礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『国語学史』は『国語学原論』以上の名著かも知れない

2020-11-15 03:30:06 | コラムと名言

◎『国語学史』は『国語学原論』以上の名著かも知れない

 根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第二十二 時枝誠記博士の国語学」を紹介している。本日は、その五回目。

 それでは時枝博士はこのように現象学をおさめようとする前には、どのような哲学に興味を抱き、どのような哲学書を読まれていたのであろうか。その辺のことはよくわからないが、博士がもっとも早くひもとかれた哲学書は田辺元〈ハジメ〉博士の『科学概論』(大正七年)ではないかと考える。それは卒業論文の執筆時期であって、時枝博士が大正十三年〔一九二四〕十二月、東京大学文学部に提出された卒業論文「日本ニ於ル言語観念ノ発達及言語研究ノ目的ト其ノ方法(明治以前)」の第一章総論第四節言語学ノ対象の条を見ると、この田辺博士の『科学概論』のことが出て来るのである。おそらく博士は若い頃から哲学に興味を持ち教養としてこのような書を読んでいかれたのであろうと思う。
 論が少し横道にそれたが、高木〔市之助〕博士の「時枝さんの思出」によって、時枝博士が当初、フッセルの現象学を本格的に研究して、その現象学的方法によって国語を解明しようとされたことが確かになった。このように現象学が三十代の時枝博士を惹きつけたのはおそらくわが国の第一期の現象学の受容が単に現象学の紹介にとどまらず、たとえば九鬼周造博士の『「いき」の構造』(昭和五年)、高橋里美博士の『時間論』(岩波講座哲学、昭和八年九月)、和辻哲郎博士の『風土――人間学的考察――』(昭和十年)など広い意味での現象学的研究を生んでいた、そうした時代の影響もあったのであろう。が、それが時枝博士自身昭和十年〔一九三五〕過ぎに京都大学詣でもかなわず大きく蹉跌したことが明らかになったのである。
 それでは自分の国語研究のために一途に現象学を勉強しようとして蹉跌した時枝博士はその後どうしたか。そこでつまずいた時枝博士はおのが学問の態勢を立てなおすべく現象学にかえてわが国中近世の国語研究の中に培われた言語理論の研究にそれを求め(4)、その言語理論をそのまま自己の学説に生かすように努める。具体的にいうと処女作『国語学史』(岩波嫌座日本文学、昭和七年八月)を急遽書き改めて、単行本『国語学史』として新たに刊行し、これを続いて公刊する『国語学原論』の序説として据えるのである。このように考えると講座本『国語学史』が書かれてわずか八年後に突如として単行本『国語学史』が成った理由がよくわかるし、またこのように考えないと『国語学史』と『国語学原論』とがひとつながりにならないのである。後年時枝博士は単行本『国語学史』が『国語学原論』の序説としての位置を占めるものであることをよくいわれるが、まこと単行本『国語学史』は堂々たる序説であって、もしかすると『国語学原論』以上の名著かも知れない。ついでながら、この単行本『国語学史』は昭和十九年〔一九四四〕に芳賀矢一博士の学徳を偲ぶために設けられた〈芳賀先生を偲ぶ会〉より近年の顕著なる学問的業級として第一回芳賀賞が贈られている。【以下、次回】

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