礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「唯物論全書再刊の辞」(1946年2月)

2020-11-19 01:58:10 | コラムと名言

◎「唯物論全書再刊の辞」(1946年2月)

 先日、書棚を整理していたところ、古在由重(こざい・よししげ)著の『現代哲学』(三笠書房、一九四六年五月)という本が出てきた。扉には、「唯物論全書10」とある。
 記憶は定かでないが、半世紀以上前に、神保町の篠村書店で買い求めたものらしい。篠村書店の古い包装紙がブックカバーになっていたので、たぶん、そうだったのだと思う。この包装紙は、まだ郵便番号制度が導入されていないころのものらしく、住所に郵便番号が付いていない。電話番号の表示も古く、261-XXXX、265-XXXXとなっている。
 この一九四六年版は、戦中の一九三七年(昭和一二)に、「唯物論全書」の一冊として出され『現代哲学』の再刊である。ただし、奥付には、「昭和二十一年五月三十日発行」とあるだけで、この奥付を見ただけでは、「再刊」であることはわからない。
 この本が、「再刊」であることは、巻頭に置かれている「新版への序」、そして、巻末に置かれている「唯物論全書再刊の辞」を読むことで、初めて明らかになる。
 本日は、この「唯物論全書再刊の辞」を紹介してみたい。

   唯物論全書再刊の辞

 願みれば既に十年の昔、支那事変勃発の直前、吾々は当時に於ける学問研究の逼迫、思想の歪曲、道義の頽廃を以て、全面的な軍閥及びそれに追随する官僚の不合理極まるファッショ的弾圧に依るものとし、この弾圧がやがては吾々人民大衆を塗炭の苦しみに陥らしめる戦争の為の準備なることを想ひ、哲学、科学の領野に於てこの深く憂ふべき大勢に抗せんことを企図した。言語に絶する不合理な政治的弾圧に対し、吾々の立場に於て闘ふ途は撤底的な合理主義以外になく、そして哲学に於て合理主義を貫き、政治・法律・経済・歴史に科学性を与へるものは唯物論を措いて他にないことを主張し、尠くもその研究の必要なる所以を説いた。吾々が当時、唯物論研究会を創設したのもその為であり、その「唯研」が戸坂潤君を責任者として、『唯物論全書』及び『三笠全書』を編輯、出版した微意もそこにあつた。『全書』は前後を通じて五十余冊を刊行し得たが、不幸、弾圧に遭ひ、一時絶版の余儀なきに立到つた。
 昨年の終戦によつて日本歴史は大きく転回した。人々は何が敗戦の原因であつたかを始めて反省した。その結果を約めて云へば、政治及び文化の全領域に瓦る科学性、合理性の欠如である。アメリカ進駐軍司令部はわが天皇制にまつはる神性を剥奪したが、これによつて日本歴史は始めてその神話性を払拭し、純粋に科学的な取扱を受ける自由を獲得したのである。吾々が十余年前に微力を尽した方向に誤りなかつたことが今こそ証明されたのである。
 茲に多年絶版の侭にて置かれた『唯物論全書』中、さしあたり二十余冊を再刊する。再刊とはいへ、昔の侭の内容ではない 。各冊の著者は今次の再刊に当り、その後の研究、体験に基づき、全面的に、真に良心的な改訂を敢てしてゐる。この再刊版が読者大衆から、唯物論の象徴であるフェニックスの、自らを焼いた灰燼の中から立上る姿とも見て頂けるならば幸ひである。

    一九四六年二月     岡  邦雄
                古在 由重
                竹内道之助

 格調高い文章である。署名は、三名の連名になっているが、実際に執筆したのは、古在由重だったのではないか、という気がする。ただし、深い根拠があるわけではない。

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