ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「琉球の星条旗」

2011-08-08 11:53:46 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「琉球の星条旗」という本を読んだ。
サブタイトルには「普天間は終わらない」となっているが、普天間の基地を宜野湾に移す計画が、民主党政権に変わったことで根底から覆されてしまったことの騒動を毎日新聞が一冊にまとめたものだ。
沖縄の基地の問題が、極めて厄介な問題であることに、昔も今も変わりはない。
それは沖縄という島が抱えた根源的な宿命なのかもしれない。
アジア大陸との距離感、太平洋と東シナ海の中の他の島との距離感、そこに住む人々の人間の多様性というようなものを全部ひっくるめて、複雑な宿命を背負っているのかもしれない。
この問題の発端は、普天間という基地の周辺で起きたアメリカ兵による婦女暴行事件や、近くにある大学に軍用ヘリが墜落したことが発端となって、基地の移転という問題に展開したのが端著であるが、沖縄の基地は、これから先も無くなるということはあり得ないように思う。
その理由は言うまでもなく、沖縄という島の地勢的な位置関係にその理由があって、沖縄という島があの位置にあるかぎり、あの島から基地というものは無くならないと思う。
今から66年前、日本がポツダム宣言を受諾することによって、日本の敗戦ということになり、沖縄のみならず日本各地にもアメリカ軍の基地があからさまに置かれるようになった。
しかし、兵器の進化と、国際情勢の推移で、日本内地の基地は日本の独立回復と共に、その大方が規模縮小あるいは撤廃、あるいは自衛隊に移管された。
その結果として、今現在、沖縄に日本の米軍基地の70%が集約されてしまっているが、これは沖縄は今に至ってもたアメリカ軍の占領下にあるということである。
これを別の言い方で表現すると、日本の米軍基地は沖縄以外、価値を失って、存在意義が消滅し掛っているが、沖縄の基地は立派にその存在意義を誇示しているということである。
1945年昭和20年の日本の敗北は、沖縄も公平に本土と運命を共にした。
この時、アメリカ軍は普天間に自分たちの軍事行動の為の基地、飛行場を作った。
敗戦後の日本、6月にアメリカ軍によって敵前上陸された沖縄の住民は、それこそ乞食同然のみすぼらしい姿でその工事を見ていたに違いない。
実は私も、それと全く同じ体験をしているわけで、私の住んでいた愛知県小牧にも、終戦直前に出来た日本陸軍の飛行場があって、そこにアメリカ進駐軍がやって来た。
飛行場をフェンスで囲み、その中ではブルドーザーとパワーシャベルで滑走路の拡張工事をしているのを、みすぼらしい格好の洟垂れ小僧の私が眺めていたわけで、沖縄の状況は目に浮かぶように想像出来る。
沖縄はアメリカ軍が敵前上陸して、アメリカ軍が生の実力で得た土地であるからして、アメリカとしても特別の思い入れがあったに違いなく、戦後27年間もアメリカの治世下に置かれていた。
日本内地がサンフランシスコ講和条約で独り立ちした以降も、約20年間アメリカに統治され続けたということは、当時の国際情勢が大きく関わっていたことはいなめないであろう。
ここで、我々は、沖縄と本土は本当に同じ日本国の国民同士と言えるかどうか、真摯に考えなければならない。
沖縄という島を中心にして物事を考えると、沖縄、琉球の人々は、自分の置かれた地勢的な条件から、中国とも交渉をし続け、日本とも同じように関わりをもって生きて来たわけで、それは彼らが生きんが為の二枚舌外交であったことは否めないだろうと思う。
シナと日本に対して日和見な態度で接しなければ、自己の生存すらも危うかったわけで、それは生きんが為の必然的な態度で致し方なかった。
それが時代の推移とともの薩摩藩の隷下に入り、明治維新で必然的に日本の国民と見做されてきた。
昭和の太平洋戦争では、押しも押されもせぬ大日本帝国の一員と見做されたので、当時の日本政府としては最大限の防衛措置をとったけれども、結果としては敵前上陸を許し、敵の実力により実質的な占領を許してしまった。
敵にすれば、自分たちの実力で奪還した土地であるから、土地に対する執着は普通の占領地に比べれば一段と強いのも当然である。
だから占領した最初に普天間に飛行場を建設した。
恐らく、ブルドーザーとパワーシャベルを酷使して、短時間にあっさりと築き上げてしまったに違いない。
そして周囲をフェンスで囲み、軍事作戦がそこから展開されたであろうが、問題はそれを指を咥えて眺めている沖縄の人々の存在である。
沖縄県平和祈念資料館で購入した資料を見ると、昭和20年の普天間基地の周辺は、畑ばかりで民家などは何もないではないか。
まさしく「ざわわざわわ」と風に揺らぐサトウキビ以外に何もないではないか。
これが街の中に埋没した危険な基地となったということは一体どういうことなのだ。
その経緯を勝手に想像で描いてみるときっとこういうことだと思う。
一番最初に上陸してきた米軍が拠点を築く。それが米軍の基地であった。
基地の傍などに誰も住みたくない。
アメリカ兵がうろうろしている基地の傍で生活をしたいなどと願う人間がいるわけ無いではないか。
よって地価が安い。その安さに惹かれて貧乏人が集まって来る。
貧乏人はもともと根性が卑しいので、様々な名目の補償金を目当てに政治的な発言で金をせしめる。
その心卑しき人々は、最終的に、基地撤廃を叫べば天文学的な金をせしめることが可能というわけだ。
