例によって図書館から借りてきた本で「そして官僚は生き残った」という本を読んだ。
サブタイトルには「内務省、陸軍省、海軍省解体」となっている。著者は保阪正康氏だ。
陸軍省と海軍省の解体は、あの戦争が敗戦という結末にいたった以上、免れようもないことは誰にもわかる。
しかし、内務省まで解体になるとは普通の人は思っていなかったかもしれないが、それはモノの見方が甘いということだと思う。
陸軍でも海軍でも、ああいう形の敗戦を迎えて、責任をとって自殺した軍人も多いが、亡くなった方々にとっては甚だ申し訳ないが、それで責任から免れるというものでもない。
この本の中にも当然語られているが、陸軍の阿南惟幾は最後の最後の御前会議でも、徹底抗戦を述べて、それが入れらないということで15日の朝割腹自殺したといわれている。
だが、彼の死に対して同情する向きも多いが、私の視点からすれば、問題とすべきは、その自殺ではなくて、彼が徹底抗戦を夢見ていたという事の方が幾許か問題が重大だと思う。
考えても見よ、昭和20年8月14日の東京の街の現状を。
皇居の周りが全部焼け野原になっている情景を目にしながら、それでもなお徹底抗戦、本土決戦を遂行しようという感覚をどう考えたらいいのであろう。
戦争のプロフェッショナルとしての高級参謀、高級将校が、昭和20年の8月の東京の現状を自分の目で見て、それでもなお戦争を継続しようと考えていたとしたら、これを何と評したらいいのであろう。
日本陸軍の精神主義という事はよく言われるが、陸軍のトップといえば当然のこと、陸軍士官学校を出ているし、陸軍大学も出ているであろうが、そういう人間が東京の焼野原を目の当たりにしてもなおもアメリカと戦えると考える根拠は一体なんであったのだろう。
これは何もこ難しい深刻な命題ではなく、普通の人の普通の認識であって、日本陸軍というのは、この普通のことを普通に行うことをしなかったという事である。
日本陸軍のトップにいる人が、ポツダム宣言の受諾を拒否して、なおも徹底抗戦するという発想を、我々はどう考えたらいいのであろう。
我々日本人の価値観では、死者に鞭打つような言質を弄しないのが武人のたしなみと思われているので、誰もそれを深く追及しないが、私は自分自身が卑しい人間の一人と心得ているので、高貴な価値観に捉われることなくモノが言える。
昭和20年8月15日の正午に行われた天皇の詔勅を報ずる放送を阻止しようとしてクーデターまで起きたが、それまでして戦争を継続しようとした本意は一体なんであったのだろう。
この本は全般を通じて陸軍や海軍、内務省の官僚制の気質に迫っているが、惜しむらくは、どういう人々がそういう組織に身を委ねるようになっていったのか、という根本の点については触れていない。
陸軍も海軍も、最終的には組織が硬直化して、官僚システムに同化してしまったので、思考が硬直化したという事だと思う。
けれども無冠の私に言わしめれば、もともとが優れた頭脳が蝟集した組織なので、そういう組織であるとするならば、自浄作用が機能し、内なるエネルギーで、常に思考の新陳代謝があって、イノベーションが日常化していてしかるべきだと思う。
この本の終わりの方で、海軍の将官で生き残った方々の述懐の言葉として、「海軍は良いところで、生まれ変われるものならば再び海軍士官になりたい」という話があったが、この事実こそが海軍という組織がメルトダウンした根本的な理由ではないか。
海軍という組織全体が仲良しグループに成り代わって、自分たちだけでおままごとしている図ではないか。陸軍も海軍も、自分たちは戦争のプロヘッショナルだという自覚に欠けて、戦争を私物化してしまっている。自分たちは天皇陛下から貴重な赤子を預かって、国益のために戦っているのだ、という気概をどこかに置き忘れてしまっている。
彼らはもともとが戦争のプロフェッショナルなわけで、真に戦う集団という自覚があれば、勝つか負けるかわからない戦に手を出すはずはないし、天皇陛下の赤子を無駄に死なせるような作戦は取り得ないはずだ。
そもそも国を挙げてアメリカと戦っているのに、陸軍、海軍とが縄張り争いをしていること自体がおかしいわけで、こんな有様では負けるべくして負けたと言われても仕方がない。
どこの主権国家でも陸軍と海軍が仲が悪いのは普遍的なことではあるが、そのために国が滅んでしまったでは話にならない。
