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ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

「世界の駅・日本の駅」

2012-07-25 10:09:03 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「世界の駅・日本の駅」という本を読んだ。
正直言ってあまり出来の良い本ではない。
大勢の人がそれぞれのテーマに沿っての共同執筆という面では大いに得るところがあるが、その内容がいささか乏しいように思う。
なんとなく物足りなさが残る。
男の子というのは昔から動くものが好きなようで、汽車とか電車、自動車とか船、飛行機とかロケットは、たいていの子供が好きだと思うが、私もその例に漏れず大人になった今でも好きである。マニアと言うほどのめり込むようなことはないが、一応の好奇心は昔から携えている。
定年後、暇があるので、日本中の列車の写真や、列車の映像を撮って歩きたいと思ってはいるが、私のことだから当然、途中で挫折するに決まっているので未だに手をつけてはいない。
途中で挫折するというメンタルな恐怖よりも、暇はあっても金がないという経済の要因の方が大きいことも確かではある。
だから恐らく今後とも、頭の中で思考を巡らすだけで、実際にそれに係ることはないであろう。
駅を主題として文章を書くともなれば、私としては「フウテンの寅さん」のシリーズに登場している、京成電鉄、葛飾・柴又駅を挙げないわけにはいかない。
正確に記すとすれば、京成電鉄金町線、柴又駅というのが本当の言い方であろうが、ついつい寅さんの口上の「葛飾柴又」というフレーズが先に出てきてしまう。
文章を綴るという作業は、どうしても知的運動という捉え方がされがちで、そういうイメージのなかで「フウテンの寅さん」ではイメージにすぐわないようで、固い話題にはなりがたい部分がある。だが、駅について語るとなれば、やはりこの映画を抜きにではありえないように思う。
柴又駅が登場するシーンは、寅さんが失恋して、再びさびしくも悲しく旅に出る場面で、さくらに見送られて電車に乗るシーンである。
私も実にバカな男で、この寅さんの故郷、葛飾柴又がどういうところか自分の目で確かめたくて、現地まで見に行ったことがある。
それで、柴又の駅で降りて、改札口を出て町に向かっていくらも歩かないうちに、寅さんの等身大の銅像があったのには驚いた。
見慣れた例のポーズで立っていた。
私に取って,映画の中の駅ということで言えば、この駅が一番大事なものに見えるが、駅での別れという場面では、『カサブランカ』の中でハンフリー・ボガードがパリから逃れるために,雨の中で列車に乗り込むための別れのシーンであろう。
バーグマンを呼び行ったサム(ドーリー・ウイリアム)が、手紙だけを持って帰ってきて、その手紙が非情にもむなしく雨に濡れるシーンが、駅での別れの最高の哀愁を描き出していた。
駅というのは鉄道の結節点というのみならず、人と人の結節点でもあると思う。
出会いと別れというのは,駅にはついて回る事象であって、それだからこそ,人々にとっては忘れがたいモノなのであろう。
これが自動車が発達してきてモーターリゼーションの時代になると、別れも出会いもそれぞれの家の前ということになるので、味もそっけもない事になる。
人が生きていくのにどちらが便利かと問えば、合理的という意味で自動車の方に軍配が上がるであろうが、合理性の追求ということは、それだけ情緒的なことを犠牲にするということでもあるわけで、一概にどちらが良いということは言えないと思う。
ただ鉄道とモーターリゼイションの共存ということから言うと、貨物の輸送には鉄道をより有効的に使うべきだと思う。
昨今の日本では道路は特段に良くなって、日本全国どこでも車で入っていけれるので、トラック輸送が普及しているが、ヤマト運輸が山間僻地にまでトラックで配達するのは致し方ないとしても、大都市の間を何台ものトラックが行き交う現状というのは再考する必要があると思う。
荷物の輸送.移送というのは、積み替えの利便性の観点から、どうしても戸口から戸口へのトラック輸送が好まれるが、大都市の間を何台ものトラックが行き交う現実は、明らかに日本全体のエネルギーの観点からも、得策ではないと思う。
今はコンテナーという便利なものが普及してきたので、このコンテナーの使い方を大いに工夫して、荷物の積み下ろしの作業の合理化を更に研究して、都市間のモノの移動はコンテナーによる鉄道輸送に切り替えるべく工夫すべきだと思う。
コンテナーの利用ということはフォークリフトの使用が前提になっているわけで、コンテナーとフォークリフトを上手に使い分ければ、貨物列車の運用も今以上に工夫の余地はあると思う。
大都市のモノの移動をトラック輸送から貨物列車の振りかえれば、道路の混み具合も、交通事故の頻度も、運転手の加重な労働条件の改善にも十分に役立つと思う。
巷を走り回っている大型トラックは、荷物を積載量いっぱいにして走っているのではなく、恐らく積載量の10%ぐらいの荷物だけで走りまわっているのであって、その分余計に車がいる。
10トンの荷物を運ぼうとすると、1トンぐらいしか積んでいない車が10台要るわけで、これでは道が混み、事故も起きやすく、運転手も余分に拘束されるという結果になる。
この狭い日本で、戸口から戸口まで直接モノを運ぶというのは、明らかに過剰なサービスであって、それにいくらかでも近づけようとするならば、都市間はコンテナを利用して移動し、各戸には小型トラックで配達するというシステムでなければならないと思う。
正確には知らないが、郵便物もちかごろではトラック便を使っているように見受けられるが、これなども一考の余地があると思う。
コンテナーの利用がこれまで以上に普及すれば、貨物駅の機能ももっともっと充実してきて、従来の貨物駅のイメージとは別のモノになる気がしてならない。
しかし、公共交通機関の発達が進むと、私としては都市機能の分散が起きると思っていったが、実際はその正反対のことが起きて、都市への集中が加速してしまった。
メデイアが発達し、コミニケーションのツールが発達して、人々は従来に比べると安易に情報が得られるようになったら、人々はますます都市に群がって故郷を捨てる傾向になってきた。
そのことは一体どういう事なのであろう。
私が考えるには、我々がこの世の中を生き抜くためには、都市の方が田舎よりも便利だから、単純にその便利さに惹かれて、都市に集まってくるのではなかろうか。
確かに、盆栽や、家庭菜園や、四季折々の自然に接したい人は、田舎に帰る願望を持っているかも知れないが、加齢にともない体の自由が利かなくなってくると、何かと便利な都会に住みたいと思う人が多いということなのであろう。
1時間に一本のバスや、1時間に一本しか電車が来ない田舎では、車に乗れない人は非常な不便をかこっているわけで、そういう人が田舎から脱出したいと願っているのも無理ない話だと思う。

「アメリカ食文化」

2012-07-21 08:59:00 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「アメリカ食文化」という本を読みだしたが、どうにもつまらなくて途中で投げ出してしまった。
アメリカ人の食文化について相当に突っ込んだ論旨であるが、だからこそ私の興味が削がれた、という面もある。
私にとっては、アメリカ人が何を食べようとどうでもいい事で、そういう潜在意識がこの本を読み切るという無為な行為を止めさせる動機になったに違いない。
この本の内容は実にしっかりしたもので、学術的にも価値があることは認めるが、それだからこそ、私の価値観と合わないといえる。
あまりにも真面目で、優等生すぎるので、私は逆に反発を覚える。
アメリカ大陸の先住民の食文化から、大陸から渡ってきた人々が如何に先住民と融合し、食文化を築き上げたか、ということが事細かに綴られているが、その真面目さが私の精神のゆとりを身動きできないところまで追いつめてしまっている。
この本は今のアメリカ人の食文化を説くもので、アメリカの農業に傾注したものではない。
目の前の皿に乗っているものを解き明かそうとしているが、私の興味はむしろ皿に乗ったモノよりも、皿に乗るまでの食糧の生産に興味が傾いている。
私が日頃思っていることは、アメリカ人はケニアのワンガリ・マータイさんの「モッタイナイ」という考え方を真摯に学ぶべきだと思う。
仏教国の我々ならば「モッタイナイ」という概念は、幼児のころから体の中に染みついているが、アメリカ人はまるでそういう概念を持ち合わせていない。
言うまでもなく、それは食糧の浪費についての言及であって、アメリカ人の食糧の浪費の仕方は、我々の想像を絶するものである。
この本の表題は、日本人向けに翻訳されているので「食文化」となっているが、彼らの食べ方には文化というものはありえない。
我々の生き方の中には、食べ物を口にするときは、それを作った人々への感謝の気持ちを鑑みて、TPOに合わせた作法とマナーが備わっているので、そこには自ずと文化が生じる。
同じことは、アメリカ人にも言えるわけで、宗教の影響からとはいえ、作った人への感謝の気持ちをたたえる習俗がある一方で、食べるという行為をただたんなる栄養補給、あるいは空腹を満たすためのミニマムの行為という捉え方をしている。
だから、紙に包んだまま口に持って行っても、あるいは歩きながら食べても、何も良心に恥じることはなく、心の抵抗も感じず、そこには食にたいする作法もマナーも何ら考慮する意思がないので、腹さえ満たせればあとはいくら残っていようとも捨ててしまうのである。
紙で包んだ食料を手づかみで食べる、あるいは歩きながら食べる、という行為を別の言い方をすれば、食事の合理化という言い方が成り立つと思うが、食べる行為に合理化を望む段階で、既に食文化は無視された存在に成り下がっているということである。
文化とは合理化の対極にあるものだと思う。
この「食いさし」を捨てるという行為は、我々の価値観からすると、最も忌むべき行為で、最初から食べられるだけの量を取る、というのが我々の品のある行為とみなされている。
こういう食べることにまつわる振る舞いの中にも、「余ったから捨てる」という行為は、甚だ不経済なことで、その行為を我々はモッタイナイという言葉で表現してきたのである。
その価値観をケニアのワンガリ・マータイ女史は世界に広めたわけで、アメリカ人が無駄に捨てる、あるいは過度に浪費する食糧は、アフリカという地では大きな飢饉を招いているのである。
アメリカ人が自分に必要な分を、必要なだけ摂取して、無駄に捨てることをしなければ、それでアフリカの人たちを大勢助けることが可能だ、ということをこのワンガリ・マータイ女史は言っているのである。
しかし、この本の論旨は、そういう方向を目指したものではなく、あくまでもアメリカ人の食生活にこだわっているので、私は読む気が失せてしまったのである。

