ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「日本軍の教訓」

2008-12-15 16:44:04 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「日本軍の教訓」という本を読んだ。
著者は前作と同じ日下公人である。
図書館の開架式の書棚からランダムに抜き出したにもかかわらず、同じ著者のものが重なってしまった。
旧日本軍の批判については、私も前々から文章を認めているので、さほど驚くべきことではなく、自分の認識の再確認という程度のものであった。
戦争というものは、政治の延長戦の事象ということは、前々から言われていることだが、まさしくその通りだと思う。
基本的に武力で相手を屈服させるということは、政治としては一番愚策の中の愚策だと思う。
相手を屈服させるのに武力を使わずに口で相手に言うことを利かすことが出来れば、それ以上の政策は無いわけだが、相手にも自尊心というものがある以上、黙ってこちらの言い分を丸飲みすることはあり得ないわけで、そういう場合でもこちらが武力をちらつかせれば、武力の行使に至らなくとも話し合いでこちらの要求をのませることも可能である。
平和愛好と、武力を最初から放棄するということは、全く次元の異なることである。
この地球上に生きている人間で、戦争を好む人間というのは基本的にあり得ない。
21世紀の今日でも地球上の各所で戦争は起きているが、これも理想と現実の乖離であって、心の奥底では人が人を殺す行為などしたくはないが、そうしなければ自らが殺されるというところにその真因がある。
今日のアフガニスタンでも、パキスタンでも、突き詰めて言えば貧困と、その貧困に根ざした宗教が基盤にあって、自分達は西洋先進国、あるいはアメリカに押しつぶされ、殺されてしまうという危機感がその根底に横たわっていると思う。
結局のところ、人は人同士が殺し合うことなどいけないことだとはわかっていながら、理想と現実のはざまで殺し合っているのが今の状況だと思う。
考えてみれば、人間の歴史というのは所詮殺し合いの歴史であったわけで、戦争と平和はインターバルで繰り返されてきたわけである。
そのことは言葉を変えて言えば、戦争は人が生きることそのものであった、ということでもある。
人は深層心理の中で、戦争を忌み嫌っていたが、いざ己が生きんとすれば、好むと好まざると戦争という渦に巻き込まれて生きてきたわけである。
今の日本で平和愛好者を自認する人々は、自分は、あるいは自分の国は、この人間が修羅場を演じている戦争の渦に巻き込まれないように逃避の思考で、戦争を糾弾しているが、これも程度問題であって、度が過ぎるとその揺り戻しが必ず来ると考えなければならない。
平和を声高に叫ぶことで、自分は良いことをしているつもりになっているが、それは人間に対する観察眼の未熟さの証明でもある。
政治あるいはその異形態の戦争というのものは、人が人に対して行っている行為であるから、人の行為や行動を観察しないことには、より良い対処法は見つけ出せない。
日本がアメリカと戦って完膚なきまでの敗北を帰したということは、相手に対する人間観察が不十分、かつ下手であったということに他ならない。
日本の古来の戦争でも、情報を握ることが勝つための大きな要因であったことは論を待たない。
情報を握って、その情報を分析して、相手の意表を突くというのが、戦法としての常道ではなかったのか。
言うまでもなく「孫子の兵法」でも言われているように、「敵を知り己を知る」ということは真理であって、戦争をする基本中の基本であるではないか。
日本が昭和の初期の時代に、中国大陸で行った戦争も、アメリカに対する戦争も、敵に対する情報収集、情報分析という概念そのものが我々の側には無かった。
とはいうものの、対米戦の前にアメリカの国情分析はすることはして、情報収集をした結果が、自分達の思惑と合致していないからといって、それを捨ててしまうということは一体どういう神経をした軍人だったのであろう。
こんな軍人に戦争指導されれば、勝てる戦争も勝てないわけで、それが見事に実証されたわけである。
そもそも「戦争はやってみなければ勝敗はわからない」では、その戦争は最初から避けるべきである。
戦争をする以上、勝つ戦争でなければしてはならないはずである。
日本民族というのは四周を海に囲まれた島国なるがゆえに、独特の思考が醸成されていたようだ。
それは潔さ、淡白、しつこく固執しない、という価値観であって、それが美徳となっている。
だから、華々しく、潔く、死ぬことに無上の価値観を見出しているので、これが特攻隊の発想にそのまま象徴されているが、こういう発想は大陸系の思考の中にはあり得ないので、他民族からすると極めて異質で、畏怖され、恐れられた。
これを今イスラム教徒が借用して、自爆テロとして生きているが、この自己犠牲の精神は、その行為の潔さの中に価値観を秘めている。
