◎農学博士・小野武夫の「年譜」より
昨日の続きである。昨日は、農学者・小野武夫の学歴をまとめた文章を紹介した。
本日は、その文章に対応する「年譜」を紹介してみよう。農学者・小野武夫の学歴が、かなり異色なものであったことは、この年譜によって、いっそう明らかになるであろう。
出典は、小野武夫博士還暦記念論文集『東洋農業経済史研究』(日本評論社、一九四八)の巻末にある「小野武夫博士学蹟・年譜・著書・論文目録」(戸谷敏之・伊豆川浅吉編)である。
二 年譜
明治十六年八月三日 大分県大野郡百枝村大字川辺ニ厳父清五郎氏長男トシテ生ル
同二十四年四月 同県同郡百枝村尋常小学校入学
同二十八年三月 同校卒業
同年四月 大野郡川登村外三十一ケ村組合立高等小学校(在三重町)入学
同三十一年四月 同校三学年修了ヲ以テ大分県農学校農科入学
同三十四年五月 同校同科卒業
同年六月ヨリ同年十一月マデ 自宅ニ於テ専ラ農業ニ従事ス
同年十二月 大分県大分郡鶴崎高等小学校代用教員ヲ命ゼラル
同三十五年四月 願ニ依リ解職
同年五月 大分県北海部郡南部実業補習学校訓導ニ任ゼラル
同三十六年五月 大分県ヨリ無試験検定ニヨリ小学校農業科正教員ノ免許状ヲ授与セラル
同年七月 願ニ依リ解職
同年八月ヨリ十一月マデ 自宅ニ於テ専ラ農業ニ従事ス
同年十二月 熊本第六師団歩兵第十三連隊ニ一年志願兵トシテ入隊'
同三十七年二月 祖母君トミ氏逝去、享年六十七歳
同三十八年二月 出征
同年三月 満洲第三軍配下ニアリテ小隊長トシテ奉天会戦ニ参加ス
同年六月 陸軍歩兵少尉ニ任ゼラル
同年七月 正八位ニ叙セラル
同三十九年一月 召集解除
同年一月 大分県大野郡立農学校助教諭ニ任ゼラル
同年四月 明治三十七八年戦役出征ノ功ニヨリ勲六等ニ叙セラレ単光旭日章ヲ授与セラル
同年六月 願ニ依リ大分県大野郡立農学校助教諭ヲ免ゼラル
同年六月 東京大学農学部農場見習生
同四十年三月 東京大学農学部農場退場
同年七月 国民英学会高等科入学(夜間)
同四十一年一月 祖父君重五郎氏逝去、享年七十六歳
同年五月 農商務省雇ヲ命ゼラル
同年六月 国民英学会高等科卒業
同四十二年六月 国民英学会英文学科卒業
同四十三年六月 国民英学会英文学会話専修科卒業同年同月同会全科卒業
同年八月 佐保貞吉氏次女みゆき氏ト結婚
同年九月 法政大学専門部政治科入学(夜間)
同四十四年十二月 師範学校中学校高等女学校農業科教員検定試験ニ合格シ免許ヲ授ケラル
同四十五年七月 法政大学専門部政治科卒業
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