◎町田の一農民が記した「大正大震災の日記」
橋本義夫(一九〇二~一九八五)といっても、知らない人も多いかもしれないが、東京府南多摩郡川口村(現在・八王子市川口町)の出身の郷土史家・市民運動家で、「ふだん記運動」を主唱した人物でもある。
いま机上に、『ふだんぎ町田』第一号(ふだん記町田グループ、一九八〇)という冊子がある。奥付を見ると、「ふだん記町田グループ」の連絡先とともに、「本部 ふだんぎ全国グループ」の連絡先も載っている。後者は、八王子市暁町の橋本義夫方となっている。
さて、この冊子には、何人もの方が文章を寄せられているが、なかに、関東大震災(大正大震災)を経験された方が、当時、書きとめていた日記が載っている。非常に興味深い文章なので、そのまま紹介させていただきたい。筆者は、町田の若林登さん。筆者のプロフィールなどは不明だが、大震災の日の午前中、桑摘みをしていたとあるので、養蚕農家の方であろう。
大正大震災の日記 町田・下小山町 若林 登
九月一日 雨後曇
午前桑摘みをする 朝豪雨後止む 午前十一時五十八分昼食了りし〈オワリシ〉ころ俄然大震襲来数十回のゆりかへし断続的に大震動来る すべての人戦々匈として戸外に出ずるもの立木にぢ上るもの街道を走り右往左往するもの一修羅場となる 余震夜に入りても止まず 然し震動は稍〈ヤヤ〉下火となる 何れの家も葭簀張〈ヨシズバリ〉の小屋を作り又天幕を張り恐ろしき一夜を過す 東京方面八王子渕之辺〈フチノベ〉の親戚在京の晃(弟)の消息如何 夜に入り東京方面の大焔天に沖して〈チュウシテ〉〔天までまっすぐ上がって〕物凄く横浜焼くる大火災らしく紅に空染まる
九月二日 晴時々曇
午前中恐ろしき予感をおぼえつゝ桑つみに出かける 薄井消防団長来家区内家屋の損害などの調査のため同行を依頼されを巡回 全壊家屋は無けれど全戸損傷甚しく半壊十九戸を数ふ 昨日より今夕まで三百五十六回の震動あり 今日正午頃強震あり震幅二寸六分倒壊せる家もあり忠生〈タダオ〉村内圧死者五名ありと聞く 猶昨日の震幅四寸乃至六寸の大きさという 午後近くの畑で妻と桑つみの最中自転車で友人薄井亀之助が大声で「桑つみなどする処でない 町田町では○○人が街中〈マチジュウ〉の商家の襲ひ強盗強姦掠奪をやっているこちらへも来るやも知れず」と大声で叫び去った 昨日の強震におびへた人たちは又この報に驚き山にのがるゝもの大きい家の二階にかくれたり殊に老人子供婦女子は一処に集合したが後になって判った所では虚報でラヂオも無い時代のデマであったがその時は生きた心地は無かった 消防団青年在郷軍人合同で警戒に当る 東京方面今日も大焔天に映じて赤し 横浜方面も同じ
九月三日 晴
宮城一部焼失の報あり 霞ケ関離宮青山御所は無事高輪御所東伏見邸焼失の報 東京横浜殆ど焦土の化す 新聞はまだ発行不能電信電話不通 震源地は房州鋸山〈ノコギリヤマ〉と云ひ伊豆大島と熱海の間というのが正しいかも知れず東京は昨日より戒厳令布かる〈シカル〉 八王子中野間汽車開通す然し一日二回若しくは三回という
九月五日 晴
境村小山の河合伊三郎氏上京昨夕帰宅せしと聞き東京方面親戚の安否を聞きに夜八時すぎ単身同氏宅を訪問せんとす これを聞きたる日露戦争の勇士の小川さんが私の護衛として同行して下さる小山の河合さんの家まで十数ケ所の消防詰所〈ツメショ〉に自警団の竹槍がサッと私達の前に突き出されたのには驚く 河合さんより赤坂の渡辺邸大森の篠原邸麻布の栗原家大井の若林家いづれも安泰と聞き安心して帰宅す
九月六日 晴
早朝六時家を出で八王子駅に向ふ(横浜線不通の為八王子まで徒歩にて行き上京する為である)八王子に着きいざ切符を求めんとしたる所三日分の食糧を持参しない者は八王子警察の許可無しとのことに家から持参した弁当の外に駅近くでパンを求め警察許可証(上京)を手に九時汽車に乗る 豊田日野より武蔵境までは地震が比較的損害が少なく見へたが中野に入ると電信隊の屋根瓦が散乱しているのが目につく 新宿に十二時近く到着新宿から四谷に向ふ 糧食を運ぶ自動車野菜を運ぶ小型車避難民を満載した車オートバイ僅かの食糧を後〈ウシロ〉に積む自転車など戦場にも似た光景である やがて赤坂新坂町の渡辺邸に着く こゝで安否をきずかっていた弟もこゝに避難していて笑顔を見せた 午后四時ごろ赤坂を出で弟の勤務先の民友社方面に行く 途中焼け落ちた家屋樹木も焼けただれていたり焼死体があって悪臭の中から京橋へ行く 民友社も焼け姉妹社の国民新聞社も全滅していた 帰り道夜番の竹槍が身もすくむようであった 赤坂渡辺家に戻り十二時より午前三時まで夜警す 下町方面まだ余じんが燃へて赤く見へた
九月四日の記述は、載っていなかった。記述中に、誤記または誤植と思われるところもあるが、そのままにしてある。
震災のあと、横浜線(八王子駅―東神奈川駅)は不通となったが、中央線は動いていたとか、八王子警察署が上京の「許可証」を発行していたとかの事実がわかって興味深い。もちろん、「○○人」(朝鮮人)襲撃についてのデマや、「自警団の竹槍」についての記述もリアルである。
今日の名言 2013・1・14
◎東京方面今日も大焔天に映じて赤し
関東大震災を経験した若林登さんが、1923年(大正12)9月2日に書いた日記の一部。上記コラム参照。この後、関東地方が、また同じような大地震に襲われると、前の大地震は、「大正関東大震災」と呼ばれ、新しいほうは「平成関東大震災」と呼ばれることになるのだろうか。
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