そのことで思い当たることは、日本の当時の戦争指導者には、戦争が大きなプロジェクトだという認識は微塵もなかったに違いない。
無理もない話で、日中戦争からずるずると太平洋戦争に嵌りこんでいったので、戦争目的も取ってつけたような浅薄な思考で、理想主義を高々と掲げたまでは良いが、誰もそれを真面目に受け取ってくれなかったということだ。
戦争には大義が必要で、善きにつけ悪しきにつけ、大義を高々と掲げないことには士気が上がらない。
この本の著者、保阪正康氏も、様々な旧軍人にインタビューして、いろいろな話は聞いているが、それらの言葉の下にある思考の原点にまでは言及していない。
この本の中には、海軍と陸軍の気質を比べる意味で、海軍兵学校は(旧制の)中学生から人材を集めたが、陸軍は幼年学校から人を選んでいたので、そこで視野の広さに相違ができたと述べているが、そんな表層的なことではないと思う。
そもそもアングロサクソン系の人間と、我々大和民族では物事の発想の原点から違っている。
この発想の原点の相違に、我々は今に至っても気が付いておらず、明治維新前の尊王攘夷の思考から脱却できないでいる。
私はアメリカの海軍兵学校も日本の海軍兵学校もこの目で見る機会に恵まれたが、アナポリスの兵学校は、世界中のどこにでもあるコンクリートの建物だが、江田島の兵学校の生徒館は、イギリスから運んできた煉瓦でできた実に荘厳で立派な建物であった。
しかし、太平洋戦争の結果は、ありきたりの建物で学んだアメリカ海軍に我々は勝てなかったわけで、兵学校の教育と建物は何の因果関係もないという事である。
海軍将校を養成するのに、建物の荘厳さや立派さは屁のツッパリにもならなかった、という歴然たる事実を我々は真摯に考えようとしていない。
私自身は航空自衛隊に5年間奉職して警戒管制という職種で青春を謳歌したが、このセクションは一番アメリカ軍の影響が色濃く残っているところであるが、彼らの合理主義は実に見事なものだと思った。
考えてみれば、戦争をする、前線で敵と戦う、戦闘を展開するということは、究極の合理主義が求められるわけで、無駄な行為は極力控え、最小の努力で最高の成果を得るよう行動しなければならない。
そのためには敵情を徹底的に調査し、オペレーション・リサーチを施し、確実に勝てるまで準備を整え、一気呵成にタイミングを逸することなく突き進まねばならない。
戦前・戦後を通じて、こういう発想が我々の側にありえたであろうか。
対米戦を考えるとき、アメリカはオレンジ作戦というマスター・プランを毎年更新していたが、我々の側は真珠湾攻撃の直前まで「すべきか避けるべきか」迷っていたではないか。
究極の合理主義に徹して、最小の努力で最大の効果を得ようとするには、豊富な物量がいるわけで、これが揃わない日本は、最初からアメリカとは戦争すべきではなかったという事になる。
だからそういう意見も最初からあったではないか。
あったけれども、そういう声は数が少ないので、大勢の無知蒙昧な国民の大合唱、イケイケドンドンという民意に押されて、沈黙せざるを得なかったではないか。
陸軍は陸軍で、旧ソ連を仮想敵国としながら、兵力を五月雨式に引いて南方に回して、ソ連が本当に参戦してきたら雪崩を打って崩れてしまったではないか。
あの状況に至っては、関東軍の敗退も詮無い事ではあるが、問題は満州開拓農民を現地に置き去りして逃げ帰った点が糾弾されてしかるべきだ。
こういう戦争の仕方を敷衍してみると、陸軍も海軍も「何故戦争をしているのか」という戦争の意義を全く理解することなく、つまり戦争の大義を考える間もなく、自分たちのご独善的な論理で、自分たちの存在意義を誇示するためにだけ戦いをしていたことになる。
この日本の陸軍や海軍の戦争の仕方を見れば、連合軍としては、日本の軍隊は侵略のために戦っているとしか見えないのも無理ないことだ。
先に警察官の不祥事に関する本を読んだが、その不祥事の発端は、犯罪摘発のノルマ達成が遠因になっているという事であって、警察官も官僚の端くれという事は言えると思う。
陸軍でも、海軍でも、官僚として何の仕事もなく、朝から晩までポーとしておれば、給料泥棒、税金泥棒と揶揄される可能性はある。
そう言われないためには、何か事件を引き起こして、さも一生懸命国益に尽くし、国益を擁護しているというポーズを作らなければ、自分たちの存在価値が疑われる、と思い込んだとしても不思議ではない。
