紅茶の一期一会

紅茶歴(だけは)10年以上の管理人が、
主に、購入した紅茶の感想を書いています。

音楽感想:『Asterisk』 -“eden*”サウンドトラック

2011-02-28 10:01:51 | 音楽系
なんと、2011年3月31日をもって『gooあしあと』のサービスが終了するらしい。
Gooブログで使えた、唯一のアクセス解析サービス(検索キーワード解析を含む)がなくなるというのは非常に痛い。
(他にGooブログで使える解析ツールを調べたのだが、かなり難しいようだ。)

そういうわけで、サービスが終わる日をもって当Blogを終了・・・というのは自分が嫌なので、
新たなアクセス解析ツールを探した。何とか継続できそうである。(移転はしないこととした。)


さて、本題に入ろうと思う。

今回は、『eden*』というゲーム(minori)のサウンドトラック『Asterisk』の感想記事である。

このサントラは、「久しぶりに」現実にゲームをプレイした後に購入したものである。
(「久しぶりに」というのもどうかと思う。)
だから、音楽それ自体のみを見て感想を述べたものとは言えない点、先に申し述べておく。


この『eden*』というゲーム、「シナリオ」は賛否両論あろうかと思う。
すなわち、批判しようと思えば容易に批判しうるものであると言える。
評価の分岐点は「表に出ない面を、どれほど「善解」して楽しめるか。」という点にあるような気がする。

しかし、そうであったとしても、「演出」面においては、音楽と情景のすり合わせが非常に丹念になされ、
それが功を奏していたという点には、ほとんど異論は出ないのではないかと思う。


この音楽を手がけているのは『天門』さん『柳英一郎』さんという面々である。
(どの曲をどちらが作っているかという具体的な記載はない。)

柳さんは、このサントラで初めて聞く方である。
しかし、『天門』さんの名前を聞いたのは初めてではない。

私が『天門』さんを知ったのは『新海誠』というアニメーターの映画、
『雲の向こう、約束の場所』という作品のデモムービー(120秒編)がきっかけである。

そこで聴いた音楽は、
ラップ越しに見た風景のように微妙に濡れた感じの鮮やかな色合いと、
柔らかな光のまばゆさが同居したようなサウンド。
それに加え、ドラマティックかつノスタルジックなメロディーの美しさ。


『天門』という名前を、刷り込まれた最初の印象はそれである。


この『eden*』のサウンドトラックにおいても、そういった感じを抱かせる音楽がある。
Disk-Aの『13.Geniality』『14.Yearning to the sky』などは、そのような曲であり、楽曲としても好みである。
『16.Separation』『17.To the new world』も曲想としてはそっちの感じなのだが、
少し演出に寄りすぎたような感じで、途中の展開が若干唐突かなとも思う。

また上記の雰囲気からは離れるが、
『02.Solitude』は、抑制された中に悲しみがあるような感じで、これまた別の意味で気に入っている曲である。
『06.Android』という曲も、悲しみに儚さと憂愁なニュアンスが含まれたような雰囲気が好み。
『15.Lavinia』は曲の盛り上がりが非常にいい感じ。途中に少し音の厚みが抜けるようなところがあるのが若干残念である。

Disk-Bでは『08 Other side of sadness』『09 Sleeping Beauty』『12 Can't leave you alone』等もなかなか好みである。

しかし、個人的には『01. Liberating』『07.Sion』『13.Time left』が一押し(?)。
どれも牧歌的な雰囲気があって、ゲーム中の美しい風景を思い出させる楽曲たちである。

特に『13.Time left』が最高に素晴らしい。
優しく牧歌的でありながら、哀しく、儚く、美しく、そしてなにより暖かみのある曲である。
これを聴いていると、シオンの声が聞こえてくるような気がする。
彼女との優しい記憶を思い返し、胸に溢れてくる暖かで懐かしい気持ちを押さえきれない。
そういった主人公の思いまで伝わってくるようである。


さて、このCD、ゲームをプレイしていない方に対してもお勧めできなくはないが、
ここまで褒められるのは、やはり自分がゲームをプレイしたからであろう。
「自分としては好みのCDであった。」とだけ言えば足りるのかも知れない。

また、CD全体を見ても、楽曲自体の完成度がずば抜けて高いという感じのCDではないと思う。
なんとなく曲進行などに(演出に合わせた結果だと思うが)不自然さを感じ、聴かない曲もそれなりにあったりする。

しかし、それでも前述の美しい風景の演出に供された、透明で瑞々しい楽曲群の心地よさが深く印象に残る。
ゲームの記憶と共に、このCDも長きにわたって聴き続けるのだろうなと思う。
そんなCDであった。

