雀ばぁば

おしゃべり雀、孫7人

本物は 違う !!

2006-12-13 10:13:58 | Weblog
遙洋子 著
「東大で 上野千鶴子に ケンカを学ぶ」より引用(無許可です)



【引用文】 本物は違う!!


「ここで、なにを勉強しにきたの?」

 本郷にある研究室で、上野千鶴子教授はまっすぐ私を見ながら聞いた。

 見渡すかぎり本だらけの中に教授はいた。

「議論の構成の枠組みです。」

 私はタレントだ。私は基本的に芸能界というところは娯楽を売る所だと理解して

いる。スキャンダルも娯楽。バラエティからニュースまで。トークショウも

スポーツも。そして涙も怒りも。

 ただそれらには避けてとおれない、議論、があった。

 シリアスな討論会から、バラエティ番組に至るまで、それが、一分であろうが、

一時間であろうが、トークショウという枠に議論はつきものだ。

 意見はふとしたはずみで簡単に対立する。

 そして、その対立した瞬間から、その人となりがあられもなくむき出しになる。

 語り言葉の裏側のメッセージが本番中、痛いほど耳に飛び込んできた。

 「私は皆に好かれたいの」

 「女は黙れ」

 「オレの意見だけが、オレだけが、世界中で一番正しい。」

 「バカなふりしとこ。そのほうが得。」

 「私ってカワイイでしょ。」

 これらのメッセージ性はどんなテーマでも関係なく共通して存在する。脳死を語

ろうが、恋愛を語ろうが。

 議論が白熱すると、私にはこの第二のメッセージが気持ち悪くてしかたがない。

 実は、人は、本来語り合わねばならないテーマではなく、違うところで議論をしているの

ではないか?
議論を左右するのは、論理ではなく、第二のメッセージのほう

が、じつは語っていて、そっちのほうで勝負が決まることが多いのではないか?

 私はことごとくこの議論に勝てなかった。しかたのない負けも、爽やかな負けも

なかった。ただ気持ち悪さだけがいつも残った。しかし、それも個人の問題として

抱え続けて仕事することはできる。

だが、公の場で発言していく仕事である以上、年々感じることはその影響力。

 「ひょっとして、私たちがしゃべってることって私たちだけで完結しているん

じゃなくて、影響力あんの?じゃ、責任あんじゃん。」

 遅まきながら、力と、責任の関係性にも気づいてきた。

 私だけの辛抱が私だけに収まらず、議論が避けてとおれないものなら、この気持

ち悪さの解消は緊急至上命題になった。

 確実に、的確に、瞬時に相手に打ち勝つ方法を私は探していた。

 この、どれが欠けても、番組という制約上、勝負が成り立つどころか、果敢に挑

みかかっても、無様に粉砕していく女性を何度となく見てきた。それは、ああなる

くらいなら戦わない方が、マシ。と思わずにはいられないみじめな構図だった。

 しかし、私の知る限りたった一人、みごとに勝ち続けている女性がいた。

 上野千鶴子だった。

   ……… 中略 ………

 「勝ちたいんです。それも瞬時にとどめをさすやり方で。でなきゃ、すぐ、次の

コーナーか、コマーシャルにいってしまう。」

   ……… 中略 ………

よくある構図を避けるには、一瞬のうちにぐうの音も出ないほどの勝ちが必要とさ

れる。勝つ人の理論を私は教わりたかった。が、意外な答えがかえってきた。

 「相手にとどめを刺しちゃいけません。」

 そのごもっともな御意見に私は多少なりとも、失望を覚えた。それは子供の頃か

らよく母親に言われた「ケンカしちゃいけません」を彷彿させる。

 「なんで?なんでとどめを刺しちゃいけないんですか?」

 「その世界であなたが嫌われ者になる。それは得策じゃない。あなたは、とどめ

を刺すやり方を覚えるのではなく、相手をもてあそぶやり方を覚えて帰りなさ 

い。」

 私は、鳥肌が立った。やっぱ、本物だ、と思った。

    ……… 後略 ………



以下は、私(雀)のことばです。

遙洋子は、斯くして果敢に3年間猛勉強、

誰にも言えず、言っても分かって貰えず、

勉強に関しては孤独だった。

しかし、それが終わる頃 たった一人

いかに大変なことをやってきたかを

理解した人に出会った。



遙洋子に 良かったねと言いたいし、

私自身にも、

この本に出会えて良かったねと言いたい。


(引用文は、出来るだけ正確に写したつもりです。
太字部分は、私が強調のためにつけました。
もし、間違いがあったらごめんなさい。)