説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2015年3月22日 説教要旨

2015-04-04 21:58:21 | 説教要旨
2015年3月22日 説教要旨
使徒の働き 9章1~19節

サウロ(後のパウロ)はクリスチャン迫害の急先鋒としてダマスコへでかけていきました。「この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るため」でした。しかし、ダマスコ途上で光に照らされ、はっきりと神の声を聞きました。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」また、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」そして目が見えなくなりました。パウロは自分が正しい(見える)と思い、神に従っていると思っていました。しかし、彼は本当は神に対し霊的に盲目であり、正反対のことを一生懸命してしまったのでした。

神のみこころは私たちが類推し、正しいと思うことをするのではなく、聖書を読み、主に聞かなければわかりません。本当に神のみこころを行っているかを確認する必要があります。

神はダマスコのアナニヤにパウロのところに行くように語られます。アナニヤは驚き、パウロが迫害するためにここへきたことを神に訴えますが、「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」と語られます。神のみこころは人間には計り知れません。神に全く敵対している人間を器として選んでおられたのです。

アナニヤは神に従ってパウロのところに行って祈り、パウロの目は開かれ見えるようになり、バプテスマを受け、そこから180度変えられた歩みをするようになりました。

「この道」キリストが道であり、真理であり、いのちなのです。そして真理は私たちを自由にします。私たちの人生において本当にやるべきことがあります。それは神の計画です。