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ブログ・Minesanの無責任放言 vol.2

本を読んで感じたままのことを無責任にも放言する場、それに加え日ごろの不平不満を発散させる場でもある。

『ローマ人の物語 Ⅳ』

2012-10-02 11:31:41 | Weblog
知人が善意の押し売り的においていった本で、『ローマ人の物語 Ⅳ』を読み終えた。
今回はシーザ-が今のヨーロッパ全域を制覇する物語であって、『ガリア戦記』そのものの忠実なトレースとみなしていいと思う。
『ガリア戦記』はシーザー自身が自分の陣中日記を認めたとみなしていいと思う。
ところが今こうして難なく物語としてそれを読むことができるが、これも考えてみると実に大変なことだと思う。
何せ2千年以上も前のことで、その時代のことを記録にとどめておくということは実に大変なことだと思う。
当然、本物は消失していて、人づての話が伝わっているに違いないと思うが、それでも大いしたものだと思う。
日本でもこの時期の話は神話と混同されてしまって、真偽のほどは藪の中というケースが多いが、21世紀の我が同胞の中には、「神話はフイックションだから罷りならぬ」といきまいている人がいるが実に子供じみた思考だと思う。
自分たちのルーツを子供に教えるのに、神話と事実を混同して教えるのも馬鹿げたことで、神話は神話として、歴史的事実は事実として分けて教えるべきで、それを無理やり天皇制の話とくっつけようとするからこういう陳腐なことになるのである。
日本という国の始まりを、神話や天皇制とくっつける思考は、明らかにイデオロギーに浸食された思考であって、そんなことに大の大人が振り回されること自体が陳腐なことだ。
この、『ローマ人の物語』の中には元老院という言葉が頻繁に出てくるが、これは私の解釈では今の世界各国の国会・議会のようなものと考えていいと思う。
シーザーがガリアで、いわゆる今日のフランスの地で、戦闘に明け暮れている姿というのは、完全なシビリアン・コントロールが実践されていたということである。
数ある本を乱読してみると「ルビコン川を渡る」というフレーズに行き当たるが、私は恥ずかしながら今までその意味を十分に理解していなかった。
それはまさしく「後に引けない一線を越える」という意味で、シビリアン・コントロールを終わらせて帝政に持っていくという意思の表れだった、ということを今回はじめて知った。
人を統治する手法としては、大勢の知恵を習合して最大公約数を引き出すか、それともたった一人の英雄にすべてを任せてついていくかの二通りしかないと思う。
それぞれに一長一短があるわけで、民主的手法が最良ともいえないと思うが、今の日本の人々にとっては、それ以外の政治的選択はありえないように思う。
シーザーの著した『ガリア戦記』の中に登場する諸民族は、それぞれにヨーロッパの各地に跋扈していた野蛮な部族であって、この時代は地球規模でそういう状態であったに違いない。
文明というのはギリシャとローマにしかなかったわけで、そのローマ人からすれば、ヨーロッパの黒い森の中の住人は野蛮人そのものであったに違いない。
こういう人間の集団を率いるには、聡明なリーダーによる独裁政治の方が効率は良いに違いない。
なんとなれば、意思決定が短絡的で素早い決定ができるので、緊急事態への対応が的確に可能になるが、民主的な政治手法では、その部分に遅れが生じる可能性がある。
この本は、その大部分をシーザー一人の記述で成り立っているが、今から2千年以上前において、たった一人のジュリアス・シーザーについてこれほど克明に書き記すということは実に驚くべきことだと思う。
その彼がヨーロッパ全域を制覇するということは、ある意味でローマの文化を伝搬したということでもあるわけで、今流の言い方をすれば近代化に貢献したということになるであろうが、人間の営みというのは、所詮こういう行為の積み重ねで成り立っているのではないかと思う。
昨今、日本の周辺諸国は、日本に対してさまざまな外交的ジャブ、チョッカイを出して、日本を紛争の渦の中にひき入れようと画策している。
