ジジイのたわごと

ジジイが適当に思いついたことを書いてみます

<サンマ>「いよいよ来た!」 水揚げ量が今季最多

2014-09-17 03:27:52 | トピック
 <サンマ>「いよいよ来た!」 水揚げ量が今季最多

毎日新聞 9月16日(火)21時33分配信


最盛期を迎えたサンマ漁=北海道根室市花咲港で
2014年9月16日午後0時10分、本間浩昭撮影より


※ジジイのたわごと
 博多でサンマを食べることは、あまり無い。学生時代、仙台出身の友人と、東京で自炊してた頃は、安い魚だとして、よく食べた記憶がある。サンマを焼く時、台所が猛烈な煙で一杯となった記憶が残ってる。
 サンマと云えば、お笑い芸人の明石家さんまを連想する。テレビを見る限りでは、明石家さんまは、お笑い界での大御所となった感じがする。


明石家さんま(あかしやさんま)

1955年7月1日|かに座|和歌山県出身|B型

明石家 さんまは、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー。Feペディア(出典:Wikipedia)より




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「悲惨な戦い」…ペリリュー島激戦から70年

2014-09-17 03:01:02 | トピック
 
「悲惨な戦い」…ペリリュー島激戦から70年

読売新聞 9月16日(火)18時20分配信


式典で握手を交わす旧日本海軍の土田さん(右)と元米海兵隊のダーリングさん(15日、パラオ・ペリリュー島で)=安斎晃撮影より


 【ペリリュー島(パラオ共和国)=前田啓介】太平洋戦争の激戦地として知られる西太平洋・パラオ共和国のペリリュー島で15日、米軍の上陸開始から70年を記念した式典が開かれた。

 式典には、無条件降伏を知らずに終戦後も戦い続けた旧日本軍34人のうちの1人、土田喜代一(きよかず)さん(94)(福岡県筑後市)の姿も。かつて死闘を繰り広げた元米兵と抱き合った後、「悲惨な戦いだった。二度と戦争を起こしてはいけない」とかみしめるように語った。

 ペリリュー州と米政府の主催による式典には、米軍関係者や島民ら約300人が参加した。米国と日本の国歌が演奏された後、州知事が、土田さんと元米海兵隊のウィリアム・ダーリングさん(89)(カリフォルニア州)の氏名を読み上げると、出席者全員が立ち上がって拍手で迎えた。

 36年ぶり13回目の訪島となる土田さんは、孫娘でドイツ在住の井福理恵さん(31)に付き添われて席を立ち、ダーリングさんも前に。お互い敬礼をした後、抱き合って何度も握手をした。

 ダーリングさんが「かつて戦った者同士だが、戦争が終われば兄弟のようなもの。私にも孫がいる。この島での戦いを語り継いでいこう」と話すと、土田さんは「米軍は、最後まで戦い抜いた私たちに敬意を持って接してくれた。ただ、私のような目に遭う者を二度と出してはいけない」と涙ぐんだ。

※ジジイのたわごと
 太平洋戦争に関する事は、永遠に語り続けられるであろう。

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両陛下パラオ訪問へ=来年、戦没者を慰霊―政府調整

2014-09-17 02:48:28 | トピック

両陛下パラオ訪問へ=来年、戦没者を慰霊―政府調整

時事通信 9月16日(火)16時38分配信

菅義偉官房長官は16日午後の記者会見で、天皇、皇后両陛下が戦後70年となる来年の年度初めにも、戦没者慰霊のために西太平洋のパラオを訪問される方向で調整していることを明らかにした。
 パラオは太平洋戦争末期における日米両国の激戦地で、ペリリュー島などの戦闘で約1万6000人の日本兵が命を落としたとされる。戦後60年の際にもマーシャル諸島、ミクロネシア連邦とともに両陛下の訪問が検討されたが、移動手段などの問題から見送られ、サイパンを訪れた経緯がある。

※ジジイのたわごと
 戦争中、私が小学生だった頃、サイパン・パラオ等の島の名前を聞いたことがあった。そして、アメリカ軍とは、「本土決戦」が叫ばれるようになった。日本に上陸してきたアメリカ軍を一気に潰す作戦だと教えられた。
 藁で作られた人形をアメリカ兵と見なし、竹槍で突く訓練をさせられた。今にすれば荒唐無稽な話だが、その当時は、真剣に訓練をしたものだ。竹槍の突き方が悪いと云っては、先生に殴られたりもした。
 戦争中の出来事に関しては、両陛下共に、大きな関心事であろうし、特に激戦地といわれた、サイパンやパラオへの訪問は、戦没者を慰霊するために、大変素晴らしい事だと思う。

※本日最後のブログです