世の中が平和であっては、お巡りさんも軍人さんも、自分たちの居場所がないわけで、何らかのトラブルに一生懸命対応している、という姿を国民に見せなければならなかったに違いない。
世の中が平和で、お巡りさんも軍人さんも朝から晩までポーとしているようならば、こんな有難いこともない筈であるが、そうなればなったで、無知蒙昧な国民の側は「ならばお巡りさんを減らせ、軍事費を減らせ」という事に必然的になる。
だから組織の側は自己の防衛に悪知恵を働かせねばならなくなる。
私の極めて無責任な推測によれば、あの戦争における日本軍の敗因は、軍が官僚に成り下がってしまったところに遠因があると思う。
明治維新で近代化に向けて国民の意識が覚醒された時、当時の我々の先輩諸氏の思考は、トレンドとしてどういう方向に向かったかといえば、やはりそれは富国強兵であったと思う。
西洋列強に一刻も早く追いつき追い越せというスローガンが暗黙の了解事項として人々の胸に伏流水のように流れていたと思う。
そして江戸時代から脱皮して、最初の最も華やかなデビューが日清・日露の勝利であったわけで、これであの時代のトレンデイー思考は、確たる地歩を固めたわけで、それが軍国主義であったということだ。
人間の社会というのは多数の人間が集合して形作られているが、その中には頭脳明晰で学術優秀、目先の利く利発なものも必ずいる。
そういう若者は、頭が良いだけに、近未来の予測にも抜かりがないわけで、自分がどういう進路を選択すれば、自分の願望を叶えれるかという予測にも抜かりがない。
ここで考えなければならないことは、人間、特に若い将来のある若者の生き様であって、人間の潜在的な根本原理、潜在意識は「楽して生きたい」、「楽に生きたい」という事だと思う。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」という俚諺があるが、頭の良い若者がそんなきれいごとの虚言を信じるはずもなく、要領こそ本分と考えて当然だ。
昭和初期の若人が、海軍兵学校や陸軍士官学校に蝟集してきた背景は、表向きは「国のため国家のために命を捧げる」などと殊勝なお題目を並べているが、裏を返せばそういう職業につけば、生涯安泰に暮らせるからだ、という打算に裏打ちされていたと思う。
別の言い方をすれば、極めて巧妙に時流に便乗して、時の大義の王道を歩みつつ、最小の努力で最大の生涯補償を得たということになる。
陸軍にしろ、海軍にしろ、彼らが軍人として自分の職掌に忠実であればあるほど、政治に関与してくる余地はない筈であるが、それがそうなってきたという事は、彼らが極めて巧妙に官僚化してきたということである。
戦後は敗戦の責任を全部軍人、軍部の所為にしているが、これも実におかしなことで、軍に対して内務省という対抗するセクションがあったわけで、こちらは海軍や陸軍の職業訓練校の出身者ではなく、東京帝国大学という教養知性の金字塔の出身者で固められていたではないか。
こちらも優秀な頭脳の持ち主の集合体であることに間違いはないわけで、この知性の塊の内務省が一般庶民の渇望するトレンデイーな時流に迎合するという事は、軍に抑えつけられたという面と同時に、国民の願望に最大限こたえていたということにもなる。
日本の敗北という事は、個々の作戦の失敗の集大成という事であって、陸軍、海軍の職業訓練校としての教育が根本的に間違っていたという事につながる。
よく海軍善玉説で、兵学校では終戦まで英語教育をしていたので、海軍の教育は素晴らしかったと言われているが、冗談ではない。
海軍関係者の話の中ではハンモク・ナンバーというフレーズがよく出てくるが、これは成績順という意味であって、人事が兵学校の成績の序列で決まるという事であるが、こんなバカな話もないではないか。
人間には個性があって、十人十色というのが世間一般の認識ではないか。
これから大きな作戦を実施するという事は、我々のレベルで考えれば、大きなプロジェクトを立ち上げるという感覚と同じだと思うが、こういう場面で学校の成績に固執する企画担当者がいるであろうか。
我々のレベルで考えれば、そのプロジェクトに一番適した人材を適材適所に配して、プロジェクトの完成を目指すというのが普通の思考ではないかと思う。
