久しぶりにクラシックの話題ですな。
今日は『交響曲第9番 新世界より』の「コンヴィチュニー指揮、バンベルク響」の演奏を取り上げます。
『交響曲第9番 新世界より』と言えば、ドヴォルザークの有名な曲でありますね。
この交響曲の第2楽章の冒頭部分が、『家路』という良く知られた曲のフレーズである事がその理由の1つでしょう。
しかし、私自身この曲がそれほど好きというわけではありませんでした。
やはり、心揺さぶられる演奏に出会わなければよく聴く曲とはならないようで、この曲も多分に漏れずそうでしたね。
最初に感銘を受けたのは「フリッチャイ指揮、ベルリン・フィル」の演奏でした。
厚みのある低弦に支えられながらも、情緒あふれる演奏でありました。
特に2楽章の哀切さといったら感涙モノです。白血病で死が迫っていたフリッチャイ先生が指揮するところを想像してまた涙という感じでしたね。
私はこの盤で『新世界より』が好きになりました。今でも一番よく聴くのはこのフリッチャイ盤です。
他に好きなのは「ノイマン指揮、チェコ・フィル(1972年)」の演奏です。
この演奏は、始めて2楽章を聴いた時に、なぜか夕焼けの公園で父親と娘さんが遊んでいる光景が思い浮かんでしまった演奏です。
クラシック音楽を聴いていて不思議なのは、歌詞がないにも拘らずこういう場面が思い浮かんでしまうことがあるところですね。
しかし、こういう体験はごく稀にしかないので、この演奏は貴重ですね。
この演奏は、ピッチが少し高いように感じます。それがまたなんとも夢幻的です。
さて、前置きが長くなりましたが、コンヴィチュニー先生の演奏に行きましょう。
フランツ・コンヴィチュニーという指揮者は当Blogでも時々名前を出しています。(ベートーヴェン9番とかベートーヴェン7番。)
個人的なコンヴィチュニー先生に対する印象は、「ゆりかごの様な安心感、安定感と、曲の生命力の自由闊達な表現を両立できる方。」といったものです。(ベートーヴェンの全集と、モノラル録音の英雄、田園を聴く限りの印象です。)
そんなコンヴィチュニー先生がバンベルク響と録音した新世界の演奏が発売されるとなれば、買うしかないでしょう。(爆)
お値段は懐にやさしい1260円です。しかし、価格に似合わず演奏は期待を裏切らない素晴らしいものでした。(クラシックでそういうことは非常に多い。)
例えば2楽章は、良く歌い非常に味わい深いです。木目調というか、ぬくもりのある素朴な響きですね。
バンベルク響の母体はチェコのオーケストラのようですが、そういったところが影響しているのでしょうか。
4楽章はノりにノってます。きびきびとした演奏ですが、重量感は失わず一枚板です。
全楽章を通じて、1つの楽器が飛び出しすぎない。飛び出そうとすると、他の楽器がサポートするような感じでしょうか。
こうしたところから、演奏に安定感が生まれているのではないかと思います。楽器で音楽全体をバランス良くコーディネートしているように聴こえます。
テンポ的には、始めて主題を聴いたとき、あれっとなるような感じが一部でありました。
しかし、主題の繰り返しを何度も聞いていると、これはこれでいいような気がしてきます。
これは不思議です。まるで子守唄のようです。何度も同じような音階をやさしく繰り返されると、心地よくなってくるあの感じです。
コンヴィチュニー先生の演奏はどれもこういう雰囲気があるように思います。他の指揮者では聴けない大いなる美点ではないでしょうか。
また、CDの音質も非常に良好です。よく響き、低弦の動きが良く聴きとれます。
楽器のニュアンスもわかりやすい。イングリッシュホルンのふわぁっとした味わい深さも、この音質ならよくわかります。
以上より、個人的に「コンヴィチュニー指揮、バンベルク響」の新世界は買ってよかったと思える素晴らしいCDでありました。
『新世界より』という曲が好きな方は(もちろん好きでない方も)、是非聴いてみていただければと思います。
