五木寛之 著 GH幻冬舎新書
著書より心に残った言葉を抜粋引用(太字部分)し一言コメントしました。
「何故高齢者たちがヘソクリを必死で握りしめて消費しないのか。それは当然だ、将来が不安だからである。年金もあてにならない、子供や孫たちに頼ることも難しい。何よりも自分達が何歳まで生きるのかの予想がつかない。わかっているのは、下手をすれば100歳まで生きるかもしれないという事実である。長生きが最大の不安なのだ。」
(コメント 長生きすればするほど金がかかる。病気・介護など子供たちにも迷惑をかける。お金で全てが解決できるわけではないが、たいていのことは何とかなる。お金がなければ老人ホームにもはいれないので無駄な消費はできない。明るい老後・美しい熟年などとまやかしをいっていたのは誰でしょうか。)
「頼りになるのは、ささやかな貯金だけ。しかも、その貯金が円安で目減りする。さらにそれも紙くずになるかもしれないとなれば、これはもう生きているあいだに思い出をつくることぐらいしかないだろう。」
(コメント とはいっても贅沢はできないので思い出づくりも、日帰りや、ビジネスホテル・公共の宿・車中泊を利用したささやかな旅行も年に1回程度しかできません。)
「息子や孫たちに贈与すればいい、とすすめるオセッカイ連中もいる。子供のマイホーム建設に力を貸すとか、孫たちの学費をだすとか、税制の優遇措置はいくらでもある。
しかし、年金がついていればこそ優しくされる老人たちもいる。相続される資産があればこそ大切にされている親もいる。老人もその辺はクールに見ているはずだ。」
(コメント) 同感です。誰が親身になって見てくれるかどうかわからないのに生前贈与などすべきではありません、親身に世話してくれた子供に渡すべきです。
現実問題として、妻の姉夫婦は見る気も世話もほとんどしないのに長女だからと言って生前贈与をうけ、さらに両新が施設に入ってからも生活費である家賃収入を取り上げようしたので弁護士をたてて未だに解決をしていない腹立たしい限実がありますので、生前贈与などとんでもないことだと実感しています。
これが綺麗ごとではない現実です、財産があるから大切にされるので、ささやかな老後資金でも老人ホームに入居するためにも握っていなければならないのが悲しい現実です。
テレビでは金持ち目線できれいごと・現実を知らずに机上の空論を得意満面で解説している御用評論家・学者、似非コメンテーターなどの言うことには怒りを覚えます。

ゴールはあの世なのに懸命に生きなければならないとは、人生下り坂は諸行無常ですが、子供に迷惑をかけないためにも、頭や指を使い・運動をし・趣味など生き甲斐を見つけピンピンコロリと逝くために頑張らなければなりませんね。
