説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

ゲッセマネの祈り

2011-01-24 08:17:27 | 説教要旨
2011年1月16日  説教要旨  マタイの福音書26章36~46節

(36~37)イエスは十字架にかかられる前にゲッセマネで祈られました。処女マリヤから生まれ肉体を持って来てくださったイエスは100%神であり、100%人でした。私たちの罪のため十字架にかかるためにこの世に来て下さったのです。そしてここではイエスの人としての姿を見ることができます。イエスは罪を犯されませんでしたが肉体を持っておられたのでこれからご自分に起こることを知られ、苦しみ悲しみもだえられ始めました。そして十字架にかかる前の祈り、模範としての祈りをささげられました。(38~46)イエスは壮絶な戦いである十字架の前に“この杯をわたしから去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、神のみこころがなるように”と祈られました。この祈りは重要です。私たちもいろいろな願いがありますが、神のみこころを求め祈りましょう。弟子たちは眠ってしまいましたがイエスはこの祈りを3回され、そして十字架の激しい戦いをなされ死んでよみがえってくださいました。それゆえに私たちの罪は赦され永遠のいのちが与えられたのです。十字架を通して働きがなされ、勝利と栄光があらわされます。
(ルカ14:25~35)イエスに従っていくとき、自分の能力を超えたことに対応する働きに入っていきます。またどなたであってもこれから黙示録の時代に入るので大きな戦いや困難の中に入っていくのです。その中で勝利するポイントは自分の十字架を負って従うことです。イエス・キリストに従う覚悟と決心、準備が必要です。最も大切にしている人や物を2番目とし、神を第1にしなければ弟子になれないと言っています。しかし、覚悟していたペテロも逃げてしまったように、肉の力では私たちは従えません。祈る必要があるのです。これから自分の力ではどうしようもないことが起こっきますが、主により頼むとき主が働かれます。そしてどんな大きな召しも全うしてくださるのです。神の計画がなされるため十字架があります。その十字架の前に、イエスが祈られたように私たちも祈っていきましょう。感謝と早天を強めていきましょう。また、たとえ短くても「早天をする」ことがとても重要です。(文責・木本)


写真はイスラエルチーム、黄金門の前で。