説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

もし遅くなってもそれを待て、それは必ず来る、遅れることはない。

2012-06-12 18:26:35 | 説教要旨
2012年6月3日  説教要旨 ハバクク書2章3節
希望は問題の中にあるのではなく(問題の中に解決の希望を捜すのではなく)、神のことばの中にあります。語られた神のことばを告白して感謝するとき奇蹟があらわされます。神のことばは真実です。(私たちの群れに与えられているリバイバルの約束も遅れることがありません。)神の助けは決して遅れることがなく神の時は完全です。
(マルコ10:46~52)「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と盲人バルテマイはイエスに向かって叫び続けました。目が見えないことですべてを失っていた彼に、イエスはあえて「わたしに何をしてほしいのか。」と聞かれました。言い換えるなら不可能のない神が「何でもしてあげよう」という意味です。“イエスのところに行くなら解決がある!いやされ、奇蹟が起こる!”と信じた彼の信仰が彼を救ったのでした。そして一瞬の内に目は完全にいやされ見えるようになりました。
イエス・キリストにすべてがあります。ある時まで答えられない時がありますが、それは私たちの信仰の立て上げのためです。あきらめることなく神のことばを握るなら神が成就されます。
神の選びということについてみたいと思います。26聖人の中にルドビゴ茨木という12歳の少年がいました。キリストを信じる信仰を捨てるなら、処刑されることなく武士になる道が与えられるという時、「キリストを捨ててあと50年生きて何になりましょう。」と殉教を選んでいきました。彼は死にましたが今も私たちに永遠のいのち、キリストと共にいるいのちの素晴らしさを語っています。
一方、イエスの弟子たちは十字架の時に逃げ、イエスを裏切りました。ペテロは主を知らないと3回も言い裏切ったのです。しかし、最もふさわしくない状況の弟子たちに大宣教命令は語られました。(マタイ28:18~20)。そして確かにふさわしくない弟子たちを通して全世界に福音は宣べ伝えられていきました。神の賜物と召命は変わることがありません。神の計画は私たちの思いを超えています。教会に留まり、約束を握り歩むなら計画は成就されます。遅れることなく導かれる神に信頼し、最後まで信仰の歩みをなしていきましょう。(文責・木本)


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