説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2015年11月29日 説教要旨

2015-12-18 09:39:40 | 説教要旨
2015年11月29日 説教要旨
使徒の働き20章1~16節

エペソはアルテミス(大女神)神殿のあるところで、後にカトリック教会のマリア信仰が生まれたところです。カトリックではマリアは無原罪という特別な位置を与え、祈る時にマリアを通してキリストに祈ります。しかし、これは間違いです。聖書にはそのような祈りは出てきません。マリア信仰が出てきたことには、このような霊的な背景があると考えられます。私たちが信じ崇めるのは三位一体の神さまだけです。
パウロはギリシャにいた3カ月の間にローマ人への手紙を書きました。そこからシリヤに向かいましたがルカを含め7人の同行者がともに行きました。これはエルサレムに献金を届けるためでした(ローマ15:25~27)。献金は非常に大きな祝福です。神に捧げることは受ける事なので、神に捧げるときに私たちは霊的にも実際的にも豊かにされます。(7)トロアスで、週の初めの日にパンを裂くために集まったと書かれています。週の初めの日とは日曜日のことであり、私たちは今、主が復活された日曜に集まり礼拝をしています。また、その目的はパンを裂くためとあり、これは一緒に食事をするという意味と、聖餐という2つの意味があります。聖餐には重要な意味があります。私たちはパンをキリストの体、ぶどう酒を血と信じています。ですから、私たちは単にパンを食べているのではなく、また、象徴を食べているのではなく、パンは体として、ぶどう酒は血として食べているのです。パウロたちが集会のポイントに関して「パンを裂くため」と言っていることには重要な意味合いがあります。また、教会に繋がることは重要であることを覚えてください。実質を伴ったものです(Ⅰコリント11:27~30)(9~)説教中にユテコという青年が3階の窓から落ちて死んでしまいました。(ルカは医者なのではっきりと死を確認したと思われます)しかし、「心配することはない。まだ命があります」とパウロは言っています。これは祈った後、主にある対応をした後に言ったと思われます。ここでよみがえりが起こりました。神は大勢の中の私たち一人一人を知っておられ、愛し目を注いでおられます。この主に信頼して歩みましょう。(13~16)そして、パウロはこの後、エルサレムに向かって旅を続けていきました。