説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

聞く耳のある者は聞きなさい。

2012-07-05 22:31:44 | 聖書の言葉
イエスはたとえによって多くのことを教えられた。その教えの中でこう言われた。

「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。

また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。

また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。

また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」

そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている人たちが、十二弟子とともに、これらのたとえのことを尋ねた。

そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。

それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため』です。」

そして彼らにこう言われた。「このたとえがわからないのですか。そんなことで、いったいどうしてたとえの理解ができましょう。

種蒔く人は、みことばを蒔くのです。

みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです──みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。

同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです──みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。

もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです──みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。

良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」マルコの福音書4章2~20節

100倍の実

2012-07-05 22:28:34 | 説教要旨
2012年6月24日  説教要旨 マルコの福音書4章1~9節
イエスは種まきのたとえを話されました。
種とは神のことばです。実際の種もいのちがあり、それを蒔くとその実ができますが、神のことばにはいのちがあり、それを成就し、創造していく力があります。
みことばが蒔かれるのはどの人も同じ、どの教会も同じです。しかし、対応によって実が分かれます。イエスは聞く耳のある者は聞きなさいと言われました。
畑とはそれを聞く私たちひとりひとりの心の状態を表わしています。10~20節に解き明かしに注目してください。実がなるまでに時間がかかりますが、その間に試し、揺るがし、誘惑があります。みことばをそのまま受け取り、それを持ち続ける人は実を結んでいきます。
単純な真理ですが、それを信じそのことばに生きるとき、神のことばの実質が現れ、実を結ぶ歩みとなっていきます。
たとえば、「いつも喜んでいなさい。」と語られていますが、いつも喜んでなどいられません。むしろ喜んでいられないことの方が多い、私たちの日々です。
しかし、ここで言われているのは感情や状況によるのではなく、信仰によって喜ぶことです。感情は喜べなくても信仰によって喜ぶのです。手を挙げ、主を賛美するのです。
それを選ぶのは選択になりますが、神のことばを正しいとし、従う者は確かにすべてのことが益になるのを見、主の勝利を見ることになります。
神のことばを正しいとし、神のことばを実践していきましょう。そのとき、私たちの歩みは、三十倍、六十倍、百倍の実を見るのです。