「トイレ文化誌」

2012-07-16 12:20:41 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「トイレ文化誌」という本を読んだ。
どうも衛生陶器を作る会社の広報誌の延長線上の文章のようだ。
しかし、生きとし生きるものは、口から食べればそれを体外に出さねばならないのは、生きんがための必然的なことであるが、食べる行為は何ら違和感を抱かないのに、出す行為にはいささか心の抵抗を感じるということは一体どういうことなのであろう。
今の日本の若い女性は、自分の排尿の音に非常に敏感で、それを紛らわすために、何度も水洗の水を流すらしいが、こういう人たちは水がある種の資源だということを知らないのであろうか。
自分の家ではいくら水を浪費しようとも、それは自己責任で、経費は自分にまわってくるが、公共の場でそれをされた日には、資源の浪費以外の何物でもないということになる。
昔から、排泄という行為は、人前で大ぴらに語られる性質のものではないが、これは一体どういう考え方に依拠しているのであろう。
食べるという行為は、人々の賞賛を得ることが往々にしてあるが、排泄を主題にした文学とか芸術は皆無であるということは一体どういう事なのであろう。
排泄行為を恥ずかしい事と認識するのは、おそらく人間のみではないかと思う。
食べることは恥ずかしい事でもなんでもなく、むしろ楽しい行為として、人は集まって会食までするのに、排泄行為はその正反対の価値観になっているということは一体どういう事なのであろう。
我々の世代では、中国のトイレ事情は、「仕切りもない中で極めてオープンに用を足しているので、我々は閉口する」という言い方で、中国の文化度を卑下した言い方が普通であったが、それを卑下する我々の側の価値観が間違っているのではなかろうか。
野生の動物には「恥じらい」という感情を持っていないのだろうか。
人間は「恥じらい」という感情を持っているからこそ、万物の霊長として自然界に君臨しているというjことなのであろうか。
「恥じらう」という行為が、自然界の中の文化度を測るバロメーターになっているということであろうか。
排泄行為に対する「恥じらい」の在り様によって、文化の度合いが測れるとしたならば、中国人が最下層になってしまうが、西洋のキリスト教文化圏においても、中国人ほどではないにしても、かなり鷹揚なもので、我々には及びもつかないことを彼らはしている。
戦後もかなり経っての平和運動の中における野外コンサートの会場で、仮設トイレの便器に座ったままでインタビューに答えている映像を見たことがあるが、我々の常識ではありえない光景である。
これほど極端な例を提示するまでもなく、我々の潔癖性も少し度が過ぎていると思う。
排尿の音を紛らわす、などということはまさしく潔癖性の行き過ぎた例だと思う。
トイレといえば、私は子供のころからこのトイレにはある種のコンプレックスを感じていた。
というのは、小学校から高校を出るまで住んでいた家のトイレは、まさしく別棟の古典的なスタイルの日本のトイレ・便所そのものであった。
小便器と大便所が並んで設置されていたが、この大便所の方の床が、今にも抜け落ちそうに不安定で、冷や冷やしたものだ。
何もないときはそれでもまだよかったが、問題は雨降りで、雨が降ると家の周りの排水が極端に悪く、すぐに床下浸水になってしまうので、あとは言葉にもならない。
当然、古典的な汲み取り式で、月に一度ぐらいの割で農家の人が汲み取りに来ていたが、それがいつの間にかバキュームカーに変わった。
このバキュームカーの合理性には子供心にも大いに驚いたもので、吸い取るときにホースがおおきく脈打つ動きに驚いたもんだ。
父が家を新築してからは、自分の家のトイレの悩みはなくなったが、その後、自衛隊に入隊して岐阜基地に行った時、此処のトイレがそれこそ進駐軍の時のままで、文字通りアメリカン・スタイルそのまんまであった。
洋式便座はともかくとして、扉が真ん中だけしかなく、映画の西部劇に登場する酒場のスイング式の扉のようなもので、上も下もアッパッパ―なのには驚いた。
しかもステップを2、3段上がるようになっていた。
当然、下げたズボンの足元は丸見えで、顔だけが見えないような構造であった。
ここまで来るともう顔が見えようと、見えなくとも大した変りはない。
自衛隊では洋式便座が多いが、日本民族はやはり足もとまで隠れる扉にしてくれるので、安心感に浸って心の平安が維持できることはありがたい。
この自衛隊生活で洋式便座に慣れたので、自分で家を作った時には、当然、それを採用したが、これは慣れてみるとどれだけ楽かしれない。
こんなに楽なことが、日本人の発想からは生まれなかったということは一体どういう事なのであろう。
食べれば排泄しなければならない、というのは西洋人も我々も全く同じはずなのに、我々には楽をするという発想が、21世紀に至るまで出てこなかった、ということは一体どういう事なのであろう。
我々の民族は、自分の立ち居振る舞いにおいて、楽をする、楽な姿勢でする、楽な方法を考える、ということを罪悪かのように考えていた、ということは一体どういう事なのであろう。
洋式便座が楽だということがわかると、それを更に推し進めて、お尻を水で洗うという手の込んだ機能にまで発展させたけれども、こういう思考の展開をどういう風に考えたらいいのであろう。
この発想の元には「排泄する行為が不浄なことだ」という認識が、我々の潜在意識に刷り込まれていたが故に、それに対する革新的な思考が封印されていたのではなかろうか。
排泄という行為をするポーズには、民族によって、つまり西洋人と我々日本人の間に大きな違いがあるわけはない。
しかれども我々日本人は誕生以来、古典的な基本スタイルのままで今日まできて、西洋人のように楽な姿勢で用を足すということを思いもつかなかった。
我々の、日本民族の、先輩諸氏がそのことに思いも寄せなかったということは一体どういう事なのであろう。
それと合わせて、人間の屎尿が肥料になるという着想も、我々の経験則から導き出された考え方なのであろうか。
我々の民族は、大阪、江戸という都市化の下で、人々の屎尿を金を出しても買い集め、それを作物の肥料にするというアイデアは経験から悟ったようで、それ以前は、その効用に無頓着であったため、そのまま捨てていたように思われる。
だとすると、日本人以外には人糞を作物の肥料にすることは行われていなかったのだろうか。
戦後もしばらく日本の都市ではよほどの中心街でないかぎり畑が皆無というところはなかったわけで、町の中でも畑がある限り、肥料を撒いたので、どこに行っても人糞の匂いがしたものである。
この匂いこそが、我々の文化度のレベルの低さを指し示していたわけで、我々はそのことに大いにコンプレックスを感じたものである。
しかし、その事から考えても、今の若い女性が放尿の音を紛らわすために余分の水を流すという行為も、文化に対するあまりにも奢った考え方だと思う。
しかるべき場所で、しかるべき自然現象を処理しているにすぎないのに、それに対して過度に反応して、自己満足に浸るという行為は、自然を冒涜する行為だと思う。
自分が排泄したものが汚いという感情も、私に言わせれば人間の不遜な思い込みだと思える。
普通の常識というか、一般論で言えば、口から摂取した食物を体内においてそれぞれの機関が、それぞれに機能して、生命維持に必要な養分を汲み取った滓なわけで、もうこれ以上必要な養分は残っていない不要物として対外に排泄されるのであって、汚いから出てくるわけではないはずである。
だから、その始末をしたからといって、特別に汚いものを触ったというわけではないと思う。
とはいうものの、人間の生きる目的のためには明らかに不要なものなので、ミニマムの清潔さを保つという意味で、手を洗うことはやぶさかではないが、そうそう神経質に潔癖に洗う必要はないと思う。
エチケットと言うと何となく聞こえはいいが、それはある種の見栄でもあるわけで、事の本質とはあまり関係がない。
この本の表題も、真正面から「トイレ文化誌」となっているが、口から食物を入れるときは、人々は着飾って、歓談しながら、楽しげな時を過ごそうと勤めているが、排泄の時はそういう気配りが一切ないというのは、一体どういう事なのであろう。
排泄に伴う匂いが、そういう雰囲気を阻害しているのであろうか。
しかし、匂いなどというものは実に刹那的なもので、姿かたちがあるわけではなし、すぐに消えてなくなるが、実の方は現実にその場に残るわけで、その実の放つ芳香が、人々の嫌悪の対象なのかもしれない。
だからと言って、生きた人間は、その生理現象を避けて通るわけにはいかないわけで、生きている限り、誰でも公平に、その機会を負うことになっている。
だから私の個人的な考え方としては、他者の排泄行為を咎める気はそう大きくはないが、それよりも本人の羞恥心の在り様の方に興味をひかれる。
羞恥心に関んしては、それぞれの民族において価値観が違うので、羞恥心にも大きな格差があることは今まで述べてきたとおりである。
その中でも特に日本の若い女性の羞恥心というか、排尿の際の消音にまで気を使うという行為は、行きすぎだと思う。
この行き過ぎという部分が大いに問題なわけで、どんな問題でも、過度の行き過ぎということは十分あるわけで、自分の排尿の音を他者に悟られまいと、余分に水を流す行為は、資源の浪費に直結している。
自分のことにだけに気を配っても、大勢の他者の環境とか、資源節約に無頓着な文明人ということになる。
自分は綺麗好きな文化人だと思っていても、水という資源の浪費を、意識しないうちにしているようでは、それこそ非文化人でしかない。
私自身も、この生理現象に関しては、人に言えない数々の失敗談があるが、世の中の人は大なり小なり私と同じような体験を持っているに違いない。
けれども私自身でも人に言えない失敗談である限り、墓場まで持っていくほかないが、世間の人も口で言えない失敗談である限り、誰にも語ることなく一人胸の中に仕舞い込んでいるに違いない。
この本の中にも紹介されているが、劇場をはじめとする公共施設では、一時的に利用者が殺到して長蛇の列ができることがあるが、こういう場所では女性用のスペースを男性用に比べて倍ぐらいにする配慮が必要だと思う。
江戸時代のような男性優位な時代ならともかく、女性がこれだけ活躍する時代に、男女同権を持ち出すまでもなく、同じスペースでは女性に対する配慮が足りないと思う。
それと同時に、今の日本では公共施設のトイレはすべて無料であるが、トイレが無料というのも日本独自の価値観だと思う。
日本以外の国では結構有料トイレがあって、わずかな金額ではあっても、お金を徴収するシステムがあって、完全なる無料で、誰でも彼でも自由に使える、という施設の方が少ないように思える。
快適なサービスには金が掛かるというのは資本主義の原点ではないかと思う。
私自身、人に言えない糞尿譚を数多く抱えているので、ヨーロッパを観光旅行した際、フランスのトイレ事情に特に興味を持った。
それでさまざまな本を読んでみると、フランスの都パリでは、二階の窓からオマルの中身を捨てたとか、ベルサイユ宮殿にはトイレがないとか、面白い話を見聞きしたが、まさしく糞尿譚というのは面白い。
人間が生きるということは、食べることと同時に排泄という行為が付きまとうわけで、個々の人間一人一人にそれぞれに糞尿譚があるということではなかろうか。
それも一人一人の個人の羞恥心と価値観で、大きく異なるわけで、我々の一般論としての認識からすると、羞恥心の大きさが文化度の成熟さと比例しているような錯覚に陥っている。
何度も述べたように、若い女性の排尿の音に対する対応の仕方も、この羞恥心と文化度の比例の関係の中に埋没されているような気がしてならない。
自分の排尿の音を、他者に悟られまいとして余分な水を流すということは、自分が過度な羞恥心の持ち主で、そのことは同時に文化の度合いが極めて高い事を誇示しているのと同じであろう。
ある意味で自分の無知を曝け出している行為でもある。
トイレの中で、他人の排泄の音を気に掛ける人間などいる筈はないが、いる筈のない事柄にまで、気を配るというのはあまりにも過剰な潔癖性だと思う。
ある意味で、独りよがりの思い込みに過ぎないが、世間ではこういう振る舞いを、善き事として認識する気風があって、それが資源、水の浪費につながっていることを見落としている。

