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JCCハンター

2005年05月29日 | アマチュア無線


JCCやJCGは、アワードハンターと言われる局長さんには、ポピュラーなアワードであろう。
私も、開局当時QSOの局数を伸ばすにしたがって、このアワードを追いかけて行った。
最終的にJCC300を超えたところで、一旦QRTの状態に陥った。

その後15年近くの歳月が過ぎ、今の場所に居を定めてハムを再開した。
CW、それも10MHzをメインにQRVを開始した。
今は10MHzのコンデションが今一歩であるが、当時はコンデションも上々で、10.130を中心に移動局がびっしりとQRVしていた。

開局した当時は、移動と言っても、機材、アンテナ等の関係で、そうそう簡単ではなかった。
でも、現在はリグが小型化(必然的に電源も自動車用バッテリーを使える)し、アンテナも高性能のホイップや、ATUを使ったワイヤーアンテナを手軽に設置できるので、移動運用がぐっと身近になった。

移動局を追いかけ始めると、JCCとJCGの数は加速度的に増えていった。
開局当時の増え方をはるかに上回る、恐ろしい増え方だった。
2年ほどで、JCC、JCGも10数市郡を残すまでとなった。
残念ながら、そこからアクティビティが落ちてしまって、その後の平成大合併で誕生した市の分だけ未QSO数が増えてしまった。Hi

現在、全市、全郡と交信を終わらせた局長さんの数はどのくらいなのだろうか?
MLなどを見ていると、マルチバンドでの完成はおろか、シングルバンド、複数バンドで完成と想像を絶する世界となっている。

さて、このJCC、JCGアワードには発行ナンバーが付されている。
当然、アワードへNo.1が記載されていれば箔がつく。

写真はトリオ通信機(現在のケンウッド)が発行していたテクニカルニュース(昭和49年5月1日発行 No.7)だ。
八重洲ジャーナルと同様に、主に自社のRIGを紹介するために発行されていたが、PRだけでなく各局長さんの記事も読み物として掲載されている。
このテクニカルニュースでは「JCCを追い続けたわが半生の記録」と題して、長谷川OM(JA2BL)の記事が3ページに渡って掲載されていた。
長谷川OMは、JCCアワードが制定された当時、稀代のJCCハンターとして名をはせたOMである。
如何にしてJCCアワードNo.1を獲得して行ったか、その舞台裏を生々しく書いておられる。
どんな世界でも、トップを取るということは、大変な努力と犠牲が必要だと感じさせた。

ちなみに、私が所持しているアワードで発行ナンバーが一番若いのは、1H-AJD(1時間でAJDを完成させるアワード Feb.9,1974---現在ではさほど難しくないが)のNo.31だ。
JCC300がNo.1174(Sep.25,1975)、JCG200がNo.34(Jan.1,1979---JCGが制定された時、発行ナンバーは抽選で決められた、従って発行ナンバーはクジ運そのものである)である。

(拡大した記事URL)
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