ジジイのたわごと

ジジイが適当に思いついたことを書いてみます

AC広告機構のテレビコマーシャル

2011-03-23 05:13:40 | トピック
 
童謡詩人・金子みすずの作品


『こだまでしょうか』


「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
 ※ジジイのたわごと
 
テレビコマーシャルでAC広告機構が流してる詩なのは、皆様ご存知だと思う。金子みすずの詩である。金子みすずの詩を知るキッカケは、千葉市在住の私の友人の奥様が、習字の題材として書かれた下記の「私と小鳥と鈴と」を、私宛にメールで送って頂いたからである。
 
 金子みすずについては、私は全く知らなかったけど、この詩は、私の心から離れず、2~3年前、遂に金子みすず記念館行きとなったのである。奥様を数年前亡くしたヒマな友人を私と一緒だと「身体障害者手帳」によって、JRの電車賃が半額になるからと誘い出し出掛けたのであった。但し特急券は半額とならないので利用せず、快速又は各駅停車利用を条件とした。博多駅を出発後、下関駅で「みすず潮彩号」に乗り換え、山陰本線経由、仙崎駅へ到着したのである。この「みすず潮彩号」は、指定席は有料(510円)だが、座席が窓側を向いてて、日本海を目の前で眺めるようになってるのである。特急を利用しなかったので、博多駅から乗換時間を含め、4時間ぐらい掛かったと思う。パソコンで博多駅から仙崎駅までの乗り換えを含めた時刻表をコピーして出掛けたのであった。仙崎駅から「金子みすず記念館」までは、徒歩5分ていどの近距離だった。

   
 私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


金子みすゞ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ペンネーム
金子みすゞ(かねこ みすず)
誕生 金子テル(かねこ てる)
1903年4月11日
山口県大津郡仙崎村(現長門市仙崎)

死没 1930年3月10日(満26歳没)

職業 詩人

最終学歴 郡立大津高等女学校(現・山口県立大津高等学校)

活動期間 - 1930年

ジャンル 童謡

代表作 『わたしと小鳥とすずと』
『大漁』

子供 娘1人

 大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは若き童謡詩人の中の巨星と賞賛された。




 今、テレビCMのAC広告機構で詩人故宮澤章二の
「行為の意味」が流れている。


「こころ」は
だれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える

「思い」は
見えないけれど
「思いやり」は
だれにでも見える


  もう一人の宮沢章二についても、私は全然知らなかった。テレビのコマーシャルの中で「宮沢章二」の名前を見つけ、インターネットで始めて知ったのである。
 公共広告とはいえ、「金子みすず」「宮沢章二」の詩を使ったことに関しては、素晴らしいとしか表現できない。東北での被災者も、「金子みすず」「宮沢章二」の詩をテレビで見れば、少しは気持が落ち着くかもしれないし、そうあって欲しいものである。



 宮澤章二(みやざわしょうじ)

大正8年(1919年)6月11日、埼玉県羽生市生まれ。
昭和18年、東京大学文学部卒業。
高校教論を経て文筆業(詩と歌詞)に専念。
作詞関係では童謡・歌曲・合唱曲・校歌・市民歌等を多数手がける。
中でも校歌は小・中・高校など300校に及ぶ。
日本童謡賞、赤い鳥文学賞特別賞等を受賞。
日本現代詩人会会員、日本童謡協会常任理事、日本作詞家協会理事、
埼玉詩話会顧問等を歴任。
主な著作は「蓮華」「空存」「枯野」「風魂歌」等多数。
クリスマス・ソング「ジングルベル」の作詞者としても知られている。
平成17年3月11日逝去。