1909年10月26日、今から105年前、伊藤博文公は亡くなった。
その命日にあたる本日、品川区西大井にて墓前祭が行われた。
祭主は東京山口県人会「防長倶楽部」
私などは、伊藤博文といえば、お札の人というイメージが強い。
物心ついたころ、1,000円札には彼の肖像画が印刷されていた。
ちなみに五千円・一万円は聖徳太子だった。
午前11時から約一時間、式は厳かに行われた。
参加者は伊藤家一族、防長倶楽部、参議院議員の林芳正氏、
出身地山口県光市長、品川区、西大井5・6丁目町内会など150名
英米仏蘭、四カ国艦隊と長州が戦ったのが1864年、今から150年前。
そこから幕末維新へ歴史は大きく舵をきった。
偉人の墓を前に、日本の歴史に思いを馳せた。

式の後はテントで食事・・初めてお会いする人ばかりだったが
山口に縁がある人が多かったのですぐ打ち解けた。

山口のお酒「獺祭」(だっさい)・・・美味しくいただいた!
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英米仏蘭、四カ国艦隊と長州が戦ったのが1864年、今から150年前。
そこから幕末維新へ歴史は大きく舵をきった。
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