2015年6月14日 説教要旨
使徒の働き13:24~33節
パウロはまずイスラエルの歴史を語りますが、それは人間の罪、反逆に対する神の憐れみでした。そしてそのすべてのことがイエス・キリストの救いに向かっていったことを語っています。
(24~25)そしてイエスが救い主であることの証言はバプテスマのヨハネを通して始まります。彼はキリストを指し示す者として神に用いられました。現代においても自分の主義主張ではなく、神のことを真っ直ぐに語る者を神は求めておられます。
また、自分の栄光を求めるのではなく、神に栄光を返すという事が非常に重要です。
(26~29)エルサレムに住む人々と指導者は神のことばを退けてしまい、イエスを十字架にかけて殺してしまいました。しかし、この神のことばはまず、選民であるイスラエルの人々に与えられていたのです。同じように私たちクリスチャンにおいても神のことばは祝福の基です。ただ、どのようにみことばに対応するかによって大きく道がわかれていきます。例えば、ローマ8:28に、神がすべてのことを働かせて益としてくださるとありますが、私たちがそれを信じ、すべてのことを感謝するかしないかによって大きく歩みや、問題の解決が変わっていきます。確かに愚かに見えたとしてもみことばを信じ、みことばの方に立ち、信仰の対応を成すなら、神の栄光を見、逆転の勝利を見るのです。
(30~33)人の罪によって十字架にかけられたイエス様はよみがえられ、復活した後、多くの人々に現れました。それによって罪の赦しが完成したことを現わしており、私たちに空しい希望ではなく、確かな土台、永遠のいのちが与えられました。私たちは死ななければならない者ですが、地上の歩みは永遠の歩みに繋がっており、死は終わりではなく始まりであるという、素晴らしい恵みの中に入れられたのです。