礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

二代目市川猿之助、シャイロックを演ずる(1948)

2014-08-28 05:29:14 | コラムと名言

◎二代目市川猿之助、シャイロックを演ずる(1948)

 歌舞伎公演データベースによれば、一九四八年(昭和二三)一〇月に、東京劇場(東劇)で『ヴェニスの商人』が上演された。シャイロックを演じたのは、市川猿之助一座の市川猿之助(二代目)、ポーシャを演じたのは、水谷八重子一座の水谷八重子(初代)であった。
 ところで、同データベースによれば、この上演は、「最高裁判所一周年記念上演」と銘うたれていた。なぜ、「最高裁判所一周年記念上演」なのか。今日、この事情を知るものは、多くないであろう。
 この間、このコラムで何回か言及した元名古屋高裁長官の内藤頼博は、最高裁判所事務総局秘書課長を務めたこともあった。晩年におこなわれたインタビューの中で、内藤は、次のように述べている。

高野〔耕一〕 では、話はがらりと変わりますが、例の梅幸さん〔七代目尾上梅幸〕とか花柳章太郎、水谷八重子〔初代〕などについてのエピソードがありましたらばお気楽にお聞かせいただければと思います。特に水谷八重子については何か家裁のポスターに使ったというお話ですね。
内藤 家裁ができたとき広報用のポスターに使ったのです。
高野 その経緯をちょっとお話してください。
内藤 最高裁判所ができて1周年の時ですけれども、東劇〔東京劇場〕で水谷八重子のポーシャで『べニスの商人』〔ママ〕の芝居をやるというので、裁判所で皆で見ようということになったのです。そしてその機会に三渕さん〔初代最高裁判所長官・三淵忠彦〕が皇太子様をお呼びしようということで、東宮大夫の穂積重遠〈ホヅミ・シゲトオ〉さんとのお話で、今の天皇陛下と常陸宮様のお二方、まだ学習院初等科にいらっしゃったときですが、お出まし頂いて、三渕さんも大変喜ばれました。そのとき、猿之助〔二代目〕のシャイロックと八重子のポーシャが幕間〈マクマ〉に舞台から御挨拶を申し上げることになって、その御挨拶のことばを僕に書いてくれという、それで僕がそれを書いたわけなのですよ。そしたらそれが大変名文(?)だということで、猿之助も八重子もその通りやってくれたわけです。そういう因縁があって、それで八重子に頼んでポスターになってもらったんです。
高野 それは今でも最高裁に。
内藤 とってありますね。どこかで見ましたね。家裁の何かの行事のときに。【以下略】

 内藤は、この上演が、「最高裁判所一周年記念上演」となった経緯については語っていない。しかし、歌舞伎界にツテがあった内藤が、何らかの働きかけをおこなったものと考えられる。
 なお、このインタビューは、『法の支配』通巻九六号(一九九四年六月)に掲載されている。

コメント
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