生きるか死ぬかという重大な作戦を推し進めようという時に、何年も前に卒業した学校の成績で司令官や指揮官を決める、などというバカなことをしていたのである。
兵学校に入学した時には、確かに近郷近在まれにみる秀才であったような人が、海軍という組織の中で純粋培養されると、どうしてこういうバカは思考に陥るのであろう。
陸軍でも海軍でも、本来は戦う集団、敵を倒す職工・ギルドであったわけで、それがいつの間にか統治する集団にすり替わってしまったわけで、この変遷の根本のところに、昭和の軍人の精神の堕落が潜んでいたと私は推察する。
この部分に、先に述べた、目先の聞く頭の良い若者が、時の潮流を素早く感知して、一番自分にとって有利な選択をする、という甚だ汚く卑しい処世術が潜んでいたと考える。
あの戦争中の陸軍では、前線に出ることがある意味で懲罰の意味があったし、海軍では山本五十六が強硬に三国同盟に反対したので、テロで殺されるのではないかと艦隊勤務についたといわれているが、この例でも分かるように、こういう状態では完全に軍の組織が私物化していて、「国家の」とか、「天皇の」という意味合いが全く消滅しているではないか。
陸軍士官学校でも海軍兵学校でも、基本的には優秀な若者が集まっていたと思うが、そういう若者がそこを卒業して、それぞれの軍隊という組織の中で純粋培養されると、普通の世間の常識とはかけ離れた認識に至るものらしい。
それと同じことが内務省についてもいえるわけで、せっかく知の殿堂から難関を潜って入省したのに、その中で純粋培養されるにつれて、普通の処世感覚がマヒして、視野狭窄に陥ってしまうという事は、実に情けない仕儀と言わざるを得ない。
帝国大学に身を置く立場から軍人を眺めた場合、相手は教養・知性のない無頼な輩と映って当然であって、真に教養人であるとするならば、それぐらいの矜持を持ってしかるべきだと思う。
帝国大学に進学したということは、そういう勉学をする余裕のある家に生まれたということであって、そういう余裕のない家の子が、学費のいらない職業訓練校としての陸士や海兵に行かざるを得なかったというのが現実である。
ここで言わんとしていることは、貴族と農奴、大地主と水飲み百姓という出自の問題であって、明治維新で出自による棲み分けが全否定されてしまい、社会の上と下で分をわきまえるという意識がなくなってしまったところに、日本が奈落の底に転がり落ちた遠因があるのではないかと思われる。
このことを別の言葉でいえば、民主化が進んで四民平等が実現したということではある。
そういう背景を勘案すれば、内務省の役人は、陸軍や海軍の軍人たちをもっともっと知力や知恵を内包した言論でもって、彼らの愚昧な思考を牽制してしかるべきであった。
軍人というのは昔も今も極めて単細胞なわけで、何か事が起きるとすぐに「ぶっ殺す!」という常套句を振り回すが、これは彼らの思考が極めて単純で、ボキャブラリーが少ないためにこういう言い方になるのであって、そうであるとするならば、教養知性豊かな帝大での役人は、それを真に受けることはない。
昭和初期の時代に、内務省の役人が軍人をのさばらせたのは、そういう単細胞の軍人の空威張りの言質を真に受けた振りをして、官僚特有の無責任体制でもって自己の安寧と安寧を望んでいたからに違いない。
世界の戦争のプロフェッショナルが、あの戦争中の日本軍を眺めた時の評価は、「兵・下士官は極めて優秀だが、指揮官はバカばかりだ」というものらしい。
戦後に生き残った海軍の将星は47人居たらしいが、彼らはこの評価をどう受け取るのであろう。
日本が戦争に負けたことが見事にそれを実証しているわけで、陸軍にしろ海軍にしろ、指揮官、指令官が有能であれば、戦争に負けるなどということはありえない。
そもそも軍人が政治に嘴を差し挟むことからして軍人の本文を忘れた振る舞いであったにもかかわらず、そのことすら忘却していたわけで、この部分を厳しく糾弾すべきが、本来ならば政党政治家でなければならなかった。
一人の若者がいる。彼は非常に頭脳明晰で成績もいい優秀な若者である。
当然、世情にも長けていて若いにもかかわらず世の中の色んなことを知っている。
その若者が「将来、自分は国家公務員になる」と言ったとしたら、私は心底がっかりする。
どんな立派な口上を並べても、私はそれを信じないし、若いにもかかわらず保身のみの俗物としか見ない。
