崎士郎)

 尾崎士郎『天皇機関説』(文藝春秋新社、1951)から、「凡例」を紹介している。本日は、その五回目(最後)。

 当時において、この問題の発生が後に生ずる民族没落史の出発点になることを予想した人はおそらく、どこにもゐなかつたであらう。美濃部説の攻撃は両院内部において一日ごとに激化してきた。政府の態度は当初、学説を支持する立場をとつてゐたが、つひに大勢に抗することがきなくなつてきた。山本悌二郎氏が犬養〔毅〕内閣の閣僚〔農林大臣〕当時、美濃部博士勅選奏請を行つたといふ責〈セメ〉を負うて位階勲等を拝辞するに及んで、議会内の空気は愈々悪化し、つひに西園寺〔公望〕公が成行〈ナリユキ〉を憂慮して政府に善処を促すといふ段どりになつた。
 第二の段階は軍の態度が俄か〈ニワカ〉に硬化したときからはじまる。この頃になると枢密院においても一木喜徳郎氏の機関説と、平沼騏一郎氏の神権説とが対峙し、その結果が「政教刷新建議案」となつて現はれてくる。新聞報道はほとんど連日機関説の論議で埋まり、機関説排撃が政友会の決議案となつて上程されたのば三月二十五日である。これに呼応して、二十八日、陸軍大臣林銑十郎は軍の総意を体して政府に急速解決を要求するにいたつた。これに推されて政府の方針も次第強化してくる。以上が、この小説のはじまる直前の時代的空気である。
 この小説は、第三段階、すなはち軍がやうやくにして、天皇機関説を撲滅することなしには、憲政常道論に立つ議会政治を打破し、統帥権を掌握することのできないことを感得して、國體明徴を政府に迫らうとする時代を背景として構成される。
 一、作中人物は、ほとんど全部本名を用ゐた。仮名を用ゐたのは小説的虚構の中に出没する人物だけである。本書は「第一部」「第二部」だけを収録してゐるが、「第三部」の脱稿は、時代的環境があまりに近接してゐるがために相当の準備期間が必要とされるであらう。
 一、この作品の執筆について終始一貫、私を補佐し、鞭達し、ほとんどあらゆる材料の入手について献身的な努力を提供されたのは、私の若き友人、岩井金男、猪俣勝人の両君である。私は現在もなほ伊豆の伊東に在住してをり、東京との連絡には尠からぬ不便を感じてゐたが、岩井君の取計らひと心づかひによつて予期以上の成果ををさめることが出来た。
 今日において、ほとんど入手困難な参考書を読過することのできたのは、金森徳次郞氏と馬場義続氏の好意に待つところ甚大なるものがある。小原直氏、戸澤重雄氏からは当峙の司法部内の動静について詳細に聴くことが出来、有益な材料を供給されたことに対してふかく感謝の意を表したい。
     昭和二十六年十月一日    尾 崎 士 郎  〈235~237ページ〉

 猪俣勝人(いのまた・かつひと、1911~1079)は、脚本家、映画監督。岩井金男については未詳だが、多くの映画の「企画」にたずさわった映画関係者である。尾崎士郎原作・佐分利信監督の映画『人生劇場 第二部』(東映、1953)も、岩井の企画だという(インターネット情報)。
 明日は、話題を変える。

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