軍隊の中で派手で潔いセクションといえば、海軍では戦艦であり、陸軍では歩兵であった、というのがあの戦争中の我々日本人の認識であった。
あの戦争の敗因は実はここにある。
問題は、そのことに今に至っても我々同胞は気がついていない節があることだ。
私がこの事を危惧するきっかけは、海自の自衛艦「あたご」が漁船と衝突した事件で、この時「あたご」はハワイにおける日米合同訓練に参加して帰ってくる途中で、母港を前にして心に隙が出来ていたと解釈した。
この心の隙というのが、海上自衛隊として一番派手なセクションで、一番派手な演習・任務を無事終わらせてきた、という満足感に浸りきって、母港を前にして気が緩んでしまったのではないかと想像する。
如何なる組織でも、組織として陽のあたるセクションもあれば日陰のセクションもあるわけで、人としては誰もが陽のあたるところに行きたいのは人情だと思う。
よって陽のあたる場所というのは、常に人々の注目の的であり続けるので問題はないが、ここでその裏側を考えなければならないのに、誰もそれに気がつかない。
日本の場合、情報収集・分析というセクションは、それこそ日陰の中の日蔭者で、閑職の中の閑職である。
このことがそもそも日本の敗因の元である。
そこで敗戦の原因の考察の中では、なぜ我々は情報収集に価値を見出さなかったか、を深く深く考察すべきである。
あの戦争を遂行した人たちは、いわゆる日本のエリートたちであったはずである。
陸軍士官学校、そして海軍兵学校、なおその上に陸大、海大という超エリートのコースを歩んだ人たちであったにも関わらず、そういう人たちが情報収集の大事さに全く気がつかなかったということは一体どういうことなのであろう。
私が推測するに、こういう人たちは国益という概念が全く無かったということではないかと思う。
戦に勝てば国益が伸長するということは、頭では解っていたが、ならばその国益というのはどういう形で存在するのかと反問すると、国益国益、と口先では大言壮語を吹きながら、その実態は戦争を私物化をしていたということだ。
考えてもみよ。ミッドウエイ海戦で惨敗したとはいえ戦艦「大和」はまだ生き残っていたが、それを沖縄戦に投入するについて、その作戦の無意味さは海軍の人間ならば皆わかっていたにも関わらず、生き残った海軍の将兵の死に場所として、何の意味もない作戦に出て行ったわけである。
「大和」の将官のトップにとっては、勇ましく、そして潔い死に場所ではあったかもしれないが、冗談ではない、他の乗組員と後に残された銃後の人々はどうなるのか考えたことがあるのか。
海軍兵学校を出て、海大を出たような超エリートの考えることは、国民の存在を無視した、独りよがりの自分勝手な行動以外の何物でもないではないか。
海軍の将兵のトップが、自分達の作戦の失敗の上に失敗の屋上屋を重ねたあげく、勝手に死に場所を求めてさまよってもらっては、国民の側としてははなはだ迷惑な話ではないのか。
同じことは陸軍についてもいえるわけで、例のインパール作戦というのは、国益とどういう風に係わりがあるのであろう。
これも牟田口中将の個人的な思い込みで遂行された作戦で、結果はする前から解り切ったことをゴリ押ししたわけで、いわば戦争の私物化に他ならない。
これが当時の日本の超エリートが国益と思って遂行した行動の実態なわけで、なぜ当時の日本の超エリートはこういう思考に嵌り込んでいったのであろう。
このことを考察するには、人間の心の根本のところまで遡らなければならないと思う。
つまり人間をよくよく観察しなければならないということだと思う。
人間は、煩悩といって誰でも百八個の欲望を抱えているといわれているが、その中でも豊かな生活がしたいという思いは万人に共通した願望だと思う。
ところが、人々が考えうる最短コースで豊かな生活を得る手法というのは、時代とともに変遷するわけで、人々はみなその時々の一番有利な入口、つまり狭き門に集中する。
戦後の高度経済成長の時は工学部の人間までが銀行や証券会社に就職したがり、世の中が不景気になるとそれが公務員の方に集中するわけで、それと同じで戦前は軍人の養成機関に入る選択がいわゆる出世の一番の近道であったわけである。
基本的に、その時代その時代で、一番華やかで収入の多い職に就きたいという願望は、、心の卑しい人々の根源的な思考なわけで、ある意味では人一倍欲張りで、要領がよく、先見性に富み、目先が効き、抜かりがないわけで、それを全部網羅しているということは一言でいえば頭が良いということである。
超エリートが頭が良いということは、言いかえれば、もっとも的な思考に近いということにつながる。
この事に我々は未だに気がついていないわけで、「あの人は優秀だ」というと、それを頭から信用して崇めたてまつり、その人の後ろから後光が射してくるような錯覚に陥りかねない。
