礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

加藤弘之、國體を論じ「神祖ハ支那ヨリ流レ来ル」と云う

2018-05-11 05:53:48 | コラムと名言

◎加藤弘之、國體を論じ「神祖ハ支那ヨリ流レ来ル」と云う

 昨日は、高瀬松吉編の『明治英名伝』(績文社、一九八三)から、「福沢諭吉伝」の全文を紹介した。本日は、そのすぐあとにある、「加藤弘之伝」の全文を紹介してみたい。
 原文には句読点がないが、読みやすさを考え、適宜、これを施した。句点(。)および読点(、)を、今日でいうナカグロ(・)のように用いている部分があるが、これは、そのままの形で残しておいた。原文は濁点を用いているが、徹底していないので、適宜、これを補充した。【 】内は原ルビ、〈 〉内は、引用者による読み、〔 〕内は、引用者による語注である。

    ○ 加 藤 弘 之 君 伝
君〔加藤弘之君〕亦、殆ド才子伝ニ足ヲ踏込ントス。請フ、其伝ヲ叙セン。君ハ、但馬出石〈たじま・いずし〉ノ藩主、仙石讃岐守久利〈ひさとし〉朝臣ノ藩士ナリ。初メ弘蔵ト称ス。学、和漢ニ通ジ、蘭、孛〔プロシャ〕ノ学ヲ兼ヌ。後チ、英、仏ヲモ修ム。君ノ藩士タリシニ方テ〈あたって〉、其名、最モ高ク、神田孝平〈かんだ・たかひら〉。箕作秋坪〈みつくり・しゅうへい〉。中村敬介〔敬宇〕等ノ諸氏ト并ビ〈ならび〉称セラル。幕府ノ時ニ、開成所教授タリ。維新ノ後、宮内省四等出仕ニ補セラレテ、侍講ノ任ニ在リ。時ニ、副島種臣〈そえじま・たねおみ〉。後藤象二郎〈ごとう・しょうじろう〉。板垣退介〈いたがき・たいすけ〉等ノ諸氏、内閣ノ更迭ニ逢ヒ、其志ヲ達スルヲ得ズ。俄ニ〈にわかに〉民撰議院ヲ設立ス可キ〈スべき〉ノ建白ヲ捧グ。某参議、密ニ〈ひそかに〉君ヲ私邸ニ招テ之ニ謂テ曰ク、副島。後藤等ノ建言、寔ニ〈まことに〉其理アラン。然レドモ、今日ニシテ之ヲ実施スルコト、素ヨリ難シ〈カタシ〉、若シ〈もし〉民間ノ論者、之ニ応ズル者アリテ、一時ニ輿論ノ勢力ヲ得ルニ至ラバ、太ダ〈はなはだ〉不可ナリ、足下、宜ク〈よろしく〉此ノ建白ヲ駁撃ス可シト。君、便チ〈すなわち〉答テ曰ク、紫ノ朱〈あけ〉ヲ奪ハントスルハ難シト雖モ、此等ハ高尚ナル政理的ノ争論ニ属スレバ、其ノ是非得失、一朝ノ議ヲ以テ定メ難カル〈さだめがたかる〉可シ。某〈それがし〉先ヅ反対論ヲ以テ、民撰議院、尚早シノ議ヲ主張セントス。貴顕、大ニ悦ブ。君、直ニ〈ただちに〉尚早論ヲ唱フ。此〈ここ〉ニ於テ、甲ハ既ニ可ナリト説キ、乙ハ尚早シト駁シ、其ノ論、一時天下ニ嘖々〈さくさく〉シ、是ヨリ以来、政論社会ニ、急進、漸進ノ両旗ヲ見ルニ及ベリ。君、学、博ク、才、敏ナリ。専ラ心ヲ著述ニ任ネ〈ゆだね〉、立憲政体起立史、真政大意等ノ著訳アリ。皆ナ西洋諸大家ノ説ヲ引キ、引証、最モ勉ム。而シテ、立論、倫理学上ニ基キテ頗ル〈すこぶる〉高尚ナリ。世人、皆ナ以為ク〈おもえらく〉、君ハ民撰議院ヲ尚早シトナスノ漸進論者ナリ。然ルニ、其著書ニ至テハ、急進ノ最モ急ナルモノナリ。君、吾ガ國体ヲ論ジテ、神祖ハ支那ヨリ流レ来ル〈きたる〉ト云ヘリ、豈〈あに〉異ナラズヤト、喋々之ヲ譴ム〈せむ〉。後、議官海江田某〔海江田信義〕ナル者アリ、君ガ著書ノ國体ニ害アルヲ痛論シテ、政府ニ訴フ。君、以為ク、力テ〈つとめて〉田クルハ年ニ逢フニ若カズ、善仕フルハ遇合ニ若ズ、死後功名、生前一杯ノ酒ニ及バズト。俄ニ〈にわかに〉真政大意等ノ著書ハ、全ク誤謬ノ見解ヨリ出タリトテ絶版ヲ公布シタリキ。世人皆ナ、君ノ心事ヲ怪ンデ、測ル可ラズトスルニ至レリ。君、明治十五年〔一八八二〕ニ至リ、人権新説ヲ著シ優勝劣敗、強制弱服ヲ以テ動ス可カラザルノ真理トシ、人権天賦ナラザルヲ弁論シタリ。此ノ主義ハ英国ニ於テ、賓誰吾【ヘンザム】氏ノ曽テ〈かつて〉唱ヘタル議論ヲ写シ来テ、新論トナシタルニ過ギザルモ、朝野〈ちょうや〉之ガ為ニ甲乙相〈あい〉論難シ、一時ハ新聞雑誌ニ至ル迄、駁撃ヲ試ムル者、屋上屋ヲ架ス。君、之ガ為メ、其新著書ノ売上高、万ヲ以テ数フルニ及ベリトゾ。其収利、亦想フ可キ也。君、今ハ東京大学総理トシテ、教育社会ノ都督タリ、亦タ明治学舎ノ一人ナリ。

 これは、加藤弘之という哲学者を、リアルタイムで論評したもので、非常に貴重な史料だと思う。若干、注釈しておきたい箇所があるが、これは次回。

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