「泰平のしくみ」

2012-07-12 09:08:47 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「泰平のしくみ」という本を読んだ。
サブタイトルには「江戸の行政と社会」となっていた。
出版社は岩波書店であった。
著者は藤田覚と言う人で、東京大学の日本近世史の教授ということであるが、とにかく読みにくい本であった。
史料の引用がふんだんにあることが良い事なのか悪い事なのかさっぱりわからない。
読む側、この場合は私自身であるが、古文の解読には馴染みがないという意味で、引用された史料が素直に読めないので、本全体が読みにくくて仕方がなかった。
凡人のやっかみとして、大学の先生たるものが、素人向けにこんなに読みにくい本を出版していいものだろうか。
学術誌や学会誌ならばともかくとして、素人向けに書いた本と思われるものがこんなに読みにくいようでは、学問が学問足り得ないのではないかと思う。
学識経験豊富な大学の先生が、素人向けに本を書くのであれば、判りやすさに重点を置いてモノを考えるべきではないかと思う。
江戸時代の約270年にわたる太平の世というのは、平和で、文化が爛熟した時期ということは十分に理解できる。
270年間も平和な時期が続いたという点では、何がそうさせたか、というその根源的なものを考えることが現代人の思いとして当然のような気がする。
私の浅薄な知識では、江戸時代イコール封建主義の時代イコール抑圧と搾取という図式でしかモノを見られないが、この本を拾い読みする限り、そうでもなさそうである。
この地球上に生れ出てきた人間は、自己の生存を維持するために必然的に群れを成して生きざるを得なかった。
ロビンソン・クルーソーのように、たった一人では生きておれないので、群れをなさなければ種の保存さえ不可能なわけで、群れを成すとなると必然的にリーダーの輩出という問題に直面する。
群れの中で、誰が一番それにふさわしいかということは、群れの構成員一人一人の思いが違っているため、かならずしも一人の人間に集約されることはないだろうが、大体は人望のある人に限定されることは間違いないだろうと思う。
だがこのケースは統治の局面であって、富の集積とはまた別の課題であることは論を待たない。
自分の仲間としての群れ、言い換えれば地域社会において、統治上の人望と富の集積の上手下手は両立しないようにみえるが、頭の良い人というのは、何ごとにも如才がないわけで、その両方を兼ね備えた人がいても不思議ではないし、現実にはそうなっている。
人の群れ、いわゆる民族にもその大きさの大小があるわけで、大きくて広範な地域に広がって生きているグループと、小さなグループで狭い地域にまとまって生きているグループがある。
これらには当然のこと各々のグループに適した生き方の相違がある。
その相違こそが文化というものであるが、そういう意味では統治の手法も、文化の一側面をなしているといえるが、統治という作為は、安全保障も民心の安定ということも、合わせ持っている。
江戸時代、約270年の太平の世というのは、この両方が見事にバランスよく機能した時期と言える。
それは我々の民族の置かれた環境が、四周を海で囲まれた特異な状況であったということも大きく影響していることは言うまでもない。
とはいうものの、その中で生きていた民族が優れていたから270年も安泰の世が続いたということもいえる。普通の自然の成り行きを素朴に考えれば、原始人の集落の中においても、富を集積できる人とそうでない人は、必然的に分かれてくると思う。
富を集積できる人は、周りの人より何処か優れた点があったからこそ富を集積できたので、それは同時に人を統率する才にも長けていたに違いないと思われる。
封建領主が人々を抑圧し搾取し続けたというイメージは、共産主義者に依って歪められたイメージであって、封建時代だからと言って、全部が全部、悪代官ばかりであっというのは間違った認識だと思う。
この本に描かれた江戸時代の人々は、決して搾取されるばかりの人々ではなく、今の日本社会と極めてよく似た社会状況であったみたいだ。
そのことは言い方を変えれば極めて民主的な社会ができていたということが言える。
と言うよりも、当時の武士階級というのは、今の社会に置き換えれば、各省庁の官僚の立場に酷似しているが、この官僚が案外下々のことを念頭に置いて行政を司どっていたように見える。
決して、上から下への一方通行ではなくて、相互に意見を交換し合って、落としどころを探り合っていたように思える。
そして、統治する側としては、社会的インフラ整備を実施するについて、誰に何をどうさせればいいか、という問題は極めて難しい問題で、入札という方法に落ち着くのだが、これはこれで談合という不明朗な仕組みを誘発してしまうので、統治する側としては頭の痛い事であったに違いない。
しかし、「入札や談合が不明朗だからいけない」、というのは現在の価値観であって、社会システムが複雑化してきて、利害得失が輻輳する中においては、こういう手法の意義も大いにあったと考えるべきだ。
談合などは「業者側が不当に儲けるからいけない」という論理であるが、確かに適正価格を大幅に逸脱すれば不整合を指摘されても仕方がないが、業者側は業者側として、従業員を養っていかねばならないので赤字を承知で請けることも叶わないであろうと思う。
江戸時代においては、今の日本のように民主主義が確定していたわけでもないのに、案外民主的な手法で統治、行政が執り行われていたようである。
テレビの時代劇で見るように、悪代官が全国で跋扈していた風にも見えない。
案外、民主的な手法が広まっていたように見えるが、それは同時にその時代の人々の発想が民主的な思考に極めて近い事を指し示していると思う。
江戸時代と今日では、同じ日本人でもその数に大きな開きがあると思う。
江戸時代は今よりもうんと日本人の数がすくなかったに違いない。
しかし、我々の民族としてのモノ考え方は、あまり大きく変化することなく今日まで来ていると思う。
ところがここで江戸時代が終わって、新しい明治という時代を迎えると、我々の古来のモノの考え方は、新しい西洋の潮流に席巻されて、その基底にぐらつきが生じてきた。
明治維新を経て、新しい西洋の考え方を目の当たりにしたとき、自分たちの古来の考え方が間違っていたのではないか、という不信感に苛まれてしまった。
結果として、それがその後の革新的な思考として確立されて、日本の大学の先生方が、それに権威付けを行ってしまった。
我々は四周を海という外壁で囲まれていたので、その中である意味で純粋培養されたようなもので、日本流の民主主義がその中では醸成されていた。
ところが、この日本流の民主主義というのは、キリスト教文化圏で言うところの民主主義とは一味も二味も違っていたが、その微妙なニュアンスの違いを表現する適当な言葉がなかったので同じ民主主義という言葉で間に合わせしまった。
だから、その本質のところで大きな相違を内在しているにもかかわらず、今の我々が民主主義という場合、キリスト教文化圏のイメージでそれを理解しているので、どうしても細部に齟齬が生じている。
例えば、「多数決で事を決める」という時、我々の学識経験豊富な人々は、全員一致でなければ多数決と認めない。
これでは絶対主義そのものであるにも関わらず、日本の学者先生方は「少数意見をどうするのだ?」という原理原則を踏みにじってまで綺麗ごとを並べ、良い子ぶるが、民主主義にも多数決にも、負の側面を併せ持っていることを無視して、良い面のみを汲み取ろうとするから、こういう不合理が罷り通るのである。
キリスト教文化圏でいう民主的な多数決原理に則れば、51:49で事が決しても、それはそれで認めなければならないが、我々の学者先生の発想では、「その49の意見は全く無視して良いのか」ということになる。
キリスト教文化圏では、この部分はいた仕方ないという認識で、素直に敗北を認める思考であろうけれども、我々の学者先生の思考は、そう単純に諦め切れずにしこりが残る。
だから我々の場合は、こういうケースでは示談ということが行われて、限りなく絶対主義に近いが、決定は密室で行われ、単純明快に結論を導き出すのではなく、粘り強い交渉で、大方の総意をとりつけて、違う意見の人をできるだけ納得させるべく知恵を出し合う努力をするのである。
ところがこういうケースでも、西洋の新しい思想、特に共産主義というような極めて人間の理想の実現にエネルギーを傾注しようとする新思考に、人々は感化しやすいわけで、それに真っ先に感化したのが皮肉なことに大学をはじめとする智識階層であった。
これは、かっては仏教に帰依し、後にはキリスト教に帰依し、その後では共産主義に身も心も捧げた構図であって、我々の民族の歴史的軌跡であるといってもいいと思う。
そしてこういう誘惑に一番弱い人々は、知的に優れた人たちで、高学歴で、体制に不満を持つ日和見な人々である。
共産主義の理念というのは、非の打ちようのない人間の理想社会を描き出しているわけで、純粋で心に穢れのない人間ほど、その理想の虜になり、現実の社会を直視することを忌避して、絵に描いた餅を追いかけることになるのである。
こういう絵に描いた餅を追い求める無知蒙昧な大衆に対して、「そういう無為な行為に現を抜かしていてはいけませんよ」と、現実を直視すべく若者をリードすべきが本来の大学の先生方の使命ではなかろうか。
こういう理想の実現には、今、目の前にある現実の秩序を御破算にしないことには次なる新しい社会の建設には進めないので、とにもかくにも、現行の秩序破壊に血道を開けているのである。
その結果として、統治者、為政者、お上、権力者等々の提示する新しい建設的な意見には、すべて反対意見を投じ、統治、あるいは行政の施策が滞るように仕向けるのである。
彼らの行動の原理としては、自らの責任とか成果が、為政者のする施策を邪魔するだけなので、民族だとか国家だとか同胞のためにするという認識はいささかもない。
そういう思考を、戦後の大学と称する高等教育の場で若者に教えていたわけで、公立の高等教育の機関で、こういう教育を受けた次世代が、古い価値観の国家意識を醸成するわけがない。
江戸時代でも、持ち場立場で利害得失が異なっているのは当然で、為政者としては何らかの裁定を下さねばならない場合も多々あったにちがいない。
こういう場合に公平という価値観も当然存在していたに違いないと思うが、その裁定は多数決で決められたとも思えない。
今まで述べた様に、示談とか、談合とか、入札という手段で裁定がなされたと思うが、この事実を今の日本の学識経験者の感覚で言えば、「古い封建主義的な問題解決の手法」ということになるのであろう。
我々日本民族は、古来からこういう問題解決の知恵を持っていたにもかかわらず、明治維新で西洋のキリスト教的な新思考に接すると、旧来の自分たちの知恵に自信を無くして、自分たちは古い人間だと勘違いしてしまった。
この間違った認識が、我々、日本民族の上に暗雲のごとく覆いかぶさって、我々は古い思考を捨てて、新しい思考に一刻も早く乗り換えなければ時流に乗り遅れると勘違いしてしまった。
いわゆる昭和時代の初期に流行った「バスに乗り遅れるな」という思考と同じであって、西洋のものなら何でもかんでも憧憬の眼差しで見入るという風潮におちいってしまったのである。
その最も顕著な例は、為政者の指示に従わないということで、お上の言うことには何でもかんでも反対するという風潮である。
この本の中でも頻繁に述べられているが、江戸時代の幕府も、案外、下々の生活には気を配っていたようだが、こういう事はどういうものか歴史として表面に出ることがなく、歴史と言えば為政者の歴史しか歴史として認識されない。
だから江戸時代の物語で注目を集めるのは悪代官のような体制側の悪人しか話題に上らないのである。
いつの世でも、善政を敷いた為政者は、それが統治として極めてスタンダードな有体であるが故に、話題性に乏しく、悪い為政者こそが後世の語り草としては価値が大きいということになる。

「日本人はなぜ海外で通用しないのか?」

2012-07-06 07:01:02 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「日本人はなぜ海外で通用しないのか?」という本を読んだ。
この本も新刊書のコーナーから借りてきたので新刊のほやほやである。
先に読んだ、「超・底力」とは真逆の表題で、これらの本が並んで展示してあった。
我々、日本民族の潜在能力も確かに目を見張るものがあると思うが、我が同胞の海外での活躍のシーンがあまり評価されないのも真実だと思う。
しかし、海外で我々の同胞が相手からどう思われているのか気にすることも、我々同胞の特質ではなかろうか。
時々、中国人が過去の日本の業績を非難するアクションを起こすが、彼らは自分たちの同胞、つまり中国人が日本で如何なる悪事を働いても、いささかも良心の呵責に感ずることはないわけで、それが彼らの国民性の大きな特徴でもある。
彼らは自分の国内に50もの民族を抱え込んでいるので、我々日本人の認識で言う「同胞」という概念が確立し切れないのも無理からぬことかもしれない。
彼らは自分の祖国という概念を持っていないので、世界中に分散しているが、行った先々で自分たちのテリトリーを形成し中華街を作り、リトルワールドを形造る。
ところが我々は、先方から「日本人が中国の地で悪行三昧をした」と言われると、心の底から贖罪の気持ちに苛まれて、良心の呵責に耐えきれずに先方の言いなりになってしまう。
そういうことが度重なって、中国をはじめとするアジアの人々は、日本に対する対応の仕方を学んでしまって、日本に対応するときは、歴史問題をぶつければ譲歩が得られるということを学習してしまった。
日本人が海外で活躍できないというのは、言葉の問題もさることながら、我々の民族としての生き様も、大きく影響し合っていると思う。
というのは、今も申したように、外交下手というか、我々の固有の倫理感が、自分で自分の手を縛るという自虐的な思考に至っている面がある。
先にも述べたように、中国をはじめとするアジアの人たちから、「日本は過去に我々を侵略した」と言われると、それを真っ正直に正面から受け入れて、真に生真面目にそれを受け入れようとする。
口先三寸で、饒舌に、そして能弁に自説を押し通して、相手を煙に巻くという芸当ができない。
巨大な資金を持っていても、ニューヨークタイムズの紙面を金で買って、自己の主張、正当性を世界に向けてアピールするという芸当ができない。
日本は第2次世界大戦後、憲法で戦争放棄を謳っているので、相手の主張を武力でもって跳ね返すことはできないが、そうであればこそ言論でもって自分の意見を主張して、相手の非を暴き、国際世論に訴えて、自分の正当性を世界に知らしめるという行動をとるべきであるが、そうはしない。
世界の中で生き抜くということは、生き馬の目を抜くような熾烈な生存競争を掻い潜るということである。
そこでは善意や、好意や、良心は何の役にもならないが、我々はあくまでも我々の倫理感に依拠した価値観の中で生きようとする。
この我々の価値観は天地神明に誓って「良い事」だ、世界に対して普遍的な「善だ」という思い込みは、ある意味で我々の独善でもある。
昨年の東日本大震災でも、内外から大きな支援を仰いだことは事実であるが、基本的には我々自身の復興への努力があったわけで、それは同胞内の助け合いに他ならない。
これも我々が海で囲まれた同質性の極めて高い民族であるが故の一側面であって、我々は危機に瀕すると、内側に固く結束する民族性を持っている。
アジアの日本以外の諸民族は、それぞれにヨーロパ先進国の植民地にされたが、日本は戦争で敗北したとはいうものの植民地になったことはない。
しかし、彼らは植民地になったことで、宗主国の言語を安易に受け入れて、自分たちの言語を捨てて、相手国の言語を引き入れた。
我々は戦争でアメリカに敗北し、国土はアメリカに占領されたが、言語までアメリカ化したわけではなく、日本古来の言語を維持し続けた。
ところが21世紀という時代になると、これが裏目に出て、言語がアメリカ化しなかったが故に、グローバル化に立ち遅れそうになってしまったのである。
21世紀における地球上で、先進的な文化を享受しようとすると、どうしても英語を抜きにはあり得ないわけで、英語の不得意な我々は、どうしても後塵を被るということになってしまう。
英語が不得意なままでは先端の文化についていけないということは、我々も十分に判っているので、その部分を何とか克服しようと官民上げて努力しているが、その成果は思わしくない。
21世紀の地球がグローバル化して、ヒト、モノ、金が国境を自由に超えて行き来するようになれば、当然のこと、英語が共通言語になりがちであるが、その意味で我々の民族は極めて不利な立場に置かれていることは言うまでもない。
だが、人間の意志というのは言葉だけで通じ合えるものではないと思う。
ボデイー・ランゲージという言葉があるように、意思の疎通という意味では、心の内のことも態度やしぐさで表現することも可能である。
会話の中の単語を全部逐一翻訳しなくとも、通じ合える部分は多々あると思うが、その意味からすると、我々が外国人と対峙したときに、日本人としてどういうメンタリテイーで相手と向き合っているのか、ということはかなり重要なポイントだと思う。
この本の趣旨は、日本人が海外で働くには如何なるスキルを得ればいいか、を説きあかそうとしているが、この発想は、日本は後進国だから先進国の中で金を稼ぐためのノウハウを説こうとしている。
だが、そのためには語学の習得が必須であると説いているのである。
そもそも今の日本の若者は、これまでの我が同胞が潜在的にもっていた上昇思考、西洋列強に追い付き追い越せ、歯をくいしばっても頑張るという、一昔前のガッツな精神を持っていない。
失われた20年と言いつつも、日本はあまりにも恵まれているので、何もしなくても生きることが可能な有難い世の中になったということだ。
アメリカへの留学生がアジア諸国の中で激減したのが日本だといわれているが、無理もない話だと思う。
今の我々の置かれた状況は、居ながらにしてどんな勉強でもできるわけで、何も苦労してアメリカなどにいかなくても、自宅でいくらでも高度な知識の習得は可能である。
我々の日本民族は、明治維新を経て、太平洋戦争を経て、戦後の復興を経て、今日に至っているが、我々が変わったと同じように世界もそれなりに進化しており、その進化の度合いには大きなバラツキがあることも厳然たる事実である。
こういう多種多様な世界の中で、日本人が活躍しているニュースを聞くと、同胞としては鼻の高い思いがするが、こういう発想こそ日本人の狭量なところなのであろう。
世界のあちこちで飛行機が墜落すると、ただちに「邦人が乗っていたかどうか」が報じられるが、ここにも我が同胞の心の狭さが垣間見えてくる。
我々は、この狭い四つの島から飛び出して、世界という大地で活躍している、我が同胞の存在を我がことのよう嬉しく思っているわけだ。
その意味で、今の若者は自分の国の外に出て自分の可能性に挑戦してみよう、と考える覇気のある人が少なくなったことは間違いないであろう。
それは少子化傾向の中で、大事に大事に育てられたので、冒険ということを体験しておらず、自分の限界に挑戦してみるということを知らないからだと思う。
我々の子供のころは、家の周りのフィールドがすべて冒険の場であって、冒険しすぎて親や近所の大人に叱られて育ったものだが、今のアスファルト・ジャングルではそんなことを望むべくもない。
幼少のころからゲームに夢中であれば、成人になってもその延長でしかないことは言うまでもない。
そういう子供が大学に入って、「さあ海外に留学せよ」といっても、誰も手を上げないのは当然だろうと思う。
我々は今あまりにも恵まれた環境の中に置かれていると思う。
不況だ不況だと言いながらも、人々は生きているわけで、生活保護を受けながらパチンコで暇つぶしできている世の中にいるのである。
私自身、定年退職後、職にも就かず年期で生活できているわけで、贅沢さえしなければこれで十分である。
年金が年々目減りしてはいるが、死ぬまでにゼロになるということはないであろう。
日本がこういう社会を作り上げたのは、我々の前の世代が一生懸命努力した結果を、今、次世代としての我々が享受しているわけで、前の世代の日本は、まさしくモノ作り立国であった。
日本国内でモノを作って、それを輸出することで国が成り立っていた。
その結果として日本は豊かになり、豊になれば人件費が高騰し、製造業は国際競争力を削がれて、海外に生産拠点を移さざるを得なくなった。
ここで海外で通用する日本人の存在がクローズアップされるようになったが、人件費が高くなったので、労賃の安いアジアに工場を移す、という発想は極めて安易で、知恵のない思考だと思う。
究極の金儲け主義そのもので、自分たちの歴史をいささかも顧みることのない、無学文盲の発想である。
ただただ人件費の削減という目の前の課題のみに目を奪われて、日本の過去の振る舞いについていささかも考察した節が見当たらないし、相手、特に中国に対する認識をいささかも考察したように見えない。
ここにある思考は、ただただ儲かれば良い、相手に対する思いも、自分のしている行為の不合理さも、そういう内省の気持ちが少しも見られないわけで、エコノミック・アニマルの実態そのものの姿でしかない。
我々日本人のモノの考え方は、どうしても戦略的思考に欠けて、対処療法的な思考になってしまいがちである。
日本が経済復興をなして、その結果として人件費が高騰したのだから、人件費の安いところを探して、そこに工場を移すという発想は、水が低い方に流れるのと同じで、極めて自然に近い発想で、誰でも彼でも、子供でも思いつく思考であって、それをそのままストレートに実践するのでは、大人としてモノを考察する思考回路が丸々抜け落ちているではないか。
人間として、モノを考えるという行為が丸々抜け落ちていて、知恵の存在がいささかも感じられないではないか。
これでは戦略的思考の対極にある、つけ刃式、あるいは泥縄式の対処療法そのものではないか。
ここで日本人として考えねばならなかったことは、我々の人件費の高騰を如何に克服するか、という思考であった筈である。
人件費の高い社会というのは、ある意味で成熟度の高い社会ということも言えるわけで、その成熟度というのは、福祉が充実しているということと同義語であって、働かなくても食わせてもらえるということである。
然し、日本の人件費の高騰で、日本の製造業がアジアに工場を移したことは、アジアの人に雇用を与え、生活のレベルアップを図り、モノ作りのノウハウを伝授したことでもあるが、彼らにはそういう意識は微塵も存在していないと思う。
言い方を変えると、日本はアジアへ工場をシフトしたことで、アジアの人々の生活のレベルアップに貢献した、と言うことが可能であるが、こういう視点にたつと、日本人の世界の中の存在感は実に偉大で大きなものがあるように思える。
アジアの人々の植民地からの解放は、日本が西洋列強のアジアでの軍事力をことごとく削いでしまったことにある。
フランス、イギリス、オランダという旧宗主国のアジアでの基盤を、日本が根こそぎ破壊したことによって、これらの国々は曲がりなりにも独立ができたわけで、そういう国々に日本は再び工場を作り、現地の人々の雇用を確保し、現金収入を得る方策を講じたわけで、結果として日本の存在がアジア諸国の自立を促したといえる。
とはいうものの、我々は中国人に対してはおさおさ注意を怠ってはならない。
彼らはかの地で生まれ落ちた時から、日本に対するコンプレックスに苛まれているので、彼らの潜在意識としての対日感情には今後とも注意を怠ってはならない。
前にも言ったように、我々は中国人に対しては、いわれなき贖罪意識にさいなまれているが、先方は先方でいわれなき優越感を持っていることを忘れてはならず、安易に妥協する愚は犯すべきではない。
彼らの言動には細心の注意を払って対応しなければならないが、その最も根源的なことは、彼らには善意や好意や良心でもって対応してはならないということである。
冷静な理性と判断力でもって、厳密に損得勘定を勘案して、策略、計略、陰謀、その他もろもろの手法でもって国益を維持すべきだと思う。
独りよがりの思い込みで彼らに接すれば、それこそ「庇を貸して母屋を盗られる」ということになりかねない。

