礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

八月十五日の朝は、ほのぼのと明けた(藤本弘道)

2023-08-15 00:40:43 | コラムと名言

◎八月十五日の朝は、ほのぼのと明けた(藤本弘道)

 藤本弘道『陸軍最後の日』(新人社、1945)から、「大局は動かず」の章を紹介している。本日は、その六回目(最後)。

 その頃、十五日の朝は、ほのぼのと明け、彼等の信頼してゐた阿南〔惟幾〕陸相も自刃して果ててゐたのである。
 彼等の行動は、その以前、阿南陸相が大義名分の殼を破らうかと考へて出来得なかつたことを、その若さの故に決行して最後の枠を逸悅したもので、全陸軍軍人の一つの型を外部に示した例といふことが出来るであらう。
 K中佐は、S少佐等と行動を直接ともにはしなかつたが、やはりその主体となる考へは同様で、その考への結果として、日本の方向を誤まらしめひいては國體護持の最後の線を危くするものは、阿南陸相即ち全陸軍の意思を踏みにぢつた重臣達の罪にあるとして、彼等重臣グループを日本から抹殺することが、陛下に対し奉り最大の忠となるのではないかと、この方面に対して直接行動に出るべく計画をすゝめてゐたが、たまたま東京警備軍の佐々木〔武雄〕大尉等の一歩先んじて失敗した行動を冷静に批判したときに、その直接行動に出ることが如何に愚かなことであるかを悟り、その尖意〈センイ〉を飜へした〈ヒルガエシタ〉のである。
 かくして八月十五日正午、前代未聞の歴史的放送は行れた。
 この玉音を聞いて泣かぬ軍人は一人もなかつた。
 そして次の瞬間、彼等の胸にぐつと迫つて来たのは、敗戦国の軍人としての、言葉にも筆にもつくされぬ、わびしい、なさけない気持であつた。
 昨日まで、帝国陸軍軍人として、こんなみじめな気持で市ケ谷台上に立たうとは誰が考へたであらうか。
 誰しもがおちて行く考への最後は、武人としての自決といふことのみだつた。
 将校の一人々々が言ひ合せたやうに軍刀の手入れをし、拳銃の掃除をはじめ、身辺の整理をしはじめた。軍属まで将校と同じやうな行動をとつてゐた。
 この気持の中で、陸軍航空本部長寺本熊市〈テラモト・クマイチ〉中将は自決して行つたのである。

「大局は動かず」の章は、ここまで。
 藤本弘道『陸軍最後の日』は、「大局は動かず」の章のあとに、「再建運動より自己批判へ」の章が続き、そのあとの「市ケ谷台上の嵐」の章が最終章となっている。「再建運動より自己批判へ」の章は割愛し、明日は、最終章「市ケ谷台上の嵐」を紹介する。

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