戦艦「大和」が意味もない作戦に出て行く、インパール作戦のように全く意味のない作戦を推し進めるということは、当事者、責任者、組織のトップの失敗に対して賞罰が科せられないからではなかろうか。
旧ソビエットや中国の組織のトップならば、意図も安易に失敗が糾弾されて、すぐ死刑ということにあるが、日本ではそういう失敗をしても首が飛ぶようなことはない。
失敗をしても首が飛ぶことがないというのは、我々の場合、当然のことで、海軍でも陸軍でも、前線のトップの司令官も、後方で作戦を練る参謀本部でも、同じ学校の同級生や同窓生であるわけで、失敗したからと言って同級生や同窓生に対してそう過酷な処罰はし得ないのが人情だと思う。
旧日本軍に対する外国人の観察は実によく的を得ている。
彼らの目に映る日本軍は、「トップは駄目だが、兵隊は実に優れた資質を持っている」という評価である。
外国人から言われるまでもなく、まさしくその通りだと思う。
やはり我々は戦後の反省として、国益に直接的にかかわり合う人たちに対するに教育を考え直す必要があると思う。
日本の教育は、昔も今もそうであるが、初等教育は実に素晴らしいが、高等教育になると駄目になっている。
教育という場合、読み書きそろばんという基本の部分を教えている分には機能しているが、これが高等教育になると馬脚を現して、みるも無残な状況を呈している。
そもそも、猫も杓子も高等教育を目指すことから間違いなわけで、教育はあればいい、高ければ高いほどいい、という発想そのものから間違っている。
この発想の裏に、物事の本質を見逃す、見間違う大きな原因があると思う。
高等教育を授かる、授けるということが高貴なことで、それは素晴らしいことである、という認識が我々の潜在意識の中に刷り込まれているので、それを否定する発言は極めて言いにくいが、宅急便の運転手や、喫茶店のマスターや、生業として必ずしも高等教育を必要としないものもあるはずなのだが、そういうことを無視して誰でも彼でも大学に送り込もうとするから高等教育の質の低下があるのである。
そして、それを金儲けにつなげようとする企業というが、「高等教育は良いことだ」と吹聴しまくるので、それに踊らされるが後を絶たないのである。
日本の旧軍隊を批判するとき、どうしても軍隊そのもの批判になりがちであるが、本当は軍隊をそういう方向に行かざるを得ない状況を作り出したのは、国民の側、知識人の側、あるいはメデイアの側だと思う。
軍部に海大、陸大の超エリートがいれば、市民の側には帝国大学出の知識集団があったわけで、軍部の若手の人々がテロまがいの行動、行為を繰り返せば、当然それに対して市民としての立場から、言うべきは言い、批判すべきは批判して、倫理観を説くべきであった。
田舎の百姓の成り上がり者の若者の青年将校から「黙れ!」と言われて、言われるままに黙っていたとするならば、赤子の使い以下ではないか。
昭和初期の国会答弁でも、美濃部達吉博士の「天皇機関説」の論議でも、斎藤隆夫の粛軍演説でも、政党人からのフォロー、あるいは知識人からの擁護が全く無かったということは一体どういうことなのであろう。
私が思うに、これはイジメの構図だと思う。
イジメというのは、超悪な人間が、特定の人を虐め抜くというものばかりではなく、間接的なイジメとして無感心を装うというのもあるわけで、少数意見とノーマルな意見が対立すると、事の本質を差し置いて、多数意見に手を挙げる、多数派に迎合するという行為も、我々の周りにはあるわけで、それで世の中全体が右傾化していったに違いない。
それを引き戻し、ノーマルな状態の戻すのが基本的には帝国大学出の知識人であり、大学教授であり、メデイアであり、政党人でなければならなかった筈である。
私自身はあの太平洋戦争は避けて通れない道であったと思う。
昭和初期の日本の置かれた状況は、、国際情勢の方向性が日本を虐め抜く方向になっていたわけで、そこを打ち破るには避けて通れなかったろうと思う。
ところが、昭和の軍人が軍人として如何にも情けなく思慮に欠けた人たちであったと思う。
我々はあの戦争を遂行した人たちを軍人という視点で見るから、いくら論じても真の反省は生まれてこない。
陸軍にしろ海軍にしろ、彼らは官僚であったわけで、軍官僚という視点から見れば、彼らの行為と行動は説明がつくのではなかろうか。
官僚というのは自分の仕事を自分で作って、自己増殖、アメーバーのように外に外に不定形に増殖していくわけで、その中にいる国民、当時の言葉で銃後の人々のことなど、毛頭眼中になかったのではないかと思う。
彼らは存在するだけのために仕事を作りだすわけで、その仕事というのは、他の人のためのものではなく、自分達のための仕事なわけで、自分達の存在感を誇示するためだけの仕事であったわけである。
こういう思考が、軍の中のエリート、民間のエリートたちに解らないはずはないと思うのだが、昭和初期の日本人というのは一体どうなっていたのであろう。