「世界がうらやむ日本の超・底力」

2012-07-02 10:57:09 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「世界がうらやむ日本の超・底力」という本を読んだ。
図書館の新刊書のコーナーから借りてきた本なので、それこそ新刊で、今年の5月に初版がでた本だ。
この本の隣にはやはり同じような新刊で、タイトルは真逆の本があったが、その二つとも借りてきた。
私は言うまでもなく貧乏なので、本を買う金がなく、図書館で借りて読んでいるが、こういうのは基本的には本屋の敵なのであろう。
自分の金を出さずに、公共の図書館の本を読んでいるので、本屋、あるいは出版界には何一つ貢献していない。
だから、そちら側から見れば嫌な人間に映っているのだろうなあと思う。
それはさておき、この本の言うように、日本の底力は素晴らしいものがあるとは思うが、これを自分の側、つまり内側から言うと、まさしく我田引水、自画自賛ということになってしまうように思えてならない。
この本の中では、冒頭から、先の震災、東日本大震災の時の復興の速さについて賞賛が述べられている。
だが、確かに自衛隊をはじめとする各救援隊の活躍も素晴らしかったが、それはある意味で対処療法には素晴らしい活躍をするが、長期のスパンに立って、恒久的な復旧作業については字義通りの素晴らしさがあるかどうかは極めて心もとないと思える。
我々、日本民族というのは、目の前の事態に対する対処療法には素晴らしい能力を発揮できるが、その事態に政治的要因が入ってくると、途端に馬脚が現れる。
あの東日本大震災で一番の恐怖は、東京電力福島第1発電所の被災であったわけで、それに対して時の政府、管直人が総理大臣として、あの原発事故に政治的関与したから、混乱が生じたのである。
素人考えではあるが、原発事故に関しては、現場の責任者が一番事情を掌握していると思うのが常識であって、その現場責任者に対して、東京電力の本社や、政府、管直人がいらぬおせっかいを出すから、混乱したのである。
東京本社にしろ、政府官邸にしろ、現場責任者以上に事情が分かるわけがないではないか。
だからこういう場面では、現場責任者にすべてを任せて、その人が十分に対応できるように環境を整備することが先決で、「俺の方が地位が上だから」などという、狭量のセクショナリズムを振りかざすことなく、責任だけは上が取るという明確な安心感を表明すべきだと思う。
こういうことは、モノ作りの状況とも大きく異なるところで、こういう部分では、我々は実に稚拙な能力しか持ち合わせていない。
あの大震災の復興が極めて短時間になされたということは、我々の民族の誇りとするにやぶさかではなく、それは我々の民族が総体として非常に生真面目だということでもある。
鉄道員が線路を徒歩で被災カ所を点検したなどということは、その真面目さを如実に示すところであるが、こういう使命感こそが我々の民族の宝でもある。
しかし、あの大震災も1年3か月も経過すると、そろそろひずみも出だして、仮設住宅からタクシーでパチンコ屋に向かう被災者も出てくるようになったらしい。
被災者の言い分としては、家も失い、職も失い、何もすることがないのでパチンコで気晴らしするほかない、ということだが、ならば被災者の為にと思ってボランテイアー活動している人の立場はどうなのかということになる。
我々、日本民族は、モノ作りという場面ではどこまでも真摯な態度で目の前の課題に取り組むが、モノ作りを離れて、如何に生きるか、如何に社会を構築する、かというソフトの面になると思考回路が閉鎖的になってしまって、敏感な触手を鈍らせてしまう。
我々の置かれた地勢的な条件、つまり四周を海で囲まれた極めて単一民族に近く、言葉で何もかも言いあらわさなくても理解しあえる環境において、人と人との関係に思い煩うことに不慣れで、お互いに相互理解という認識が極めて希薄なことが政治的な稚拙につながっているように思う。
この本の中でも、海水を真水に変える淡水化技術を誉めそやしているが、世界になくて日本だけが突出した技術というのは、戦略的な技術なわけで、そうであるならば、そういう技術はもっともっと積極的に戦略的に使うべきである。
海水の淡水化技術もさることながら、航空機の炭素繊維の技術も、日本が突出しているわけで、そうであるとするならば我々はビジネスベースのみではなく、外交的にも戦略的にその技術を応用すべきである。
こういう発想をすると、我々の内なる民族意識は、こういう発想そのものが戦争を誘発すると思い違いする節がある。
我々は「戦争」というフレーズに接すると、もうそれだけで気持ちが萎縮してしまって、思考停止状態になってしまう。
だから先方の言いなりになって、国益を削ぐような事態を引き起こしてしまう。
この本の冒頭には、昨年の東日本大震災の復旧の話が述べられているが、合わせて東京電力の福島原子力発電所の事故についても語られている。
ところが、あの事故を契機に、日本では原子力発電そのものを全否定する傾向が強くなったが、この中に我々日本民族の民族としてのモノの考え方が如実に表れている。
人間が人間の力で作ったモノに絶対安全ということはありえない。
飛行域は落ちるものだし、列車は脱線するものだし、車は衝突するものであって、こういうものに絶対安全ということはありえないが、人々はそれに向かって日夜努力していることも事実である。
福島の原子力発電所の事故も、事故の最初のきっかけは地震であって、その点に対する安全機能はきちんと機能して運転は止まった。
たが、地震によって原子炉の補機としての安全機能を維持するシステムが壊されて大事故につながったと考えられる。
けれどもこの部分はあくまでも東京電力側の社内の対応のまずさであって、いわば人災の部類だと思う。
東京電力という会社の安全対策が甘かったという点は責められるべきかもしれないが、だからといって「日本全国の原子力発電所を全部止めよ」という言い分はあまりにも論理の飛躍だと思う。
あの地震による原発事故によって、被害をこうむられた方々が苦労されている姿を見て、東京電力や政府に対する失望感がことのほか増幅されて、それが日本全国の原発廃止という論理に結び付くという経緯も判らないではない。
けれども、この論理は極めて無責任で刹那的な綺麗ごとの論理で、偽善、欺瞞に満ちた売名行為に近い良い子ぶった論旨である。
「戦争と平和」、どちらが良いかという質問と同じで、「原発は有った方がいいか無い方がいいか」と問えば答えは自明である。
こんな幼稚園児の子供遊びのような思考に大の大人が振り回されること自体、我々、日本民族の思考の幼稚さがにじみ出ているということだ。
同じ日本人でありながら、モノ作りの現場の人の思考と、政治家とか評論家とか大学教授というようなモノ作りの対極にいる人の思考では、思考回路にこれだけ大きな相違が生まれるのだ。
浅薄な私の思考から紡ぎだされる考え方としては、モノ作りの現場でアイデアを絞り出すということは極めて個人プレーに近い形態であるが、政治家とか評論家とか大学教授というような人の立ち居振る舞いは、口先3寸で人を騙す虚業なわけで、自分の言ったことに対する責任は何も問われないので、何時もいつもオオカミ少年でおれるということだ。
日本の誇る海水の淡水化技術を戦略的に使えといっても、具体的に相手と交渉するセクションは、基本的には企業のトップであり、営業担当であり、それに国の機能、機関として外務省や経産省や、その他の官庁がおそらく関わってくるであろう。
だが、こういう連中はモノ作りに現場いる人たちとは、同じ同胞とはいうものの、思考回路が全く違う種類の人たちなので、結果として口先3寸の交渉では相手より優れるということはありえない。
我々の世代は、日本が戦争に負けたという実態を肌身に刷り込んで覚えているので、アメリカの富と豊かさを羨望の目で見ていたもので、ナイフとフォークでする食事にあこがれたものである。
ところが昨今では、あちら側の人が日本の箸で食べる食事を社会的なステータスとしていることには大いに驚かされる。
この本の中でも、外国における日本食が話題になっているが、私の乏しい旅行体験から察するに、外国の日本料理というのも随分まがい物が多く、料理を作る人が韓国人や中国人が日本食ブームに便乗している部分がかなり多いと思う。
いわば食の偽物、コピー商品というか、知的所有権の侵害というか、ブームに便乗した金儲けであろうが、こうなると本来の日本食というものが間違って世界中の人々に認識される可能性がある。
文化というのは実に興味深いものがあって、我々は下町のどこにでもある赤提灯の居酒屋など珍しくもなんともないが、外国にはああいう雰囲気の店がない、というのも今さらながら驚きだ。
ニューヨークでもロンドンでも、酒を飲ませるバーは酒が主流で、レストランは基本的に食事が主流で、酒は食事の添えモノという感じだが、日本の居酒屋はその両方が同じ比重になっているので、彼らにはとても珍しい存在のようだ。
彼ら、つまり西洋人が今、箸で食事をとることが社会的なステータスになっているということは、非常に面白い現象だと思う。
私が見る限り、まだ箸の先の方を使っているケースを多く見かけるので、日本でいえば幼児の箸使いに酷似しているので如何にもぎこちないが、いずれ彼らも綺麗な箸使いに目覚める時が来るであろう。
それよりも我が同胞の若者の箸の持ち方のほうがよほど心配だ。
日本の底力がテーマになるということは、日本の潜在能力を見直すということであろうが、ここで語られていることはすべて過去の日本である。
昨年の3月11日の東日本大震災も既に過去のことであって、日本の未来のことを考えると、我が同胞の若者の箸の持ち方から、仮設住宅からパチンコ屋に出勤する同胞の姿が、我々の未来の姿ではないかと思う。
どこの国でも、どの民族でも、頂点を超えた文化は、その後衰退するのは過去の歴史の厳然たる事実であって、我々もその歴史の軌跡を間違いなくトレースしていると思える。
それを如実に示すのが人口の減少、とりわけ少子化であって、日本の若い世代が結婚もせず子供を作らなくなった理由は、ひとえに子育ての苦労を回避したい、という安易な思考であろうと考えられる。
その背景には、人間が働くことが良い事で、子供ができるとその良い事ができなくなるから、その分生活の質を落とさねばならなくなるからである。
女性が子育てをすることを、「働かない」と認識して、無為な生き方と思い込んで、それを時代遅れと思い違いしているのである。
第2次世界大戦後、社会主義国では女性も働かざるを得なかったのは、国が貧乏で、女性も労働力の不足を担うために、働かざるを得なかったのを、進歩的な国では、女性も働くことでバラ色の社会が出来上がる、と勘違いしたのである。
しかし、人間のみならず生きとし生けるものは、女性は子育てに専念して、男性はその女性の子育てをサポートするのが当たり前の姿のはずである。
こういう当たり前のことを時代遅れの古くさい思考だ思い込んだところに、日本の凋落が潜んでいたのである。
若い女性が子供を産んで、おしめの交換や、離乳食を作ったり、風呂に入れたり、という細かい作業をするよりも、職場に出てわあわあきゃあきゃあ騒いでいた方が楽しいに決まっている。
だから他人に子どもを預けて職場に出ようとするわけで、ここで訳知り顔の知識人という無責任な輩が、「それができるように保育所をもっと増やせ」という論法になるのである。
ここでこういう物わかりの良い人たちが、「子供がもう少し大きくなる迄子育てに専念せよ」という正論を称えることを控えてしまうのである。
それを「言う」ということは、当事者に対して、「もう少し我慢をせよ」ということを強いるわけで、正論であるけれども極めて言いにくい文言なわけで、誰もそれを正面から言いきれない。
だから日本では少子化が進み、凋落の道をたどることになったのである。 

