説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2016年9月11日 説教要旨

2016-10-08 23:23:55 | 説教要旨
2016年9月11日 説教要旨 
ローマ人への手紙6章12~23節

5節で私たちはキリストに継ぎ合わされたと言われています。キリストという罪の無い方(神)が、私たちの罪の身代わりに十字架のかかって死んでくださり、よみがえられたことを信じる時、私たちはキリストに継ぎ合わされ、一体となったのです。(キリストという台木に接ぎ木された)私たちは自分の外側を見ると救われた後も変わらない部分や性格があり、それを見て変わっていないと思うことがあります。しかし、本質は全く変わっており、神の前に罪に死に、新しいいのちに生かされているのです。そのことを信仰によって受け取ること、信じることは重要です。その信仰の歩みの中で、新しく生かされた者としての実質がより現わされてきます。(14)私たちは律法の下にではなく、恵みの下に生かされているということを語っています。律法から言えば、私たちは罪人であり、永遠の滅びに定められた者です。しかし、信仰によってキリストの贖いの恵みの中に入ったので、罪によって裁かれ、支配され、滅びに向かう歩みから解放されたのです。律法の支配から、恵みの支配に移されたのです。例えば、私たちは失敗をする者ですが、恵みの中を歩む時に主は建て上げて下さるのです。罪を悔い改め、すべてを感謝し、神に従っていく時、失敗したことさえも益に変えて下さり、神の栄光を現わす者としていってくださいます。(15~)パウロはここで、恵みの下にあるのだから、罪を犯そうという間違った教え、屁理屈に対し、絶対そんなことはないと否定しています。神は罪を赦して下さいますが、罪の中をあえて歩んではいけないのです。人間はいつも何かの奴隷です。神から離れ、自由だと言いながら罪の奴隷となってしまうのです。十字架を信じてからは、従順の奴隷、義の奴隷になりました。そのことを自覚する必要があります。そして、私たちには罪を選ぶことも、御霊に従う歩みをする選択が与えられています。これは支配の原則があるので、選択の最初に神の方を選ぶということが重要なポイントです。