礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

農村は都会によりて金を絞られる(高田保馬)

2014-08-09 07:50:20 | コラムと名言

◎農村は都会によりて金を絞られる(高田保馬)

 一年以上前に、当コラムで、高田保馬の『社会雑記』(日本評論社、一九二九)という本を紹介したことがある(「家族の将来に関する80年前の予言」2013・3・9)。
 最近、再び同書を手にとる機会があったが、やはりこれは、興味深い本である。本日は、そこから、「都会討伐」という文章(初出は、一九二六)を紹介してみたい。

 都会討伐
 この五月に雲仙に登つて島原の町へ下りた。道中よくもこんな田舎があると思ふほどの所を通つたが、そこの掛茶屋にも森永のキヤラメルがならんでゐる。この田舎の人たちが米や麦を売つた金からキヤラメルが買はれ、その金がまた東京をさして上つてゆくのである。以前に土地の人がつくつた飴を買つた小使銭はいまかうして江戸のぼりをする。
 近所のKステエシヨンにゆくと、ホームにはいつも沢山の荷がつまれてゐる。皆それは大阪からこちらの卸屋に送られた雑貨などの荷である。一番上の箱をみるとソオス十二ダアスと書いてある。殆どすべての人たちが鍬をとつてくらすこの農村によくもこんなにソオスが売れるものだと思ふ。女学校あたりにいつた娘たちが学校で習つてかえつては西洋料理のまねごとをするのであらう。その外の雑貨も大抵は以前の農民の使はなかつた品物か、使つてゐても土地の物産でまに合はしてゐたものばかりである。これらの荷物の支払は皆米の売上や養蚕の収入からすまされるのである。
 学者は分業による連帯などといふ。しかしそれはどんな連帯であらう。なるほど米麦や糸は田舎から都会に売りこまれ、種々の日用品は都会から田舎に侵入してくる。前者の値段は話にならぬほど安くて、後者の値段は一般に中々高い、時には法外に高い。田舎の人たちは従来自給してゐたか、または多く田舎者である農村都市の作つた品物で間に合せてゐたのに、今や猫も杓子も東京、大阪の品物でなければ夜も明けぬやうにいふ。そして高値をつかまされる。その結果は支払れたる金が皆相集つて上方上りをはじめる。かくて農村は都会によりて金を絞られる。【以下、次回】

「近所のKステエシヨン」というのは、たぶん、高田の生家に近い九州本線の久保田駅のことであろう。

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