説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

メッセージ

2011-01-08 23:01:21 | 説教要旨
2011年1月2日  説教要旨 第2歴代誌20章15節、第1ペテロ5章5~10節
(第2歴代誌20章15節) 聖書で神の戦いという言葉が使われている時は、①絶対勝てない敵、全く手に負えない問題 ②しかし、神が戦われるので絶対勝つ戦い。です。
私たちのまわりに起こってくる気落ちするようなことがあっても、それは神の戦いであるということを覚える必要があります。‘預言者を信じ…’とあるように、神のことばに従うのです。ヨシャパテも具体的な神からの指示に従っていきました。さらにこれから従って行く中で、私たちの群れ、また各教会に預言を通して指示・予告が始まってくるでしょう。(新約の時代は預言は吟味してから受け取らなければいけませんが)預言を熱心に求め、語ることをなしていきましょう。(Ⅰコリント14章1節)
〈賛美〉実際に出て行って歌うことが重要です。臨在のために祈り、心を込めて歌い込み、そして出て行くとき神が働きを進められます。また一人一人がどんな状況の中でも職場や家庭あらゆる所で主をほめたたえることをしていく時、神が圧倒的な勝利を現わされます。(主はイスラエルの賛美の内に住まわれます。)
(第1ペテロ5章5~6節)ペテロは教会の人々の励まし、なぐさめ、立て上げのためにこの手紙を書き、そしてその後に殉教していきました。私たちは一人では戦えません。教会で戦うのです。また、へりくだる者に神は恵みを与えられます。“力強いみ手の下にへりくだる”それは整え、訓練を受けるということです。(13)マルコは自分の仕事のために宣教から離れ、そしてそのことのゆえにパウロに避けられてしまいました。しかしそのマルコが福音書を書くようになったのです。マルコは教会を離れなかったので用いられました。私たちは失敗をする愚かな者ですが、悔い改め、すべてを感謝して教会につながり続ける時、すべてが益にされ祝福に変えられます。また、忍耐が必要な時もあります。モーセは王子の40年のあと、荒野で40年過ごしましたがそれはへりくだる時となりました。自分の人生は終わったとモーセは思ったかもしれませんが、その時召しが始まったのです。ある「時」が来るまで何も変わらないときがあります。しかしモーセの人生のように、「神の時」が来たとき、一気に神が私たちを引き上げてくださる、ということを覚えていきましょう。  (文責 木本)


写真はシナイ山