サブタイトルには「内務省、陸軍省、海軍省解体」となっている。著者は保阪正康氏だ。
陸軍省と海軍省の解体は、あの戦争が敗戦という結末にいたった以上、免れようもないことは誰にもわかる。
しかし、内務省まで解体になるとは普通の人は思っていなかったかもしれないが、それはモノの見方が甘いということだと思う。
陸軍でも海軍でも、ああいう形の敗戦を迎えて、責任をとって自殺した軍人も多いが、亡くなった方々にとっては甚だ申し訳ないが、それで責任から免れるというものでもない。
この本の中にも当然語られているが、陸軍の阿南惟幾は最後の最後の御前会議でも、徹底抗戦を述べて、それが入れらないということで15日の朝割腹自殺したといわれている。
だが、彼の死に対して同情する向きも多いが、私の視点からすれば、問題とすべきは、その自殺ではなくて、彼が徹底抗戦を夢見ていたという事の方が幾許か問題が重大だと思う。
考えても見よ、昭和20年8月14日の東京の街の現状を。
皇居の周りが全部焼け野原になっている情景を目にしながら、それでもなお徹底抗戦、本土決戦を遂行しようという感覚をどう考えたらいいのであろう。
戦争のプロフェッショナルとしての高級参謀、高級将校が、昭和20年の8月の東京の現状を自分の目で見て、それでもなお戦争を継続しようと考えていたとしたら、これを何と評したらいいのであろう。
日本陸軍の精神主義という事はよく言われるが、陸軍のトップといえば当然のこと、陸軍士官学校を出ているし、陸軍大学も出ているであろうが、そういう人間が東京の焼野原を目の当たりにしてもなおもアメリカと戦えると考える根拠は一体なんであったのだろう。
これは何もこ難しい深刻な命題ではなく、普通の人の普通の認識であって、日本陸軍というのは、この普通のことを普通に行うことをしなかったという事である。
日本陸軍のトップにいる人が、ポツダム宣言の受諾を拒否して、なおも徹底抗戦するという発想を、我々はどう考えたらいいのであろう。
我々日本人の価値観では、死者に鞭打つような言質を弄しないのが武人のたしなみと思われているので、誰もそれを深く追及しないが、私は自分自身が卑しい人間の一人と心得ているので、高貴な価値観に捉われることなくモノが言える。
昭和20年8月15日の正午に行われた天皇の詔勅を報ずる放送を阻止しようとしてクーデターまで起きたが、それまでして戦争を継続しようとした本意は一体なんであったのだろう。
この本は全般を通じて陸軍や海軍、内務省の官僚制の気質に迫っているが、惜しむらくは、どういう人々がそういう組織に身を委ねるようになっていったのか、という根本の点については触れていない。
陸軍も海軍も、最終的には組織が硬直化して、官僚システムに同化してしまったので、思考が硬直化したという事だと思う。
けれども無冠の私に言わしめれば、もともとが優れた頭脳が蝟集した組織なので、そういう組織であるとするならば、自浄作用が機能し、内なるエネルギーで、常に思考の新陳代謝があって、イノベーションが日常化していてしかるべきだと思う。
この本の終わりの方で、海軍の将官で生き残った方々の述懐の言葉として、「海軍は良いところで、生まれ変われるものならば再び海軍士官になりたい」という話があったが、この事実こそが海軍という組織がメルトダウンした根本的な理由ではないか。
海軍という組織全体が仲良しグループに成り代わって、自分たちだけでおままごとしている図ではないか。陸軍も海軍も、自分たちは戦争のプロヘッショナルだという自覚に欠けて、戦争を私物化してしまっている。自分たちは天皇陛下から貴重な赤子を預かって、国益のために戦っているのだ、という気概をどこかに置き忘れてしまっている。
彼らはもともとが戦争のプロフェッショナルなわけで、真に戦う集団という自覚があれば、勝つか負けるかわからない戦に手を出すはずはないし、天皇陛下の赤子を無駄に死なせるような作戦は取り得ないはずだ。
そもそも国を挙げてアメリカと戦っているのに、陸軍、海軍とが縄張り争いをしていること自体がおかしいわけで、こんな有様では負けるべくして負けたと言われても仕方がない。
どこの主権国家でも陸軍と海軍が仲が悪いのは普遍的なことではあるが、そのために国が滅んでしまったでは話にならない。
