説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

悪霊追い出し

2013-02-16 22:58:48 | 説教要旨
2013年1月6日  説教箇所 マタイの福音書17章20~21節
(17:1~19)ペテロとヤコブを連れてイエスは変貌山(ヘルモン山)に登られ、そこで御姿が変わられました。それはイエスが元々持っておられる栄光の姿でした。そしてその山から下りて来られた時、てんかんの病を持った子どもを連れた父親がイエスのところにやって来ました。弟子達のところにその子どもを連れて来ましたが直らなかったのです。そこでイエスが悪霊を叱ると、その子から悪霊が出て行き直りました。弟子達は、どうして自分たちには悪霊を追い出せなかったのかとイエスに尋ねます。(マルコ9:14~16)ここで大切なのは、祈り、悪霊追い出しをすることであったのに弟子達は議論していたのです。直るまで祈り続けていればよかったのです。彼らが祈らなかったのが失敗でした。今年「主の栄光」と語られています。働きを見るカギは祈りにあるということを覚えていきましょう。(マタイ17:20)“うすい信仰はダメだ。しかし、からし種の信仰があったら出来ないことはない”と聖書は言っています。弟子達の信仰はうすかったのです。からし種の信仰を用いる、つまりどんなに小さな信仰でも用いることです。それは受けたと信じる信仰であり、告白することです。普段何を語っているのか、それがこれからの歩みにかかってきます。神が語られることばをしっかり握り語っていきましょう。神のことばは創造する力があります。ことばに敏感になり、教会において個人において神のことばを告白していきましょう。百人隊長が持っていた、“神のことばがあれば直る”という信仰だけでイエスはわざをなされました。神のことばにいかに力と権威があるかを示されたのです。
(第Ⅱ歴代誌20:21~22)ヨシャパテとイスラエルの民は絶体絶命の中にいましたが、「この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。」という神のことばを受け、勝ったと確信し、喜びの声、賛美の声を上げ始めました。私たちも感情面でもからし種の信仰を用いていかなければなりません。一番悲しい事も、辛い事も、問題も、神に向かって喜びの声賛美の声を上げること、「声を出す」ことをなしていきましょう。その時、神の手が動き、奇蹟があらわされます。(マタイ17:20,21)(霊的なことにおいては断食をもっての祈りをなしていかなければなりません。)祈りを奪われないようにし、神のことばを告白し、からし種の信仰を用いていきましょう。その時、神が山を動かしてくださいます。(文責・木本)