佐渡金山への入り口は実は
知る人ぞ知る、ここだったんですよ~!
今から40年以上前の話ですけど…(汗)
写真の大山祇と書かれている中央の立て札は
山の神様、鉱山を守ってくれた大山祇神社のことです
このように道路沿いにあったため
交通事情的にも危ないと
いうことで資料館的トンネルを
新たに掘り、本来の宗大夫抗とつなぎまして
現在の入り口となっておりま~す
(こちらはアナログ写真からなので色がいまいち)
ちなみに間歩(まぶ)というのは
金銀を掘るために掘った穴のこと
「宗大夫」は、そこを掘った山師のお名前です
佐渡の金山というと皆さん「島流し」と
思われますが、佐渡の人はもちろん!罪人の子孫ではありません
金を掘ることに関わっていた人はみ~んな職人さんで
ちゃんとした職業をもった方たちなのです
江戸時代に「島流し」で罪人として送られてきた人たちは
「水替人足」と呼ばれ、24時間こき使われて
亡くなっていったのは事実ですが
金を掘る方と水を替え出す方は
役割も立場も環境も、全然違ったんですよん
ちなみにうちのひいひいじーちゃんは相川金山の山師?
だったと亡くなったおばあちゃんから聞いた記憶があります
なので~私は罪人の子孫ではないのです~!(^^)!m(__)m
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