沖縄の人にとってはこの地に建設的な産業があるわけではなく、無から有をなさしめるには、金のあるところにタカルという選択肢しかないわけで、究極のタカリの構図が出来上がったと見做していいと思う。
基地に存在意義があればある程、基地撤廃のスローガンの付加価値は上がるわけで、軍事的にも、安全保障の面からも、地勢的な面からも、そこにある基地の存在意義が高ければ高いほど、その対価としての付加価値は上がる。
そこにあるのは、基本的には、如何に日本政府から地域振興を促す補助金を引き出すかという、タカリの乞食根性ということになる。
結果として、日本の敗戦、沖縄にアメリカ軍が上陸して以来、半世紀以上も時が経過すると、敵の航空基地の回りも、日本の住民の真っただ中に埋没してしまって、住宅地の中の基地ということになってしまった。
アメリカ軍にとっても、周辺住民にとっても、基地の移転ということが切実な問題となって来たので、政府はその目標に向けて営々と努力を重ね、移転先の住民と、アメリカ軍と、政府の関係者の間で、万全ではないかもしれないが三者三様に妥協を重ねて、苦渋の選択として辺野古の沖合に移転するという案が出来ていた。
それを民主党政権が出来上がった途端に、鳩山首相が「県外移転」というとんでもないアドバルーンをぶち上げたものだから、折角、合意が出来上がっていた辺野古への移転という話が、何処に吹き飛んでしまった。
この鳩山首相の「普天間を県外に移転する」という話は、鳩山首相自身、何の根拠もないまま、ただただ人気取りの方便でぶち上げたアドバルーンであったので、あらゆる方面で大混乱をきたしたが、本人は何の痛痒も感じていない節がある。
ただただ自らの人気取りで、大衆受けする文言を撒き散らしているが、こういう行為は政治家である前に人間失格だと思うし、無知そのものだと思う。
「普天間基地が街中にあって危険だから何処かに移転させる」という問題を前にしたら、その経緯を事前に調べて、地元から米軍のスタンスまで克明にオぺレーション・リサーチをして、もっとも適合する言葉を探して発言するのならば整合性を認めることが出来るが、ただの思いつきで、大衆受けする綺麗ごとをぶち上げても、それは混乱を招くだけで何の進展もありえない。
事実、その通りの軌跡を歩んでいるわけで、綺麗ごとの無責任な言葉を並べ立てているから降板ということになってしまったではないか。
彼は政治家としての資質を持ち合わせていない。
何処までいっても金持ちのオボッチャマで、人に担がれてあっちに行ったりこっちに行ったりするだけの神輿であって、自らは何もすべきではなく、してはならない立場であり、してはいけなかったのである。
にもかかわらず、律義な正義感を振りかざすからこういう事態を招くわけで、政治家として何の発言もせず、ただただにこにこして、金さえバラ撒いておれば、それで良かったのである。
政治も判っていなければ、外交も判っておらず、まして軍事となるとイメージさえつかめていないわけで、こういう人に国家の舵取りが出来るわけがないではないか。
現状を説明しても、今、目の前にある現実の重さ、生の状況を肌で感じる感覚が最初から欠落しているのて、あるのはただただ綺麗ごとの絵に描いたような空想のみであって、現実を直視しても何を見るべきか判っていないため、こういう陳腐な行動になるのである。
そもそも「普天間基地が街中にあって危険だから何処かに移転させる」という課題を真剣に考えるならば、その場の思いつきでどうにかなる問題ではない。
だからこそ、自公民政権の時に13年も掛けて辺野古移転案を検討して、どうにか妥協案を作り上げて、これからという時に、民主党政権に変わった途端、その妥協案を御破算にして、又最初から作り上げるなどということがありうるわけがないではないか。
民主党政権全体として、そういうことが判らない、理解できない、公約だから自公民政権の作り上げた素案をひっくり返す、それを乗り越えて新しい案で行くと考えていたとするならば、政治家足り得ないし、政治の空転を繰り返すのみである。
「普天間基地を何処かに移す」ということは、日本だけの問題ではなく、アメリカも深く関わっているうえに、そのアメリカの関わりも軍事と密接に関連しているので、軍事音痴の民主党が適切に対応できないことは火を見るより明らかなことである。
そういう周りの環境がさっぱりわかっていない民主党に成せる業ではないことは言うまでもない。
そもそも、その事を真剣に考えているとするならば、最初から戦略的な思考で綿密なオペレーション・リサーチをして、組織的に思考を積み上げて、結論を導き出さねばならない。
自公民政権ではそれに13年を要したわけで、それをほんの思いつきで根本から変えるなどということがあるわけがない。
事実、アメリカは最初の案からいささかたりとも譲歩する気がないので、最終的には辺野古に戻ってしまったわけだが、収まらないのは地元である。
地元といえば、やはり本音では基地など無いに越したことはなかろうが、有効な金儲けのチャンスがない以上、地域振興策という補償金との抱き合わせがあれば、タカリの意味合いが出るわけで、そういう前提でしぶしぶ合意に至ったに違いない。
内閣総理大臣が「最低でも県外に持っていく」と言えば、それまでの合意が全て御破算になるわけで、それは今後のタカリの付加価値がより一層高価になったということである。
鳩山総理が出来もしないことを大見えを切った代償は大きな国家的損失になったことは明らかであるが、鳩山由紀夫はその事をどう考えているのであろう。


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