そのことで思い当たることは、日本の当時の戦争指導者には、戦争が大きなプロジェクトだという認識は微塵もなかったに違いない。
無理もない話で、日中戦争からずるずると太平洋戦争に嵌りこんでいったので、戦争目的も取ってつけたような浅薄な思考で、理想主義を高々と掲げたまでは良いが、誰もそれを真面目に受け取ってくれなかったということだ。
戦争には大義が必要で、善きにつけ悪しきにつけ、大義を高々と掲げないことには士気が上がらない。
この本の著者、保阪正康氏も、様々な旧軍人にインタビューして、いろいろな話は聞いているが、それらの言葉の下にある思考の原点にまでは言及していない。
この本の中には、海軍と陸軍の気質を比べる意味で、海軍兵学校は(旧制の)中学生から人材を集めたが、陸軍は幼年学校から人を選んでいたので、そこで視野の広さに相違ができたと述べているが、そんな表層的なことではないと思う。
そもそもアングロサクソン系の人間と、我々大和民族では物事の発想の原点から違っている。
この発想の原点の相違に、我々は今に至っても気が付いておらず、明治維新前の尊王攘夷の思考から脱却できないでいる。
私はアメリカの海軍兵学校も日本の海軍兵学校もこの目で見る機会に恵まれたが、アナポリスの兵学校は、世界中のどこにでもあるコンクリートの建物だが、江田島の兵学校の生徒館は、イギリスから運んできた煉瓦でできた実に荘厳で立派な建物であった。
しかし、太平洋戦争の結果は、ありきたりの建物で学んだアメリカ海軍に我々は勝てなかったわけで、兵学校の教育と建物は何の因果関係もないという事である。
海軍将校を養成するのに、建物の荘厳さや立派さは屁のツッパリにもならなかった、という歴然たる事実を我々は真摯に考えようとしていない。
私自身は航空自衛隊に5年間奉職して警戒管制という職種で青春を謳歌したが、このセクションは一番アメリカ軍の影響が色濃く残っているところであるが、彼らの合理主義は実に見事なものだと思った。
考えてみれば、戦争をする、前線で敵と戦う、戦闘を展開するということは、究極の合理主義が求められるわけで、無駄な行為は極力控え、最小の努力で最高の成果を得るよう行動しなければならない。
そのためには敵情を徹底的に調査し、オペレーション・リサーチを施し、確実に勝てるまで準備を整え、一気呵成にタイミングを逸することなく突き進まねばならない。
戦前・戦後を通じて、こういう発想が我々の側にありえたであろうか。
対米戦を考えるとき、アメリカはオレンジ作戦というマスター・プランを毎年更新していたが、我々の側は真珠湾攻撃の直前まで「すべきか避けるべきか」迷っていたではないか。
究極の合理主義に徹して、最小の努力で最大の効果を得ようとするには、豊富な物量がいるわけで、これが揃わない日本は、最初からアメリカとは戦争すべきではなかったという事になる。
だからそういう意見も最初からあったではないか。
あったけれども、そういう声は数が少ないので、大勢の無知蒙昧な国民の大合唱、イケイケドンドンという民意に押されて、沈黙せざるを得なかったではないか。
陸軍は陸軍で、旧ソ連を仮想敵国としながら、兵力を五月雨式に引いて南方に回して、ソ連が本当に参戦してきたら雪崩を打って崩れてしまったではないか。
あの状況に至っては、関東軍の敗退も詮無い事ではあるが、問題は満州開拓農民を現地に置き去りして逃げ帰った点が糾弾されてしかるべきだ。
こういう戦争の仕方を敷衍してみると、陸軍も海軍も「何故戦争をしているのか」という戦争の意義を全く理解することなく、つまり戦争の大義を考える間もなく、自分たちのご独善的な論理で、自分たちの存在意義を誇示するためにだけ戦いをしていたことになる。
この日本の陸軍や海軍の戦争の仕方を見れば、連合軍としては、日本の軍隊は侵略のために戦っているとしか見えないのも無理ないことだ。
先に警察官の不祥事に関する本を読んだが、その不祥事の発端は、犯罪摘発のノルマ達成が遠因になっているという事であって、警察官も官僚の端くれという事は言えると思う。
陸軍でも、海軍でも、官僚として何の仕事もなく、朝から晩までポーとしておれば、給料泥棒、税金泥棒と揶揄される可能性はある。
そう言われないためには、何か事件を引き起こして、さも一生懸命国益に尽くし、国益を擁護しているというポーズを作らなければ、自分たちの存在価値が疑われる、と思い込んだとしても不思議ではない。
