2010年 5月9日 【説教要旨】 マタイの福音書17章20節
群れ(教会)に今語られているからし種の信仰について学んでいきまよう。(20)からし種の信仰があれば山が移ると言われました。種があると命があり生えてきます。そのように、いのちがあって、生え、成長する信仰がからし種の信仰です。薄い信仰には何も起こりません。
(マルコ11:22~24)からし種の信仰は受けたと信じる信仰です。12弟子はペンテコステ以降素晴らしい働きをなしていきましたが、それは聖霊のバプテスマを受けたということと、もう一つはからし種の信仰になっていったからです。一番小さな信仰でもからし種なら山が動く、わざが起こる、のです。
(マタイ17:20)薄い信仰が「小さい」「少ない」で、からし種の信仰が「大きい」「多い」ということではありません。(マタイ13:31~32)からし種は小さいことの象徴です。薄いのがダメで小さいのが良いとは変ですが、種類が違うことを言っています。性質が「からし種」でないといけないと言っています。
信仰が薄い状況とは(マタイ6:30~31)心配すること、(マタイ8:23~26)怖がること、(マタイ14:29~32)疑うことです。私たちは意図的に信仰を使っていかなければなりません。ペテロは「来なさい」というイエスのことばを信じて歩き出しましたが、風を見て恐くなり沈み始めました。受けたと信じて歩きましたが、恐がり疑い始めたゆえに神の力は失せてしまったのです。
(マタイ16:8~11)“神があたかもいないかのように考え行動してしまうこと”それが薄い信仰です。神の約束示しを受けたならば“受けたと信じて”そして“告白して”歩む必要があります。疑い、不安に立たず、さらに信仰を解き放って歩んでいきましょう。
(文責・木本)