「JRはなぜ変われたか」

2012-06-29 18:45:06 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「JRはなぜ変われたか」という本を読んだ。
著者はJR東日本の副社長であられた山之内秀一郎という人だ。
旧国鉄がJR6+1に分割されたのは1987年昭和62年のことである。
私個人の考え方としては、旧国鉄、日本国有鉄道の民営化というのは否定的な思いを持っていた。
日本国有鉄道は、日本のどんな僻地においても、採算性を度外視してでも、交通弱者の足であるべきだと思っていた。
しかし、それもある意味で理想論であって、膨大な人員を抱えた国鉄であってみれば、そういう大義名分を盾に、国の支援を当てにすることは、合理性に欠けることも周知の事実であった。
日本が戦争に負けるまでの国鉄の職員は実に健気に働いていたと思う。
戦後でも一部にはそういう気質を引きついだ国鉄職員はいたと思うが、そういう気質を全否定したのが、組合員としての共産主義者という愚連隊である。
歴史的にあまり大きな声では語られてはいないが、1945年8月6日に広島に原爆が落とされ、広島は壊滅したが、その2、3日後には、もう広島において列車が動いていたという話が残っているし、終戦時の玉音放送の時も、東京の省線は動いていて、その放送のある時間だけ駅に停車してそれを聞いたが、それが終わると何事もなったように電車は動いていたということである。
だからこの時代の国鉄職員は、自分の任務というか仕事に限りない愛着や誇りを持って職務をこなしていたに違いない。
それを瓦解させたのは、終戦によって大量に出た鉄道関係の引き揚げ者の集団で、そういう同業の仲間を救済し、職を与えるべく受け入れようとした、内地の仲間の温情に対する、反逆であった。
特に、旧満州の満鉄の職員を大量に受け入れたことによるが、彼らの中には日本では左翼の締め付けが厳しかったので、外地に逃げていた共産党員らが大勢含まれていて、それらが日本の帰ったとたんに旧秩序の崩壊を目指し、国鉄そのものの組織崩壊に繋がったものと推察する。
戦争による被害は、当然のこと鉄道にも及んでいるわけで、そこに大勢の引揚者を抱え込んだはいいが、この引揚者が共産主義に洗脳されていたものだから、結果的に「庇を貸して母屋を盗られた」形になってしまったのである。
労働組合、労働運動、労働3法というのは、基本的には労働者の権利としてきちんと確立されてしかるべきものではあるが、それを悪用するような風潮は断じて許されるべきことではない。
しかし、戦後の国鉄の組合というのは、こういう常識を逸した闘争を繰り返すので、最終的には国民からもそっぽを向かれて、国鉄という職場そのものを失うことになってしまったのである。
当時の国鉄の組合には、国労、動労という過激な組織があって、こういう組合はその構成員がすべて共産党員に牛耳られているので、その過激さというのは目に余るものがあった。
共産党員であるからには、彼らの最終目標は日本における革命なわけで、革命を目指す限りにおいては、普通の日本社会の秩序を根底から崩さねばならず、それが彼らの至上命令である限り、普通の倫理観も価値観も常識も彼らの前では通用しない。
だから、必然的に組織破壊、人為的な組織のメルトダウンを指向することになり、それが国鉄の生産性や合理化の足を引っ張っていたのである。
どこの職場でも末端に行けば小さなグループになるのが普通であって、そういう末端のグループ内において、構成員が自分たちの長の言うことを聞かなかったり、指示に従わなければ、業務そのものが成り立たないわけで、民営化前の国鉄はそういう状態だったと思う。
動労や国労の組合員としては、経営側の存在など全く意に介していないわけで、彼らの目的はただただ社会秩序を破壊すればそれでよかったのである。
それが共産主義者あるいは共産党員の目的であって、社会の為にする、国民の為にする、ということは全くなかったわけで、こういう分子を組織から排除するためには、国鉄という組織ごと御破算にしなければならなかったということだ。
旧国鉄の解体は、こういう組合潰しと合わせて経営側の官僚主義の清算という意味もあったに違いない。
旧国鉄に内在していた諸問題の中には、組合対策も当然あったことは言うまでもないが、それと同時に経営陣の経営感覚の見直しという要素も十分にあったに違いない。
日本国有鉄道というのも、やはり昔の陸軍海軍と同じように、組織そのものが限りなく官僚化してしまって、本来の自分たちの社会的使命を忘れてしまい、自分たちの存在が社会の為、国民の為にある、という根本のところをはき違えてしまったようだ。
自分たちの存在を維持するために、自分たちで仕事を作って、その仕事をなすための金は、国の財布を当てにしているわけで、自分たちの組織は決して潰れることはないと高を括っていたわけだ。
旧国鉄の経営陣が、動労や国労という組合に、様々な交渉で屈してきたのも、「決して潰れることはない」という甘えの構造があったからに他ならない。
これが個人のオーナーの企業であったとすれば、経営者は決して組合の横暴、組合側の不合理な要求を呑むようなことはしなかったに違いないが、経営側も組合側も、お互いに後ろに控えている国家の存在に甘えて、真剣な対応をしてこなかったということだと思う。
それにつけても、こういう動労、国労という組合員の勤労意欲というか、社会人としてのモラルをどう考えたらいいのであろう。
共産主義革命を成就するには、まず最初に既存の社会の秩序を破壊して、既存のシステムを全部壊した後に、新しい価値観の社会を構築するという道筋は何となく理解できるが、既存の秩序を壊した人間が、そのまま新しい社会秩序の構築、新しい価値観の創生、新しいモラルの普及ということにつながるわけがないではないか。
こういう現行の秩序に不満なものは、町の不良少年と同じレベルの思考でしかなく、労使闘争で勝ち取った待遇であったとしても、しばらくすればそのむなしさが身に染みてくると思う。
人間の基本的な在り方として、8時間労働というのは適正な基準だと思うが、動労や国労の組合員は、日々の生活の中で職場に出勤しても、実働2、3時間しか働かないようだが、これでは普通に健康な肉体を持った人間ならば、嫌気がさすのが当然だと思う。
普通に健康な大人ならば、職場に出て1日8時間ぐらい密度の濃い仕事して家路につくときに、健康な幸福感に浸れると思うが、それが実働2、3時間では、その余った時間をどう使うかはまた新たな悩みを抱え込むことになる。
こんなことを心身ともに健康な人間が受け入れるわけがない。
けれども組合としては、そういう要求を出し、それを通したということは、そもそも仕事とか勤務というものを真剣に考えていないということに他ならず、自分たちの職場をつぶす以外の目的が見当たらないではないか。
だけど世間というのは、こういう組合を頭から非難・攻撃することは避け、何となく彼らをフォローするような口ぶりをするところが極めて日和見だと思う。
世間の評価として、旧国鉄の労使の確執を考えるとき、経営者側の立場は、国家そのものに成り代わってしまって、組合員の立場は抑圧され、搾取されていると古い価値観で捉えられている。
だが、それは何となく労働者側を同情の眼差しで見る見方であって、この認識は最初から間違っている。
戦前の左翼は言うまでもなく官憲から抑圧されていたので、戦後はその反動として左翼陣営は大声で自分たちの主張をがなり立てる風潮が蔓延した。
問題は、こういう左翼そのものではなくて、それを支援する学識経験者というような知識階層の存在であって、この階層の人々が実に節操を持たずに、時流になびく姿である。
真の左翼は自分の信念でもって自己の主義主張を貫いているが、それを取り巻く一見物わかりの良さそうな知識階層は、なまじ知識があるが故に、時流の潮の目を見るのに長けていて、時流に敏感に反応して身を処している。
こういう連中が、戦後の労働運動の中でも、この動労や国労の運動の片棒を担ぐような論戦を張るのが常であった。
この世に生を受けた人間で、何らかの組織に属している人は、その自分の属している組織の規範には従うのは当然である。
ごく普通に考えられることは、各々の個人は国家という組織に組み込まれた存在なので、国の定める法律には従わねばならない。
国の法律は個人を取り巻く一番外側の大枠であるが、個々の人にとっては、その他にも数々の順守しなければならない規範があるが、戦後の知識人はこの規範の順守を「上からの抑圧」という認識で捉えているが、これは知識人にあるまじき間違った認識だと思う。
ルールを順守することを、個人の自由の束縛という感じで捉えているが、公共の福祉の為には、個人の我儘の抑制ということもあって当然だ。
こういう場面で、戦後の日本の知識階層は、自分たちの政府に楯突く国労・動労という国鉄の組合員をバックアップする論調を展開した。
こういう知識人の論調は誰も支持しないが、メデイアは面白くなければメデイアでありえないので、こういう人の話というよりも、彼らの傍若無人な振る舞いをクーデターの実況放送かのように報道して、世間に話題を振りまいたのである。
本来、知識階層、知識人というのは、無知蒙昧な大衆・民衆に、理知的で倫理にかなった摂理を説き、人として恥じない立ち居振る舞いを説教し、順法精神を説き、ルールを守らない人を諌め、説諭し、人の迷惑にならない身を処すことを鼓舞する立場ではなかろうか。
それがこともあろうにメデイアを縦横無尽に使って、それと真逆のことをしていたのである。
しかし、旧国鉄の中にもキチンとした良心を持った人は大勢いたわけで、そういう人はJRとしての国鉄再生に大いに努力したに違いない。
普通に心身ともに健康な人間ならば、限られた時間内、常識的には8時間の労働時間内に、一生懸命自分に与えられた仕事、あるいは任務をこなし、充実した満足感に浸って家路につくのが最高の幸せと思うに違いない。
朝、職場に顔を出して、「今日一日どうしてサボろうか」と考えるような職場に幸せはないと思う。
動労、国労という組合の中でも、全部が全部、共産主義者や共産党員ではないと思う。
中には自分たちのしていることに疑問を持ち懐疑的な人もいたに違いないが、そこには組織の締め付け効いていたに違いなく、自分一人が抜け出すことができなかったに違いない。
旧国鉄が民営化されるについて、国鉄の中でもそう願っている人が相当数いたのではないかと思う。
国鉄の中の人間でさえも、「これを立て直すには民営化しか道はない」と考えていた人がいたとしても何ら不思議ではない。
動労とか国労の組合を潰すには、組織そのものを一度は解体する必要がある、と考えていた人もいたに違いない。
そういう人たちは、民営化という案が軌道に乗ってくれば、新たなモチベーションでもって前に進む気持ちを固くしたに違いない。
旧国鉄の中にいた人で、普通の常識と良心を持った人ならば、民営化という話を聞いて「よし、頑張ろう」と、闘志を振るい立たせた人が大勢いたのではないかと思う。
人間、未来に明かりを見るときは、大きな夢を抱いてそれに突き進むが、鶴田浩二の歌ではないが、「右を見ても左を見ても真っ暗闇じゃござんせんか」では、夢も希望の萎えてしまうのは当然で、負のスパイラルに嵌り込んでしまう。
JRになって出来たことが、何故旧国鉄の時代には出来なかったかと問えば、組合運動のこともあるが、その前に経営陣の姿勢に大きな甘えがあったことは否めない。
私が不思議に思うことは、こういう旧国鉄でも、組織のトップは我々並みのボンクラな人間がやっているわけではなく、それ相当の学術優秀な人材が組織そのものを引っ張っていたに違いないが、それが何故に経営破たんに至ったのかという点である。
組織、企業、会社というものは、人間が作為的に考え出した虚構ではある。
建物のように実態があって触ればその存在が認識できるという代物ではない。
そして、それはある種の目的を持って活動し続けており、その内部が腐敗し、溶解すると、その活動は停止し、大勢の人が迷惑をこうむるという事態を引き起こす。
その中で活動を継続させる努力をしている人は、生きた人間として食い扶持を与えねばならないので、そのためにいくばくかの利益を出すように活動しなければならない。
その組織や企業の中の人が、自分たちの組織の存在価値を見失って、「自分たちは何のために此処にいるのだ」ということを忘れて、自分たちの存在を維持するために仕事をしている振りをするということが往々にしてあるわけで、こうなると組織そのものが崩壊する。
けれども、そういう組織のトップにいる人は、我々以上に立派な人なので、当然のこと、そういうことは掌握し、理解している筈である。
ところがそうでないから組織そのものが破たんし、民営化ということになるのである。
旧国鉄の民営化以降でも、日本の有名企業で倒産した企業はたくさんあって、その中でも代表的な例は日本航空と最近では東京電力がその瀬戸際に立たされている。
これらの企業はいずれも、社会的な公共性に非常に深くコミットした企業で、それが故に国家は「自分たちを見捨てることはない」という甘えの構造が露骨に見え隠れする。
こういう企業は、社会的な公共性が極めて高いが故に、国家に対する依存度が高く、それが彼らの誇りであると同時に、無責任体制の温床でもあるわけだ。
そこでこういう組織のトップの人の資質が問題になるわけで、国鉄にしろ、日本航空にしろ、企業のトップがボンクラであるわけはない筈で、学識経験に恵まれた人材であるとするならば、なぜそれまでに手当をしなかったかという素朴な疑問に突き当たる。
昔、日本に軍隊があったころ、「陸軍士官学校や海軍兵学校を出た人は優秀であった」と言われていたが、そういう人たちが真に優秀であれば、なぜ日本は戦争に負けたのだ、ということになる。
優秀だと思われていた人たちが、少しも優秀でなかったから、日本は戦争に負けたのであって、負けるような戦争ならば、陸軍士官学校や海軍兵学校を出た人に教わらなくとも誰でもできる。
国鉄が民営化してJRになったということは、国の後ろ盾を排して、サービス業に徹して、自分の食い扶持は自分で稼ぎなさいよ、という示唆であって、今までのような殿様商売では成り立ちませんよ、ということだと思う。
しかし、そうなればなったで、JRに残った人のモチベーションはかなり高いものがあって、その後の発展は目を見張るものがあるではないか。
私の人生もいよいよ黄昏てしまったが、これまでの間、鉄道にもずいぶん世話になったが、鉄道の進化も実に素晴らしいものがある。
中でも切符の自動販売機が出た時にも大いに驚いたもので、切符を機械で売るということには正直驚いた。
その後になると自動改札で、駅員がはさみをパチパチさせる光景を見なくなったし、あのスイカにも大いに驚いたものだ。
それに車両そのもの新しさにもずいぶん驚かされたものだ。
我々の世代には、まだあのチョコレート色の国電のイメージが残っているので、それを思うと昨今の新型車両の斬新さには腰が抜けるほどの驚きだ。
JRになって、こういう新しい方針が次から次へと出てきたが、旧国鉄時代にはこういう新しい動きはすべて「合理化反対」というスローガンに押しつぶされて、日の目を見ることがなかったに違いない。
しかし、組織の中にいる人間としても、こういう新しい試みから逃げて回るよりも、積極果敢に挑戦する気でいた方が、精神衛生上も数段優れていると思う。
目の前に新しい光明があれば、それに向かって走り出したいというのが人間の潜在的な意識ではないかと思う。
旧国鉄の組合員の中にも、経営側にも、普通の常識を備えた普通の思考を持った普通の人は大勢いたと思うが、それが組織という枠組みの中に身を置くと、全く話の通じ合わない異質の人間になってしまうということは一体どういうことなのであろう。

