礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

まさか宣告はしても、殺しはすまじ(徳冨蘆花)

2015-12-26 06:20:36 | コラムと名言

◎まさか宣告はしても、殺しはすまじ(徳冨蘆花)

 先日、文芸評論家・野田宇太郎(一九〇九~一九八四)の論文「蘆花と幸徳事件」(一九五七)を読んだ。この論文は、野田宇太郎の文業の中でも、かなり重要な位置を占めるものではないだろうか。
 この論文において、野田は、「幸徳事件に抽象的な文学作品の上だけでなしに、実際に行動しえたのは、やはり蘆花一人であった」と指摘している。これは見逃せない指摘だが、それ以上に重要なのは、ここで野田が、みずから発掘した「新資料」を披露した上で、そのことを指摘しているという事実である。
 まず、論文の冒頭部分を紹介してみよう。

蘆 花 と 幸 徳 事 件
 (新資料をめぐって)    野 田 宇 太 郎
 はじめに別掲の資料について述べよう。
 所謂大逆事件と称された幸徳事件が発覚したのは明治四十三年〔一九一〇〕五月で、裁判は同年十二月十日から始まり二十九日に終結し、この事件に関係ある社会主義者として二十六名が起訴され、うち二名が有期刑となった他は、幸徳秋水〈コウトク・シュウスイ〉以下二十四名が死刑の判決をうけた。そして明治四十四年〔一九一一〕一月二十日付を以て死刑判決のうち半数の十二名が天皇大赦の美名のもとに死一等を減ぜられ無期刑となった。
〔資料一〕この徳冨蘆花〈トクトミ・ロカ〉の書簡は十二名が無期刑となったのはよろこばしいが、あとの十二名も何とか死刑をのがれさせたいと言ふ希ひ〈ネガイ〉から筆をとったもので、社会主義を徴底的に撲滅しようとする当時の桂〔太郎〕内閣だから、大赦が発表された以上、死刑も間もなく執行されるに違いないと言ふ推断から、蘆花は数日思ひ悩んだ末にともかくも最後の手段として天皇に直接訴へる他はないと考えて〔資料二〕の「天皇陛下に願ひ奉る」を書き、それを発表する手段として東京朝日新聞に掲載することにした。特に朝日新聞としたのは、同紙主筆に池辺三山(吉太郎)がゐたからで、蘆花は三山と同郷(熊本)であったとは言へ、未だ一面識もなかったが、かねてから間接的に三山の人格に信頼するものがあって、〔資料二〕の重要原稿を同封した池辺三山宛の〔資料一〕の書簡となったものである。
 この時代には蘆花は日記をのこしてゐない。その代りに未発表ながら夫人愛子の日記がのこってゐて(蘆花公園保管)、蘆花の動きを割合に徴妙にとらへてゐる。いよいよ幸徳事件の判決がせまってゐた明治四十四年一月十三日(金曜日)をひらくと「無政府主義者の判決言渡しも近づきぬ。如何になるべきか。どふも死刑になりさうだが陛下より大赦あらばいいがなあ、とは吾夫の情! そもいかになりゆくべきぞ。主魁をめざされし人は、助かりさうにもなし。」とあり、また同月十九日には「昼過〈ヒルスギ〉新聞来る。書斎より吾夫、オヽイとよびたまふに、何事ぞといそぎゆかんとすれば、つゞけて二四人殺すさうだ! 書斎によれば、いつもいつも此事につき語り気をもみしが、何事ぞ二四人の死刑宣告!! まさか宣告はしても、殺しはすまじ。(中略)無政府主義につき吾夫と論評す。どふも同主義者の人格に心ひかる点を我等は知らず。為めに全然同情も出来ざれど、政府も悧巧なれば殺しはせじ、否、殺させ度〈タク〉なし、と吾夫のたまふ。」と記されてゐる。【以下、次回】

 野田が発掘したという資料のうち、最も重要なのは〔資料〕の「天皇陛下に願ひ奉る」という文章であろう。これは、すでにいろいろな形で紹介されているが、野田の論文では、その影印と活字に直したものとが、併せて紹介されている。本日は、これを、原文(毛筆、便箋二葉)の態様に近い形で(改行を再現する形で)、紹介してみることにする。


資料二、資料一書簡に同封されたる原稿〕
 天皇陛下に願ひ奉る 
     徳冨健次郎
乍畏奉申上候
今度幸徳伝次郎等二十四名の者共不届千
万なる事仕出し御思召の程も奉恐入候然
るを天恩如海十二名の者共に死減一等の
恩命を垂れさせられ誠に無勿体儀に奉存
候御恩に狃れ甘へ申す様に候得共此上の御
願には何卒元凶と目せらるゝ幸徳等十二名
の者共をも御垂憐あらせられ他の十二名同様に御恩
典の御沙汰被為下度伏して奉希上候彼
等も亦陛下の赤子元来火を放ち人を殺すたゞ
の賊徒には無之平素世の為人の為にと心が
け居候者共にて此度の不心得も一は有司共が忠
義立のあまり彼等を窘め過ぎ候より彼等
もヤケに相成候意味も有之大御親の御
仁慈の程も知らせず親殺しの企したる鬼
子として打殺し候は如何にも残念に奉存候
何卒彼等に今一度静に反省改悟の機会


を御与へ遊ばされ度切に奉祈候斯く奉願候者
は私一人に限り不申候あまりの恐多きに申上兼
居候者に御座候成る事ならば御前近く参上
し心腹の事共言上致度候得共野渡無
人宮禁咫尺千里の如く徒に足ずり致候の
み時機已に迫り候間不躾ながら斯くは遠方
より申上候願はくは大空の広き御心もて天
つ日の照らして隈なき如く幸徳等十二名をも
御宥免あらんことを謹んで奉願候叩頭百

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