説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

百歳になっても

2015-03-09 07:38:47 | 聖書の言葉
アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。

しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、

また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。

主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。

ローマ人への手紙 4:19~25