「腐った翼」

2012-06-28 07:38:57 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「腐った翼」という本を読んだ。
言うまでもなく「腐った翼」というのは日本航空のことであるが、この日本航空、日本のナショナル・フラッグ・キャリア―があえなく倒産したという、その経緯を述べた本であった。
航空会社の倒産というと、どうしてもパンナムを思い出す。
私自身がまだ若くて生意気だったころ、テレビの旅番組に『兼高かおる世界の旅』というのがあって、それのスポンサー企業が確かパンナムであったように記憶している。
海外旅行など夢の中の夢でしかなかった頃、この番組には大いに憧れて、刺激を受けたものである。
そのころの日本航空といえば押しも押されもせぬナショナル・フラッグそのものであった。
当時から半官半民という経営形態だったと思っているが、であるが故に、長年の経年変化で組織疲労が起きていたということなのであろう。
こういう優良企業には、当然のこと、優良な人材が蝟集することは必然的な成り行きで、ならばそういう企業は無限に右肩上がりの成長を続けてもいいように思う。
しかし、現実にはそういうことはありえないわけで、いくら優良な企業、組織であっても、ある日突然転覆してしまう。
旧日本軍、大日本帝国陸軍海軍を見るまでもなく、戦後でも優良企業の倒産というのは掃いて捨てるほどあるわけで、私のような無学な落ちこぼれには、何とも理解しがたい事だ。
日本の陸軍海軍がこの世から消滅したのは言うまでもなく、戦争に敗北したからに他ならないが、戦争に負けるという事は、その戦争を指導した連中がアホだったという一語に尽きる。
何故アホだったのかといえば、組織そのものがメルトダウンして、組織崩壊、組織疲労していたことに気が付かなかったからに他ならない。
だが、ここで問題になることは、我々レベルの無学な者の集団ならば、自分の組織の空洞化に気がつかないということもありうるが、こういう組織のトップは極めて優秀な人材で固められているわけで、にもかかわらず組織が疲労し、崩壊することが避けられなかったということは、そういう人たちのどこがどういう風に優秀であったか、という極めて素朴な疑問が起きる。
無学な私の推測によると、それは学校の成績が良い人を、人々は「頭が良い人」と勘違いしているということではなかろうか。
ならば学校の成績とはそもそもどういうものか、という根源に遡って考察しなければならないが、世間の人々はそういう発想をしたのであろうか。
私に言わしめれば、学校の成績というのは基本的に記憶力の優劣であって、先生が教えたことをどれだけ記憶しているかというレースだと思う。
考えてみれば、教えられていないことは試験問題には出ないわけで、もしそんな問題をテストに出せば、出した方が生徒から詰問されかねない。
しかし、実社会で人々が立ち向かう状況は、そのすべてが今までに教わったことのない新規の問題・課題なわけで、学校秀才がそういう状況に弱い、ということは十分理解できる。
こんなことは私のような無学な者でもおおよその推察はできるわけで、それが優秀な大学を優秀な成績で卒業した優秀な人材が理解できないはずはない。
「優秀な大学に入った」という実績だけで、その本人が極めて優れた能力を秘めている人間ということの証明にはなる。
私のような人間は、そういう能力を証明する術を持たないわけで、そもそもそういう社会で、身を粉にして出世街道を驀進する気が最初からないので、行き当たりばったりの風来坊のような生き方を選択してきたのである。
だから自分の人生に悔いはないが、他人、特に自分よりも優れた能力を持った有能な人間が、組織の効能を使いこなせずに、国税に頼り切った生き方をしているのを見ると我慢ならないのである。
日本航空の倒産でも、5万人の人間を抱えた民間企業の倒産、倒産することがわかっていたので民間企業にしたのかもしれないが、これだけの規模の企業が倒産したので、国としてもただ黙って傍観しているわけにもいかないと思う。
今、これと同じ状況に置かれているのが東京電力だろうと思うが、民間企業の倒産なのだから、国としては何のかかわりもないと突っぱねるわけにもいかないと思う。
名もない中小企業の倒産ならば、誰も意に介さないだろうが、日本航空や東京電力ともなると、倒産の影響力は想像を絶するわけで、国としても知らぬ存ぜぬではおれない。
ここで、その倒産の根源的な問題を掘り下げていくと、必然的に組織の在り方に行き着くわけで、企業のガバナンスの問題に帰結する。
我々日本人が自分の国を統治するという状況は、産業界のあらゆる分野に国家の統制が行き渡っているということに繋がっている。
航空業界から電力業界に至るまで、国家の、あるいは官僚の指導監督を受けるという体制になっているわけで、完全な自由主義体制の下での資本主義的な競争が許されているわけではない。
日本人は好き勝手な自由競争をしているわけではなく、官僚の見えない糸で、鵜飼の鵜のようにコントロールされているということだ。
それぞれの業界には、強い企業や弱い企業が混在するのが常態で、理屈の上ではそういう混沌とした業界内の不均衡をバランスさせるという趣旨で、指導監督ということが大義名分化している。
業界内で、ボトムアップで利益の標準化をしようとすると「談合だからけしからん」ということになるが、同じことを官僚がすると、指導監督という言葉にすり替わる。
私のような無学な者の僻み根性から言えば、業界にも官僚の側にも優秀な大学を出た優秀な人材がいるわけで、その優秀な人が優秀な解決策を出せばよさそうに思うが、そういう人でも優秀な解決策はなかなか見出さないみたいだ。
優秀な人が、優秀な解決策を出せないのであれば、その人たちは優秀ではないということになるではないか。
日本航空にも東京大学から数多の卒業生が就職しているにもかかわらず、倒産したということは、東京大学を出た人材といえども少しも優秀ではなかったという、立派な証拠である。
いくら東京大学を出たといっても、会社を倒産させるような人間ならば、ただの人以下ということである。
普通にただの人であれば、引き継いだ会社を低空飛行であろうとも次の人にバトンタッチするが、それが途中で墜落してしまったということは、人並み以下の経営能力しかなかったということが言える。
日本航空が倒産に至る過程は、それこそ一朝一夕でそうなったわけではないはずで、長年の経営の失敗のしわ寄せが、この時期に爆発したというものであろう。
だが、優秀な経営者ならば、自分の会社の欠陥がどこにあるかぐらいは自分で考察して、その欠陥を取り除くように全知全能を働かせて当然だと思う。
歴代の経営者が、自分の任期中にそれぞれにそういう思考をすれば、組織内の部分的な腐食は、その都度是正されたものと考えられる。
日本航空のみならず、バブル期に倒産した山一證券や北海道拓殖銀行などという企業は、一体全体どういう経営をしていたのであろう。
「不良債権を抱え込んだ」と、もっともらしく言われるが、証券会社や銀行が不良債権を抱え込むこと自体、自分の仕事を全く認識していないということに他ならないではないか。
年取った老人や、ガングロの女子学生を相手にしているわけではなく、本職の銀行員や証券会社が不良債権をつかまされるなどというバカな話が一体どこにあるというのか。
しかし、こういう会社が倒産したということは、そういう考えられないようなバカな話が現実にあった、ということなのであろう。
この本は基本的に日本航空が倒産するまでの過程を経営者側の視点で書き綴っているが、私の感性からすると、あまり好感の持てる内容ではない。
というのも、経営者の誰それがこう言ったああ言ったということを綴っているが、こういう小姑的な井戸端会議風の内輪話というのは、品のある話ではなく、安物の週刊誌の暴露記事と類似の行為だと思う。
当の会社のトップとインタビューした事を、さも懇意な間柄であるかのように見せて、人の噂話を重要な情報であるかのように言い募っている感じがして興が削がれる。
しかし、私にとって日本航空が倒産するなどいうことは、まさしく想定外のことで信じられない気持がしたものだ。
日本航空をそういう状況にまで追い込んだ経営者というのは、何をどう考えていたのであろう。
優秀な大学を出て、弱冠22、3歳で大きな夢を抱いて日本航空に入社したであろう人たちが、何故自分の会社を倒産させるような経営をし続けてきたのであろう。 
我々レベルの、最初から落ちこぼれ集団ならば、会社を倒産させるような経営をしたところで不思議ではないが、優秀な大学を出た優秀な人たちが、我々レベルと同じことをしていて良いはずない。
彼らは、優秀な大学で、優れた学問を身に着けて世の中に出て来たはずで、こういう人たちがもともと優秀な企業を倒産させてしまったでは、話にならない。
若い人が学校を出てそれぞれの組織に入ると、その組織の中では、ある意味で純粋培養のような教育を受けることになる。
これはある意味で当然であって、組織というのは、その組織の存在そのものに理念と目的があるわけで、将来を託されて入ってきた若者には、その組織の理念と目的を知らしめる必要があるので、ある種の英才教育が施される。
この英才教育というのは、ある意味で差別化でもあるわけで、それは帝王学そのものであるが、この帝王学というのは組織のガバナンスのノウハウを凝縮したものであって、これを真摯に受け取れば組織がメルトダウンするような事態はあり得ないはずだ。
そういう帝王学を授かる側は、自分たちは特別待遇で遇されているのだから、隷下の人々を路頭に迷わすような統治は厳に戒めなければならない、という自覚をもってしかるべきだ。
並みの人間は「人の振り見て我が振り直す」であったり、「親や先輩の背中を見て育つ」が、並み上に優れていると思い込んでいる若者は、そういう並みの思考ではないわけで、自分の才能に大いなる自信を持っているので、人の言うことすることがまどろっこしくいてならない。
そこに持ってきて、一般社会では教わっていないことの連続で、毎日が未知との遭遇であるが、彼らは自分の才能に自信があるので、一人よがりの判断をしてしまうのである。
そもそも、若い時から特別待遇で、将来は幹部になる人だからというわけで、ちやほやされてぬるま湯に首までつかっていては、自分の会社の現実の姿というのは、見えにくくなるのも当然である。
帝王学はその部分を戒めるものだと想像する。
自分がこの先出世するのを見越して、ゴマを擦ってくる人間がいたとしたら、その下心を見透かすぐらいの慧眼を兼ね備えないことには真の姿は見えないに違いない。
ゴマを擦ってくる人間に対して、良い気分に浸っているようでは、並み以下の人間でしかない。
優秀な大学に入ったということは、その時点では確かに並み以上の能力を備えていたに違いなかろうが、その能力が卒業後もずっと続くものと思うと、それは大違いで、人間の生育期において、この時期の変化は特に著しいものがある。
そんなことは有史以来の人間の生の姿を見れば誰でも納得のいくことである。
ところが、日本の旧軍、陸軍も海軍も、はたまた戦後の日本航空をはじめとする優良企業といわれるところでも、この極々当たり前の自然の摂理を無視していたわけだ。
こういう組織のトップにはしかるべき経歴の人がなる、つまりその辺にいる阿呆やバカが行き当たりばったりのいい加減な人選でなっているわけではなく、厳正な篩をかけられた最適任の人がなっているということだ。
にもかかわらず、組織がメルトダウンするということは、組織のトップの人選から間違っていたということに尽きる。
厳正な篩をかけられた最適任の人と思われていた人そのものが、既に過去の基準で選ばれた古い感覚の人で、組織を運営するにふさわしくない考え方に浸っていたということである。
ところが誰もそれを正面から指摘しないので、組織が崩壊してしまったということだ。
『裸の王様』の寓話と同じで、誰も王様の裸を見て「王様は裸だ」と、本当のことを言わないものだから、王様は限りなく裸になってしまったということだ。
無邪気な子供が本当のことを言うまでに、組織の中には幾層もの階層があったけれども、誰も本当のことを言わなかったので、組織そのものが壊れてしまったということだ。
しかし、何度も繰り返すが、こういう優良企業は、人材的にも優秀な人材がそろっていた筈であるが、そういう人間までもが組織内で沈黙していたとなると、何が優秀でどこが優れた人材かという素朴な疑問に行き着く。
この本の中では、JALがJASと合併したにもかかわらず、随分後まで双方に確執が残っていて、業務がぎくしゃくしたと記されているが、対等合併であるにもかかわらず、そんな確執があるようでは、経営者としては明らかに失敗ではないのか。
対等合併にしろ、吸収合併にしろ、どういう形にしろ合併がなった以上、新しい会社として再出発をするという心構えが経営者としての本筋だと思う。
そうは言うものの、現実としては、それぞれの会社の流儀を一朝一夕で変えられるものではないことはよく理解できるが、そういう難しい問題を速やかに解決すべきが、優秀な経営者であることも事実である。
最近の航空業界にはLCCという形態の企業が参入してきている。
ローコスト・キャリーというものらしいが、航空会社の常識となっているサービスを極限までそぎ落として、コストを下げ、その分料金を安くするというやり方のようだ。
この不景気の中で乗客は少しでも料金の安い方を選択するので、採算性は合うということであるが、日本航空もこういう生き方を少しは研究すべきだと思う。
我々世代の認識だと、日本航空といえばどうしても日本という国を背負った、ナショナル・フラッグ・キャリアーのイメージが付きまとうが、我々の側にそういうイメージがある以上に、組織の内部の人間には我々以上にそういう意識が強いと思う。
この意識が強いということは、ある意味で大いなる甘えでもあるわけで、そういう企業であればこそ、半官半民であっても国家はつぶすことはないだろうという危機感に乏しいしい思考に陥っているように思う。
その証拠に、倒産するがするまで、昔のような殿様商売を続けていたわけで、サービスを削ってコストを下げようという意識は全くなかったように見受けられる。
航空会社というのはこういうもんだ、という50年も前の認識でいたのではないかと思う。
私自身はよく呑み込めていないが、あのマイルというサービスも、ある意味で出血サービスのようであるが、こういう無駄なサービスは大いに見直すべきだと思う。
他の会社もやっているので、我が社だけが撤退するわけにいかない、ということをよく聞くが、それでは子供の思考でしかない。
優秀な大学の優秀な人材を豊富に抱えているのならば、そういう人たちに優秀なアイデアをふんだんに出してもらってこそ組織が活性化するではないか。
トヨタ自動車は、乾いた雑巾を絞るように、知恵を絞って絞って、アイデアを出し、コスト削減に努力しているわけで、日本航空もそれぐらいの努力を全社を挙げてすべきであろうが、半官半民という甘えがあるが故にそこまで徹し切れていない。