今日は『交響曲第9番 新世界より』の「コンヴィチュニー指揮、バンベルク響」の演奏を取り上げます。
『交響曲第9番 新世界より』と言えば、ドヴォルザークの有名な曲でありますね。
この交響曲の第2楽章の冒頭部分が、『家路』という良く知られた曲のフレーズである事がその理由の1つでしょう。
しかし、私自身この曲がそれほど好きというわけではありませんでした。
やはり、心揺さぶられる演奏に出会わなければよく聴く曲とはならないようで、この曲も多分に漏れずそうでしたね。
最初に感銘を受けたのは「フリッチャイ指揮、ベルリン・フィル」の演奏でした。
厚みのある低弦に支えられながらも、情緒あふれる演奏でありました。
特に2楽章の哀切さといったら感涙モノです。白血病で死が迫っていたフリッチャイ先生が指揮するところを想像してまた涙という感じでしたね。
私はこの盤で『新世界より』が好きになりました。今でも一番よく聴くのはこのフリッチャイ盤です。
他に好きなのは「ノイマン指揮、チェコ・フィル(1972年)」の演奏です。
この演奏は、始めて2楽章を聴いた時に、なぜか夕焼けの公園で父親と娘さんが遊んでいる光景が思い浮かんでしまった演奏です。
クラシック音楽を聴いていて不思議なのは、歌詞がないにも拘らずこういう場面が思い浮かんでしまうことがあるところですね。
しかし、こういう体験はごく稀にしかないので、この演奏は貴重ですね。
この演奏は、ピッチが少し高いように感じます。それがまたなんとも夢幻的です。
さて、前置きが長くなりましたが、コンヴィチュニー先生の演奏に行きましょう。
フランツ・コンヴィチュニーという指揮者は当Blogでも時々名前を出しています。(ベートーヴェン9番とかベートーヴェン7番。)
個人的なコンヴィチュニー先生に対する印象は、「ゆりかごの様な安心感、安定感と、曲の生命力の自由闊達な表現を両立できる方。」といったものです。(ベートーヴェンの全集と、モノラル録音の英雄、田園を聴く限りの印象です。)
そんなコンヴィチュニー先生がバンベルク響と録音した新世界の演奏が発売されるとなれば、買うしかないでしょう。(爆)
お値段は懐にやさしい1260円です。しかし、価格に似合わず演奏は期待を裏切らない素晴らしいものでした。(クラシックでそういうことは非常に多い。)
例えば2楽章は、良く歌い非常に味わい深いです。木目調というか、ぬくもりのある素朴な響きですね。
バンベルク響の母体はチェコのオーケストラのようですが、そういったところが影響しているのでしょうか。
4楽章はノりにノってます。きびきびとした演奏ですが、重量感は失わず一枚板です。
全楽章を通じて、1つの楽器が飛び出しすぎない。飛び出そうとすると、他の楽器がサポートするような感じでしょうか。
こうしたところから、演奏に安定感が生まれているのではないかと思います。楽器で音楽全体をバランス良くコーディネートしているように聴こえます。
テンポ的には、始めて主題を聴いたとき、あれっとなるような感じが一部でありました。
しかし、主題の繰り返しを何度も聞いていると、これはこれでいいような気がしてきます。
これは不思議です。まるで子守唄のようです。何度も同じような音階をやさしく繰り返されると、心地よくなってくるあの感じです。
コンヴィチュニー先生の演奏はどれもこういう雰囲気があるように思います。他の指揮者では聴けない大いなる美点ではないでしょうか。
また、CDの音質も非常に良好です。よく響き、低弦の動きが良く聴きとれます。
楽器のニュアンスもわかりやすい。イングリッシュホルンのふわぁっとした味わい深さも、この音質ならよくわかります。
以上より、個人的に「コンヴィチュニー指揮、バンベルク響」の新世界は買ってよかったと思える素晴らしいCDでありました。
『新世界より』という曲が好きな方は(もちろん好きでない方も)、是非聴いてみていただければと思います。