音楽感想:『そよ風の中で』(『小鳥の羽飾り』付属CD)

2011-02-21 09:24:50 | 音楽系
一ヶ月以上放置していたとはどういう了見か。(For自分)

感想を書きたいCDなどは山とある。
それにもかかわらず、音楽について書くことを躊躇させるものがあった。

以下数行、CDの感想の前に、読者の方にはまったく意味不明であろう、この躊躇のことを書こうと思う。


この躊躇というのは、
『具体的な言葉』で音楽を説明することに対する「抵抗感」というか「喪失感」である。

換言すると、言葉を駆使すればするほど、言葉ですくい取れなかった部分が自分の中からこぼれ落ちていく感じ。
また、自分の言葉によって、自分の感じたものが曲げられていくようないやな感覚。

音楽は、本来言葉では表現できないことを表現するものであり、そこに言葉ですくい取れない部分があることは承知の上で感想を書いていた。
感想として、嘘を書いたことは一度もないが、「何かが違う」という感覚が日増しに強くなってきた。
あいまいな、もやっとした感覚を、無理に言葉に整理してしまうことが恐ろしくなってきたのである。

あいまいな部分、言葉で整理できなかった部分にこそ、音楽の重要な部分があったのではないか。
せっかく音楽から受け取った重要な部分を、あっさり言葉でふるい落としていないだろうか。
このような、音楽から得たものを自分で無にしているのではないかという恐ろしさである。

ということで、今後は無理にあいまいな感覚を言葉に置き換えるのではなく、あいまいなところはあいまいなまま受容しつつ、感想を書こうと思う。
この結果、感想が以前より抽象的になるが、この点ご了承いただきたい。

意味不明かつ神経質な駄文失礼。
以下はいつも通りの音楽感想である。



久しぶりの佐野広明氏の音楽CD『そよ風の中で』の感想である。

といっても、これまた古いCDの発掘(?)で、データベースを参照すると、発売日は「1997年」となっている。
『殻の中の小鳥』というゲームのファンディスク、『小鳥の羽飾り』に付属しているCDである。

以前から所有していて、過去の記事にも名前を出したことがある。

『殻の中の小鳥』の音楽のアレンジ6曲と、オリジナル曲2曲の計8曲が入っている。


やはり佐野広明氏の音楽は、自分にとって、他の作曲家では代替できない唯一無二のものである。

曲の雰囲気は種々あるが、一通り聴いて感じるのは、繊細な作りだなという印象。
儚げでありながら、しっとりとした楽曲群は、非常に好みである。

6トラック目の『追想』などは、
しっとりとした雰囲気の中に感傷的なニュアンスがあって、実に自分好み。
加古隆氏の『風のワルツ』のような楽曲が好みの方は、ツボに入るのではないか。

そして特に素晴らしいのが、このCDのタイトルを冠された『そよ風の中で』という曲。

曲調自体は、壮大でありながら、爽やかさ・涼やかさを持ち合わせた感じのもの。
『そよ風の中で』というタイトル通りの雰囲気を持った楽曲。
感情をむやみに煽り立てることのない、ヒーリングミュージック等の作りに近い音楽である。

にもかかわらず、この音楽は、なぜこれほどまでに儚く哀しく、そして美しいのだろうか。

これはもう、まさに他の作曲家では代替困難な作りの曲である。


BGMというと、ともすれば感情をあおり立てるような、あるいは、感動させんという意識が露骨に表れた曲が散見される。
これが悪いとは言わないし、自分自身そういう曲で好きなものも数多くある。
しかし、そのような曲を繰り返し聴いていると、軽く食傷気味に思うことも事実である。

これに対し、この『そよ風の中で』という曲は、こうした楽曲とは対照的な音楽をやっている。

「叙事的」「間接的」というのだろうか。

たとえば、木々は季節によって色を変えるが、それは我々の心を動かすためのものではない。
しかし、そのような新緑や紅葉を見て、美しいと思う自分がいる。

『そよ風の中で』という曲を聴いていると、それと似たような感覚を受けるのである。

感情を煽られなくても美しいと感じる、一種「間接的」な部分の大きい音楽。
佐野氏の曲の中でも、その部分がかなり前面に出た楽曲に感じる。
(本CDが普通のサウンドトラックではなく、自由度の高い「イメージアルバム」的に構成されていることも影響しているのだろう。)

しかし、これが他では得難い魅力であり、非常に美味なのである。

悲しい曲は数あれど、これほどに第三者的なニュアンスを持ちながら、
心に訴える音楽を作る作曲家は、自分の知る限り(少なくともゲーム業界では)佐野広明氏だけである。


彼を「『なのは』の音楽の人」という認知だけで終わらせるのは、あまりに勿体ないと思う。そんなCD。