礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

小野武夫博士の学的出発点(永小作慣行の調査)

2013-06-23 07:36:44 | 日記

◎小野武夫博士の学的出発点(永小作慣行の調査)

 一昨日、小野武夫博士の「学蹟」についての文章を引用したが、本日は、その続きである。
 出典は、小野武夫博士還暦記念論文集『東洋農業経済史研究』(日本評論社、一九四八)の巻末にある「小野武夫博士学蹟・年譜・著書・論文目録」(戸谷敏之・伊豆川浅吉編)。

 大正二年帝国農会に入り、其処で横井時敬、桑田熊蔵、矢作栄蔵三氏の指導の下に、農政問題を研究する機会を与へられ、農業経済資料の蒐集並びに整理を担当すると共に永小作慣行の調査に従事した。殊に永小作問題は曩きに〈サキニ〉民法制度の際に於いて、西欧の法律精神を直輸入するに急にして、日本固有の慣習法を採用することを忘却してゐたことに原因したものであつて、其の頃全国各地より該問題の善後処置に関し陳情請願が相次いで提出される有様であつたが、斯かる雰囲気の裡〈ウチ〉にあつて同君の学的関心は一般農政問題と倶に、特に永小作慣行の調査に寄せられたのであつた。
 其後、大正九年に至り、農商務省に於いては小作問題対策の一つとして永小作慣行の実証的調査を計画したが当時の農政課長石黒忠篤氏は、永小作問題に就いて既に一応の知識を有する小野君を簡抜して、其の調査に当らしむることゝした。同君は、この知遇に感激して、農務局に入り、驚異的なる精力を以て全国各地を踏査し実証的史料に基いて、多数の特別研究を連続的に発表した。例へば、『深野新田永小作』、『吉野川沿岸の永小作問題』、『旧鹿児島藩の門割〈カドワリ〉制度』、『旧佐賀藩の農民土地制度』等々の調査研究は何れもこの期間の所産であつて、恐らくは同君の生涯を通じて最も学問的に力闘した時代であらう。
 これらの諸研究は学界の高く評価する所となり、帝国学土院は研究補助金を三作に亘つて同君に給与し、心おきなく研究に従事せしめた。その結果は『永小作に関する調査』(其二)となり我国の学界に大きな貢献をした。この永小作研究の副産物として起稿した『郷士制度の研究』は、東京帝国大学によつて審査され、大正十四年農学博士の学位を授けられた。以上数年に亘り発表せられた一連の労作は、当時の経済学界にとつても一つの驚異であつた。それには二つの意味があつた。一つは何等の学閥なき同君がこれだけ大きな研究を発表した点にあり、今一つは前人未踏の境地が新たに発掘されたと言ふ事であつた。我国に理論としての歴史学の唱道された事は旧いのであるが真に原資料に基ついて研究されたものは誠に蓼々たるものであつた。その際これらの労作の発表された事は我国の経済史学界のみならず、実証的なる日本経済学の発達に大きな貢献を為したものであつた。
 然しこれらは単に同君の学的出発点であつて、爾来二十年間一日も学的研究を離れず、或は農村深く分け入つて資料を漁り、或は古老に伝聞を聴き、所謂文献以外に歴史資料を求めてゐる。その間の成果は『近世地方経済史料』、『土地経済史考証』、『日本農民史料聚粋』の公刊となり、何れも斯学界の典拠として名声を博してゐる。【本日はここまで】

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