世の中が平和であっては、お巡りさんも軍人さんも、自分たちの居場所がないわけで、何らかのトラブルに一生懸命対応している、という姿を国民に見せなければならなかったに違いない。
世の中が平和で、お巡りさんも軍人さんも朝から晩までポーとしているようならば、こんな有難いこともない筈であるが、そうなればなったで、無知蒙昧な国民の側は「ならばお巡りさんを減らせ、軍事費を減らせ」という事に必然的になる。
だから組織の側は自己の防衛に悪知恵を働かせねばならなくなる。
私の極めて無責任な推測によれば、あの戦争における日本軍の敗因は、軍が官僚に成り下がってしまったところに遠因があると思う。
明治維新で近代化に向けて国民の意識が覚醒された時、当時の我々の先輩諸氏の思考は、トレンドとしてどういう方向に向かったかといえば、やはりそれは富国強兵であったと思う。
西洋列強に一刻も早く追いつき追い越せというスローガンが暗黙の了解事項として人々の胸に伏流水のように流れていたと思う。
そして江戸時代から脱皮して、最初の最も華やかなデビューが日清・日露の勝利であったわけで、これであの時代のトレンデイー思考は、確たる地歩を固めたわけで、それが軍国主義であったということだ。
人間の社会というのは多数の人間が集合して形作られているが、その中には頭脳明晰で学術優秀、目先の利く利発なものも必ずいる。
そういう若者は、頭が良いだけに、近未来の予測にも抜かりがないわけで、自分がどういう進路を選択すれば、自分の願望を叶えれるかという予測にも抜かりがない。
ここで考えなければならないことは、人間、特に若い将来のある若者の生き様であって、人間の潜在的な根本原理、潜在意識は「楽して生きたい」、「楽に生きたい」という事だと思う。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」という俚諺があるが、頭の良い若者がそんなきれいごとの虚言を信じるはずもなく、要領こそ本分と考えて当然だ。
昭和初期の若人が、海軍兵学校や陸軍士官学校に蝟集してきた背景は、表向きは「国のため国家のために命を捧げる」などと殊勝なお題目を並べているが、裏を返せばそういう職業につけば、生涯安泰に暮らせるからだ、という打算に裏打ちされていたと思う。
別の言い方をすれば、極めて巧妙に時流に便乗して、時の大義の王道を歩みつつ、最小の努力で最大の生涯補償を得たということになる。
陸軍にしろ、海軍にしろ、彼らが軍人として自分の職掌に忠実であればあるほど、政治に関与してくる余地はない筈であるが、それがそうなってきたという事は、彼らが極めて巧妙に官僚化してきたということである。
戦後は敗戦の責任を全部軍人、軍部の所為にしているが、これも実におかしなことで、軍に対して内務省という対抗するセクションがあったわけで、こちらは海軍や陸軍の職業訓練校の出身者ではなく、東京帝国大学という教養知性の金字塔の出身者で固められていたではないか。
こちらも優秀な頭脳の持ち主の集合体であることに間違いはないわけで、この知性の塊の内務省が一般庶民の渇望するトレンデイーな時流に迎合するという事は、軍に抑えつけられたという面と同時に、国民の願望に最大限こたえていたということにもなる。
日本の敗北という事は、個々の作戦の失敗の集大成という事であって、陸軍、海軍の職業訓練校としての教育が根本的に間違っていたという事につながる。
よく海軍善玉説で、兵学校では終戦まで英語教育をしていたので、海軍の教育は素晴らしかったと言われているが、冗談ではない。
海軍関係者の話の中ではハンモク・ナンバーというフレーズがよく出てくるが、これは成績順という意味であって、人事が兵学校の成績の序列で決まるという事であるが、こんなバカな話もないではないか。
人間には個性があって、十人十色というのが世間一般の認識ではないか。
これから大きな作戦を実施するという事は、我々のレベルで考えれば、大きなプロジェクトを立ち上げるという感覚と同じだと思うが、こういう場面で学校の成績に固執する企画担当者がいるであろうか。
我々のレベルで考えれば、そのプロジェクトに一番適した人材を適材適所に配して、プロジェクトの完成を目指すというのが普通の思考ではないかと思う。