『「ゴミ」を知れば経済がわかる』

2012-06-27 22:14:07 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、『「ゴミ」を知れば経済がわかる』という本を読んだ。
著者は1983年昭和58年生まれの若い人だ。
図書館の新刊コーナーに並んでいた本で、ほやほやの新刊であったが、読みだして冒頭、中国製品の悪口に出会った。
私個人としては、中国人を偏見に富んだ視点で見たくはないが、現実にはやはりそういう現実を直視せざるを得ないようだ。
数年前であったが、アメリカのコンシュマーが、自分の身の回りの製品を拾い集めたらすべてのモノが中国製であったので驚いたという話があったが、目下、世界中が中国製品なしでは済まされない状況に陥っているようだ。
その中において、中国の新品の製品よりも日本製の中古製品の方に人気がある、という点に我々は注意しなければならない。
我々の日本製品というのは、品質の点で世界に類のない高評価を得ているが、その日本の製造業というのは目下衰退の方向に歩を進めている。
かつての日本製品も、戦後しばらくの間は、「安かろう悪かろう」という評価であったが、それを克服したのはやはり我々のモノ作りに対する熱い熱いパッションであったに違いない。
我々は、良いモノを作るという方向に情熱を傾けたのであって、良いモノを作れば金は後からついてくるという発想で、戦後の苦しい時期を乗り越えてきたに違いない。
ところが中国人は、金を儲けるためにはどこで手抜きをすればいいかという発想であって、それには他者に対する思いやりが最初からないので、買った人が喜んで使ってくれるかどうかという思いがいささかも入っていない。
これは別の言い方をすれば究極の個人主義で、自分がその時その場で金をつかめば、それを持って逃げればいいという極めて刹那的な思考である。
我々の古典的な商売人の発想では、良いモノを客に提供すれば、客は再び買ってくれるのでその方が最終的に得になるのだという論法である。
この本を読むまでもなく、世界中の人が中國製品は粗悪品で信用ならないという価値観、あるいは認識が普遍化してしまっている。
それに反し、日本製品は高品質で信用できる、という価値観が世界中に広まっているが、我々はその評価を自ら食いつぶそうとしている。
つまり、日本では人件費が高いので、モノ作りをアジアにシフトしたと言う事は、いくら日本人が指導したと言っても、所詮は中国製であり、ベトナム製であり、タイ製品であることに変わりはない。
私は日本の製造業の海外へのシフトは当初から疑問を持っていた。
これは製造業だけに問題ではなく、為替との連動でもあるわけで、為替レートの上下動で、製造業の利益がいとも安易に消え去ってしまう、という危険も十分の承知している。
だから、メーカーのみを責めるわけにはいかないが、我々の日本はモノ作り立国という基本のスタンスは崩すべきではないと考える。
戦後しばらくの間は、モノ作りの現場で日本とアメリカでは大きな格差があって、我々の側は必死になって追いつけ追い越せの精神でそのノウハウを習得した。
だからアメリカも日本を警戒するようになって、そう安易に手の内を見せなくなってしまった。
ところが我々は実に愚昧というか、中国人というと何となく贖罪の意識にさいなまれて、必要以上に卑屈になり、遜って、物わかりの良いところを見せようとおもねって、相手の言うがままに振り回される。
中国人は個人主義で、自分の得になることはするが、人のためにすることはない、と言う事が十分わかっていながら、彼らの行動を容認してしまう。
顔かたちが我々となんら変わらないので、ついつい油断するのかもしれないが、この地球上に生きているあらゆる民族には、それぞれにその民族固有の生き方が存在すると思う。
例えば、我々ならば、年老いたじいちゃんばあさんから「人様に迷惑をかけてはなりませんよ」、「人の役に立つことをしなさいよ」と、問わず語らずのうちに説かれて成人になるが、これが中國では「人のためにしては成りませよ、自分の得にならないことはしてはなりませんよ」と言われて育ったとすれば、それは一つの文化を形成する。
これを一つの人間の集団としてとらえれば、それぞれの民族という言葉で括ることができ、その民族には民族固有の文化があると言う事にもつながる。
この本はゴミに関する本で、その意味で中国の工業製品は新品でも日本の中古品の方が評価が高いというところから書き出しているが、中国人は乗り物の中では飛行域でも列車でも自分の身の回りにゴミを散らかすということは有名な事実である。
それが彼らの習慣で、彼らは悪意があってそうしているのではなく、大昔から日々の生活の中でもそうしているわけで、それが今日まで引き継がれているに過ぎないと思われる。
けれども大昔の生活では、身の回りに捨てられる物質は、そのすべてが自然に帰るものであった。
食物の残りかすなどというのは2、3日で自然に戻ってしまうが、発泡スチロールやビニールなどというのはいくら時を待っても自然に帰ることはないわけで、大昔の感覚が今もそのまま通用するとは考えられない。
そこは人間の方が時代状況にマッチした思考に考え方を改めないことには、文明の進化はありえない。
その点、日本の若者も案外捨てたものではないと思う。
というのは、禁煙運動の興隆でタバコを吸う人が減り、それに伴って町中から吸殻入れがめっきり少なくなったが、それに呼応して若者が携帯用の吸殻入れを持って、それを使っている姿をよく目にする。
ゴミの話といえば、当然のこと、今回の東日本大震災の津波で出たゴミのことが話題になるであろうが、ゴミの処理というのも大きな社会問題ではある。
その意味で、ゴミを一括りして燃やしてしまえば、有害物質が出るのも当たり前ではあろうが、分別さえすれば立派な資源になる、という話は極めて説得力に富んでいる。
だからこそアジアの諸国ではゴミ捨て場に人が群がって、ゴミの中から資源になるものを選別して、それで生計を立てているという事であるが、東北の被災地ではこれが成り立たないという話だ。
無理もない話で、日本ではいくら選別しても、人件費が高くて採算が合わないという事だが、そこに何か工夫の余地がある様な気がしてならない。
旧ソビエット連邦をはじめとする共産圏諸国では、こういう国家プロジェクトの完遂については囚人を使うことがしばしば行われたようだ。
囚人を使う分には、正当な労賃を払う必要もなく、人権も考える必要がなく、不足しそうであれば新たな罪状でいくらでも新規の人間が得られるわけで、採算性のおぼつかない事業には囚人を使うことが恒常化していたみたいだ。
日本でも北海道の鉄道建設や道路の建設というような社会的インフラ整備の場面では、そういうことがしばしばあったみたいだ。
私はまだ刑務所に入った経験がないので、刑務所がどういう労務作業をしているか知らないが、普通の雇用関係では採算性が合わないような作業には、こういう人の使い方もあってもいいのではなかろうか。
だが、出たゴミを仕分けするよりも、ゴミを出す時に仕分けしたほうが楽なことは言うまでもないが、ゴミを出す時に仕分けするという事は、普通の人の協力がいるわけで、相手にそういう問題意識を持ってもらわないことにはそれが成り立たない。
別の言い方をすると、社会的な成熟度が求められるということで、環境保全とか、省資源というような、今日的な社会意識の向上した人々でなければそれは成り立たない。
あの東日本大震災から既に1年3か月以上経過しているが、メデイアの報ずるところによると、家を失って仮設住宅に起居している。ところが、仕事がないので失業保険と見舞金で生活しているが、仕事がないために暇を持てあまして、パチンコに走る人がいると報じられているが、こんなバカな話があっていいものだろうか。
あの震災でどれだけの義捐金が集まったのか正確には知らないが、何百億円という単位だろうと思う。
それだけの金が、東北の被災地にばら撒かれたとしたら、その分に応じた経済効果が出てきて当然ではなかろうか。
被災して流された品物を買い揃えるとしたら、日本全国からその需要にこたえるだけの品物が現地に流れても不思議ではないが果たしてそうなっているのであろうか。
被災したと言っても、五体満足で仮設住宅に住めるという事は、それだけでも非常に幸運なわけで、 にもかかわらず失業保険と見舞金を当てにして生きる、という事は非常に不遜な態度だと思う。
自分は被災者なのだから「もっともっと同情と金寄越せ」という態度は、人としてあるまじき態度だと思う。
震災や津波はあくまでも天災であって、政府や行政や他者の所為ではないわけで、たまたま自分がその場に居合わせただけのことで誰を恨むわけにもいかない。
被害を免れた人は、それぞれの個人の意思、善意で被災者を救援しようと心掛けているが、被災者はそれに甘えすぎていると思う。
この本の著者も、自ら率先して被災地への救援活動に参加して、額に汗してボランテイア活動をしているが、その志は良しとすべきであるが、その心の奥には「自分は他者に対して良い事をした」という自己満足としての偽善が潜んでいるのではなかろうか。
「俺は人様に良い事をしたのだから善良な人間である。よって下賤な人間は俺を敬い尊敬せよ」という下心が沈下しているのではなかろうか。
自分より弱い人に愛の手を差し出すことは、普遍的に良い事であって、この世に生を受けた人間は、誰もそれを否定することはできない。
けれどもそれを他者に強要することは、善意の押し付けであって、「自分もそれをするからあなたも私に続きなさい」と他者に押し付けることは、善意を通り越して偽善につながると思う。
こういうことを言ったりしたり実践する人は極めて良い人で、世の中の鑑のような人であろうけれど、それに甘える人間が鼻持ちならない。
こういうことは、個人の力ではいくら結集しても微々たるものでしかないので、真面目な善人は、それを社会全体でフォローしよう、しなければ、すべきだという考え方に発展する。
この考え方を具現化したのがいまの野田政権であって、そういう人助けをするには資金がいるので、2年後には消費税を上げますよという議論をしているわけである。
けれども私に言わせれば、天変地変に遭遇して家が流されたからと言って、それをいちいち国家が補償しなければならないのか、という疑問がある。
阪神淡路大地震でも、今回の地震でも、被災された方はそれぞれの個人の不幸であって、それぞれの個人の運、不運の問題であって、個人の運・不運、運命を、国がどうにかするというのはおかしなことではなかろうか。
日本や世界から集まってくる義捐金の話とは別の問題だと思う。
国の政策として、被災地の社会的インフラ整備に金を投ずると言う事は理解できるが、被災者が可哀そうだからといって、感情に依って金をばら撒く、という事は理解しかねる。

