この後行く”速玉大社”の摂社だそうです。
お祭りが実行されるのは、明日(6日)の晩ということで、見物は
適いません。
◆神倉神社への案内看板
バス停から近いところにあり、分かりやすいです。
◆赤い太鼓橋
これから奥は神域ということでしょうね。
◆お燈祭りの案内
◆ 同 その2
◆階段下の鳥居
538段あるというビビリそうな急な長い登り階段が見えます。
(ビビリ坂と名付けました)
これを2,000人を超す松明を持った男たちが駆け降りるという
のですから正気の沙汰とは思えません。
怪我人がでたりしないのでしょうか?
◆石段の参道
これは大変だと思い、途中で持参のニーサポーターを両足に装着
しました。途中出会った降りてきた人に、”ここで半分くらいですか?”
と聞いたら”今4分の一くらいです”と言われがっくり。
◆おまつり取材陣の縄張り
本殿下の参道脇です。
地元のテレビ局・新聞社の他、中日新聞の札もかかっています。
ロープ内への立ち入りを禁止する掲示もありましたので、正しく
縄張りです。
◆本殿入口の鳥居
◆本殿付近
顔を隠した二人は報道関係者だったような気がします。
◆ 同 その2
◆ 同 その3
”ゴトビキ岩”と言います。
コトビキとは、ヒキガエルを表す新宮地方の方言だそうです。
◆新宮市街
本殿下の広場から見たところです。
左上部が熊野川の河口だろうと思います。その先は太平洋。
◆広場の報道陣の機材
業務用のビデオカメラなどですが、これを背負ってあのビビリ坂を
上って来るのは楽じゃなかったろうと思います。
◆下り階段
これを見て、再びビビリました。(何しろビビリ坂ですから)
ふと横を見ると・・・・・・・・・
◆女坂の標識
命あっての物種とばかり、迷わず軟弱コースを選びます。
(ずっと前に行った中国の”万里の長城”にも、似たような呼称のコース
があった記憶があります)
距離は少し伸びるし、整備状態もあまりよくないけど、ビビリ坂よりも
勾配はずっと緩やかで助かりました。同日の奥のBlog→こちら
帰宅後見た7日付け中日新聞に、”お燈まつり”が写真付きで掲載されて
いました。
神倉神社の次は、最後の那智三山となる”熊野速玉大社”へ参拝します。