生きるか死ぬかという重大な作戦を推し進めようという時に、何年も前に卒業した学校の成績で司令官や指揮官を決める、などというバカなことをしていたのである。
兵学校に入学した時には、確かに近郷近在まれにみる秀才であったような人が、海軍という組織の中で純粋培養されると、どうしてこういうバカは思考に陥るのであろう。
陸軍でも海軍でも、本来は戦う集団、敵を倒す職工・ギルドであったわけで、それがいつの間にか統治する集団にすり替わってしまったわけで、この変遷の根本のところに、昭和の軍人の精神の堕落が潜んでいたと私は推察する。
この部分に、先に述べた、目先の聞く頭の良い若者が、時の潮流を素早く感知して、一番自分にとって有利な選択をする、という甚だ汚く卑しい処世術が潜んでいたと考える。
あの戦争中の陸軍では、前線に出ることがある意味で懲罰の意味があったし、海軍では山本五十六が強硬に三国同盟に反対したので、テロで殺されるのではないかと艦隊勤務についたといわれているが、この例でも分かるように、こういう状態では完全に軍の組織が私物化していて、「国家の」とか、「天皇の」という意味合いが全く消滅しているではないか。
陸軍士官学校でも海軍兵学校でも、基本的には優秀な若者が集まっていたと思うが、そういう若者がそこを卒業して、それぞれの軍隊という組織の中で純粋培養されると、普通の世間の常識とはかけ離れた認識に至るものらしい。
それと同じことが内務省についてもいえるわけで、せっかく知の殿堂から難関を潜って入省したのに、その中で純粋培養されるにつれて、普通の処世感覚がマヒして、視野狭窄に陥ってしまうという事は、実に情けない仕儀と言わざるを得ない。
帝国大学に身を置く立場から軍人を眺めた場合、相手は教養・知性のない無頼な輩と映って当然であって、真に教養人であるとするならば、それぐらいの矜持を持ってしかるべきだと思う。
帝国大学に進学したということは、そういう勉学をする余裕のある家に生まれたということであって、そういう余裕のない家の子が、学費のいらない職業訓練校としての陸士や海兵に行かざるを得なかったというのが現実である。
ここで言わんとしていることは、貴族と農奴、大地主と水飲み百姓という出自の問題であって、明治維新で出自による棲み分けが全否定されてしまい、社会の上と下で分をわきまえるという意識がなくなってしまったところに、日本が奈落の底に転がり落ちた遠因があるのではないかと思われる。
このことを別の言葉でいえば、民主化が進んで四民平等が実現したということではある。
そういう背景を勘案すれば、内務省の役人は、陸軍や海軍の軍人たちをもっともっと知力や知恵を内包した言論でもって、彼らの愚昧な思考を牽制してしかるべきであった。
軍人というのは昔も今も極めて単細胞なわけで、何か事が起きるとすぐに「ぶっ殺す!」という常套句を振り回すが、これは彼らの思考が極めて単純で、ボキャブラリーが少ないためにこういう言い方になるのであって、そうであるとするならば、教養知性豊かな帝大での役人は、それを真に受けることはない。
昭和初期の時代に、内務省の役人が軍人をのさばらせたのは、そういう単細胞の軍人の空威張りの言質を真に受けた振りをして、官僚特有の無責任体制でもって自己の安寧と安寧を望んでいたからに違いない。
世界の戦争のプロフェッショナルが、あの戦争中の日本軍を眺めた時の評価は、「兵・下士官は極めて優秀だが、指揮官はバカばかりだ」というものらしい。
戦後に生き残った海軍の将星は47人居たらしいが、彼らはこの評価をどう受け取るのであろう。
日本が戦争に負けたことが見事にそれを実証しているわけで、陸軍にしろ海軍にしろ、指揮官、指令官が有能であれば、戦争に負けるなどということはありえない。
そもそも軍人が政治に嘴を差し挟むことからして軍人の本文を忘れた振る舞いであったにもかかわらず、そのことすら忘却していたわけで、この部分を厳しく糾弾すべきが、本来ならば政党政治家でなければならなかった。
一人の若者がいる。彼は非常に頭脳明晰で成績もいい優秀な若者である。
当然、世情にも長けていて若いにもかかわらず世の中の色んなことを知っている。
その若者が「将来、自分は国家公務員になる」と言ったとしたら、私は心底がっかりする。
どんな立派な口上を並べても、私はそれを信じないし、若いにもかかわらず保身のみの俗物としか見ない。