「『戦争経験』の戦後史」

2012-06-21 22:23:45 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「『戦争経験』の戦後史」という本を読んだ。
著者は1951年生まれの成田龍一という人だが、1951年生まれというと戦後もしばらくたってから生まれた若い人ということになる。
当然のこと、戦争体験はないわけで、自分の両親か祖母の世代からの聞き語りでしか戦争の実態というものはわかりえない世代ということだ。
この人がちょうど大学に進学するころは、東大紛争華やかりし頃で、世情は荒れに荒れていた。
その中で、ベトナム戦争も真っ盛りで、日本の進歩的な知識人は、皆アメリカの悪口を言っていたころである。
この頃の日本の進歩的知識人は、戦争を観念と感情でとらえて、「それは悪いことだ」という認識で一致していた。
無理もない話で、戦争であれば人をたくさん殺した人が英雄に祭上げられるわけで、人殺しが何で英雄だという論理は一見整合性があるやに見える。
こういう人たちは、並み以上に知識と教養が豊富で、普通の人の何倍も物事を深く掘り下げて考え、それを言葉として表現する能力に長けている。
そういう人を称して、私は、知に溺れる似非学者だと考える。
自然科学者が追及する対象はどこまで行っても自然科学の領域であって、人間の作為が作用する分野ではない。
ところが人文科学においては、どこまで行っても人間の脳の中で際限なく繰り広げられる自慰行為のようなもので、自然科学のような真理に行き着くということはありえない。
どこまで行っても、「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」の繰り返しで、真理に突き当たるということは決してありえない。
ところが戦後の日本の知識階層の人々は、人間の作為的な生き方に善悪、正邪、良し悪しという価値観を当て嵌めて考えるようになってきた。
自然界の食物連鎖を人間界の価値観で裁定しようとしているのである。
自然界の適者生存を、己の奢った思考でもって判定を下そうとしているのである。
この地球上に住む人間は、群れを作って、その群れはある種の社会であって、その社会には群れを率いるリーダーが自然発生的にできる。
リーダーの選出には、その群れの態様次第で様々なやりかたがあるけれども、いかなる群れでもリーダーの統率に確たるものがない事には、群れそのものが流動的になってしまって纏まりがなくなってしまう。
人類の歴史は、その群れの在り様の記録で、その記録を文字で残す群れもあれば、口述による伝承で残す群れもある。
どちらが良くてどちらが悪い、という判定はありえないはずであるが、戦後の日本人は、そういう曖昧な思考を拒絶して、どちらかに裁定を押し付ける傾向がある。
自然界の中で群れのリーダーが、群れの生き残り賭けて、他の群れとしのぎを削るという行為は、戦後の日本人の感覚からすると侵略というニュアンスになるようだが、ならば群れのリーダーは自分の群れが野垂れ死するのを座して見ておれということなのであろうか。
現代の人間の社会を人の群れという捉え方は、無理があるかもしれないが、戦後の、特にこの著者に代表される世代の人々の戦争に対する価値観は、悪しきもの、忌むべきものという感覚で捉えられている。
だが、それはまさしく性善説に依拠した価値観に埋没した思考であって、ある種の独善にすぎない。
戦争ということは生きることそのものだと思う。
人は生きる過程において、血で血を洗う抗争に直面した時に、それが戦争と言われるものであって、双方が知恵をはたらかせて、血で血を洗う抗争を回避することも、時と場合によっては可能なこともある。
だけれども、これを現代の価値観で善悪、正邪、良し悪しという評価をして、悪しきこと、忌むべきことと認定することは、自然に対する傲慢な態度だと思う。
「人は無益な殺生をしてはならない」ということは如何なる世の中であろうとも真理であろうが、その真理も幸か不幸か踏みにじられることが往々にしてあるわけで、その犠牲になられた方は不幸そのものであるが、だから救済措置を講じよと言われてもなす術がないのが現状であろうと思う。
やはり人間の生存には、人間の英知では回避できない運命のようなものがあるわけで、それを昔から天命と言い習わしてきたが、天命は人知では回避できないことを素直に認める他ない。
戦争は「人を殺す行為だから決してすべきではない」という論理は、道徳的にきわめて説得力に富む良い事ように見えるが、ならば自分は「座して民族の滅亡を傍観すればいいのか」ということになる。
戦後の我が同胞は、教育も進んで、大勢の人が教養知性に富むようになってきたので、道徳的にも立派な立場を維持し、綺麗ごとを身上とし、人と諍いを起こすことを避けたいと思っている。
だからこそ、そこが相手に付け込まれるウイークポイントになるわけで、そうなればなったで、その責任を自分たちにリーダーに転嫁して、自分は頬被りすることになる。
この地球上に様々な民族が存在するということは、それぞれの民族が生存競争の渦中にいるということで、ある時ある場所では、それが血で血を洗う抗争であったり、あるいは話し合いによる妥協で、お互いに我を抑え込んでいる状態かもしれない。
そういうことを人間は有史以来続けてきたが、現代になると戦争のテクニックも向上したが、そのニュースを伝えるメディアも、それと並行して発達してきたので、戦争の悲惨さと壮絶さが銃後の人々にも共有されるようになってきた。
だから戦争というものが、戦士だけのものではなくなって、普通の市民の生活にも直接影響を及ぼすようになってきた。
普通の市民が戦争の実相を知れば、当然のこと、戦争に対する批判が出てくるわけで、戦後の日本の平和運動というのは、そういう流れの中で湧き上がってきたムーブメントだったと思う。
戦争が「悪い事」というのは今さら言うまでもなく、当然のことであって、誰も好き好んでする者はいないが、群れのリーダーとしては、自分の群れ全体のことを考えると、武器を手に取らざるを得ないこともしばしばあるということになる。
現代社会では、群れのリーダーという言い方は成り立たず、主権国家の統治者という言い方をせざるを得ないが、基本的には猿山のサルのリーダーと同じである。
知識人たちは、そういう捉え方をせずに、人間の存在を自然から超越し、特に秀でた万物の中の霊長類という認識で捉えようとしているが、やはり人間の存在は自然の中にあるわけで、自然の摂理に支配され続ける存在であることに変わりはない。
この世に生れ出てきた人間は必ず死ぬわけで、その死に方も千差万別だと思う。
若くして死ぬ人もいれば、天寿を全うする人もおり、病気で死ぬ人もいれば、交通事故で死ぬ人もいるし、天災で死ぬ人もいれば、戦争の被害にあって死ぬ人もいるわけで、戦争の被害にあって死ぬ人だけが特別な存在であるわけではない。
しかし、戦争の被害にあって死ぬ人は、不条理、不合理な死に方であることは間違いはないわけで、その部分に諦めきれない怨嗟の気持ちが残るのも偽りのない事実である。
だから、自分の体験した不条理、不合理な戦争の実態を書き残そうと考える人が出てくるのは当然で、それが様々な形で世間に出回った。
戦争の実態を書き残すについても、統治者のサイドからの視点と、統治される側、つまり戦争に無理やり狩り出された側では、モノの見方の視点が違うのは当然で、そういうものが戦後五万と巷にあふれた。
しかもそれが時代と共に書かれる内容も少しずつ変化してきたことを掘り下げたのがこの本の趣旨である。
今次の大戦を経て、戦後の我々の同胞が平和志向になったことは極めて良い事であるが、よく考えねばならないことは、それが観念論に終始して、表層的な綺麗ごとに酔ってしまってはならないということだ。
今次の大戦でも、始める前の我々同胞の思考としては、イケイケドンドン、鬼畜米英、撃ちてし止まん、滅支膺懲と、まことに勇ましい軍国主義の大合唱であったではないか。
戦後は、この大合唱のベクトルの向きが真逆になったけれども、大合唱という部分では、戦線も戦後も何ら変わらないわけで、表層的な見栄えの良い綺麗ごとのスローガンに盲従している図でしかない。
こういう表層的な綺麗ごとのムーブメントに流されない強固な意志を持とうとすれば、物事の本質に迫らねばならないが、そのことは同時に、人間の根源的な意識にまで遡って周囲を見渡すということに尽きる。
この世に生を受けた人間は、本質的に意味もなく人を殺めることを忌み嫌う存在だと思う。
しかし、とはいうものの、自分の家族や、周囲の人や、地域の人や、同胞に危害が及ぶかもしれないと感じたときは、そんな綺麗ごとを捨て置いて、それらを守るために敢えて相手と戦うことを選択する勇気を持つことが真の同胞愛で、愛国心であり、男の無償の愛だと思う。
そういう生身の人間の存在を、冷静な視点で、克明に観察して、感情や情感や理想や理念に酔うのではなく、理性と知性と知識と知恵で解きほぐして、的確な判断と最もベターな決定を下して対処すべきである。
ところが民主政治というのは、この流れが単純ではないわけで、大勢の個々の意見をそれぞれに集約しなければならないが、その過程でモノごとの本質を突く議論というのは敬遠されてしまい、大衆受けのする綺麗ごとの意見が罷り通ってしまう。
この本の趣旨は、戦争を如何に語り継ぐか、という本の在り方の推移を掘り下げようとした作品であるが、であるとするならば、当然のこと、本田勝一の『中国への旅』が俎上に乗ってくるのも必然的な成り行きである。
事実そうなっているが、ここで私の関心は、この本田勝一という人間の思考回路そのものである。
人として戦争を忌み嫌うことは当然のことで、誰も好き好んでするわけではないが、人の集団として避けて通れないときも厳然とあるわけで、そういう場面に遭遇した人は、加害者も被害者も共に犠牲者でぁる。
ところが本田勝一という人は、加害者としての日本人同胞を厳しく糾弾し、被害者の中国人には媚を売っているわけで、この見え見えの売名行為をどういう風に考えたらいいのであろう。
15年戦争といわれる長期の戦の中で、日本人だけが相手を殺し、相手は日本人を一人も殺さなかったとでも言うのだろうか。
トータルで見て、日本人が相手を殺した数の方が、その反対の場合よりも数が多いので、何となく日本側が中国側に迷惑をかけた、という認識が普遍化しているが、戦争である限りそれは避けて通れない道である。
本田勝一に代表される日本の進歩的知識人といわれる人々は、そのこと自体が悪だと言っているが、これも極めて無責任は思考だと思う。
猿山のリーダー、人の群れとしてのリーダーは、群れ全体のことを勘案して、群れを引率しなければならないが、群れの中の各々のメンバーは、自分勝手な行動をとることが可能だ。
他の群れの利益に奉仕しても、それは個々の自由意志ということになる。
自分のリーダーの言うことを無視しても、個の生存は成り立つが、そういうものの数が多くなれば群れの結束力が弱まることは確かで、それは個の責任ではなく、リーダーが無能ということになる。
こういう形の権力の移行は、暴力行為の伴わない平和的なクーデターであって、本田勝一のような中国の犬は、そういう事態を願っていたのかもしれない。
今次の大戦を顧みるまでもなく、我々は、敵と戦う前に同胞との戦いに勝利しなければならなかったみたいだ。
軍隊の中の新兵イジメトいうのは、どこの国の軍隊にも多かれ少なかれあったようだが、我々の場合は特にひどかったみたいで、軍隊という組織社会の中で、古参兵が新兵をいじめるようなことが日常化しておれば、下級兵士が暴走するということも十分ありうる。
けれどもこれは何も軍隊内だけのことではなく、当時の日本社会では、あらゆる場面でこれと同じことが現出していたわけで、これは一体どういうことなのであろう。
小学校の教育現場でも男の先生がいたずら坊主に鉄腕制裁をすることは日常化していたようで、それは学校のみならず一般社会でもそうであったことをどう考えたらいいのであろう。
その習慣を外地にまで行って実施して、そういう鉄輪制裁に慣れていない現地人に、あらぬ怨嗟の気持ちを抱かせるまでになったではないか。
中国人に対しても同じように振る舞ったに違いない。
我が同胞が、同胞の足を引っ張るということは、この戦争を語る際にも大いにありうるわけで、何が何でも同胞の振る舞いを糾弾して、悪し様にののしる同胞の存在をどう考えたらいいのであろう。
旧日本軍が中国の地で無益な殺生を繰り返したことはある程度は事実であるが、だからと言って、我々の同輩がそれをことさら誇大に吹聴して、贖罪の意識をかさ上げすることもない。
自分たちの過誤をひたすら隠蔽することもないが、中国に媚びるような報道をする必要もない。
こういうことは須らく生存競争の一環であったわけで、自分がやらなければ相手にやられてしまうわけで、それでこそ生きるか死ぬかの熾烈な戦いであったわけだ。
我々の側のいう「侵略だ」という言い方は、相手に媚びて、おもねった言い方なわけで、我々の側の言い方でいえば「生命線の維持」であったと言うべきだ。
戦後の我々の歴史認識では、戦勝国が彼らの論理で展開した極東国際軍事法廷の結果に依拠した歴史観が我々の中で普遍化してしまったので、「我々はアジアで悪い事をした」という認識が定着したことによる。
世界中で、「日本のした戦争は悪い戦争であった」という認識が普遍化してしまったので、我々の知識人は実に素直に、かつ従順に、その定義を受任してしまったということだ。
そう我々の側が思い込むのも、ある面では致し方ない面があるわけで、というのも、我々の側の政府指導者、戦争指導者、高級参謀、高級将校たちは、結果的に自分たちの同胞をも騙していたわけで、嘘の戦果報告をさも真実かのように国民に伝えていたので、その欺瞞を知った国民としては、自分たちの同胞を信じられなくなったというのも道理ではある。
戦争に負けたと言う事を素直に受け取れば、日本の戦争のプロフェッショナル、陸軍・海軍の軍人は一体何をしていたのだ、と言う事になるではないか。
事実そうなったればこそ、あの戦争に生き残った大人たちは、日本政府も行政のシステムも信用できない存在になってしまったのである。
だが、そういう背景も判らないではないが、戦後の平和主義というのも、平和、平和と大声で騒ぐだけで平和は向こうからくるわけはないわけで、自分の身の回りの情勢を、冷静な視点と沈着な手法で見極め、見定めるという理知的で知性的に優れた思索でもって考察することを学ばねならない。
感情論に押し流されて、「戦争は悲惨で酷だから止めましょう」では、何の説得力もない。
本来、こういう論理を大衆や民衆に説くべきは智識階層の使命のはずであるが、日本の知識階級はあの終戦の詔勅を聞いたとたんにPTSD:心的外傷後ストレス症候群に陥ってしまって、ショックから立ち直れないままになってしまったのである。
知識人として、過激な行動に出る若者を鎮静化させるべき人たちが、ミイラ取りがミイラになったようなもので、彼ら側になびいてしまったのである。
それは戦後の風潮としての民主化という大きなムーブメントの中に取り込まれてしまったと言う事である。