しかし、主権国家がそういう行動をするという背景には、当然のことながら、こちらの対応を予測して行動を起こしているわけで、ただたんに思い付きでしているわけではない。
相手の行動を細心の注意を払って観測して、十分に勝算が望めるという目途がついたときに行動を起こしているのである。
日本周辺の諸国が、日本に対して外交的なジャブを繰り出してきたのは、言うまでもなく民主党政権になって、鳩山由紀夫がアメリカの存在を無視するかのような発言をしたことによって、アメリカと日本の関係がぎくしゃくして、そこにくさびを打ち込んで、双方がお互いに離反するように画策しているのである。
鳩山由紀夫の一時的な人気取りの施策としての「良い恰好シイ」のパフォーマンスと見たロシア、韓国、中国という国々は、鳩山由紀夫が政権の座にいる間に、日米同盟を無効にしようと考えたわけで、金持ちのボンボンの幼稚で、無知で、世間知らずの思考見透かされていたということに他ならない。
この本の中ではジュリアス・スシーザーはまだローマの共和制の下でのシビリアン・コントロール下での活躍であったが、いよいよルビコン川を渡ることによって、帝政ローマに移っていくことになる。
この本が今までの過程で縷々述べている中にも、共和制、いわゆる元老院の決定にも判断の間違いが数多くなることを示しているが、共和制というか、民主的というか、数多くの意見を聞いたうえで事を決するというシステムには大きな欠陥がある。
時間と金が掛かることは言うまでもないが、もう一つ責任の所在が不明確で、失敗の責任をだれに負わすかという問題がある。
結果オーライで事が成功したときは、英雄に祭り上げられるが、失敗したときの責任を明確にすることは甚だ難しい。
これが帝政下の独裁政治であれば、ことは簡単であるが、民主政治で皆が寄ってたかって決めたことが失敗となった場合、責任の所在は極めて曖昧にならざるを得ない。
ローマ人が野蛮なガリア諸民族を次々に平定して、それに成功したシーザーが祖国に凱旋しようとした時、それをローマの人々はあまり歓迎しなかったわけで、そこでシーザーはルビコン川を渡るか渡るまいか迷った挙句、渡ってしまったので、その後のローマは帝政になったということである。
ところが、この時、なに故にローマの人々は素直にシーザーの功績を称えなかったのか、ということである。
浅薄な私が推察するに、やはりこういう場合、成功者に対するやっかみの心理が作用するのではないかと思う。
我々の身近な例にたとえれば、湾岸戦争の戦後処理でイラクに派遣した自衛隊が、立派な実績を上げて引き揚げてくるのに、日本の議会が冷ややかな目で眺めている図だと思う。
現地の苦労を考えたこともない銃後の人々が、軽薄な理想主義を金科玉条として、その画餅のような理想に反するからと、血と汗を流した人々を冷遇した構図ではないかと思う。
この時のローマ市民は、ローマ市民であるが故に兵役を担い、税を負担しなければならなかったが、この負担を担わなくてもいい階層もいたわけで、その分発言権もなかったようだ。
しかし、統治するものとされる側の確執は、いつの世もついて回るわけで、その中で大勢の人の意見を汲み取る施策は、良い事の代表のように思われているが、この思い込みが往々にして道を誤るもととなっている。
大衆、民衆の求めるものは、自分たちが得することのみで、自分たちの負担になることは極力回避しようと願っているものである。
人間の心理として当然すぎるほど当然のことである。
しかし、為政者、統治側としては、配下の全員、国民の全部、市民の大部分の期待に応えねばならないが、そう好都合なことばかりではないわけで、時には負担を強いることも出てくるが、統治される側としては、それは我慢らないわけで、不信任ということになる。
これは2千年前も今日もいささかも変わらず、民主党政権の、特に、鳩山由紀夫には、その部分が理解不可能であったが故に、周辺諸国から外交的なボデイー・ブローを見舞われたのである。
「普天間基地を少なくとも県外に移設する」などという茶番がありうるわけがないが、それが判らないということこそが、如何に本人がダメ人間かということを端的に表している。
そういう発言をすることで、彼は国民の人気を得ようと、出来もしない美辞麗句を並べてはみたものの、彼のパフォーマンスは誰の目にも人寄せパンダ以下の評価でしかなかったということだ。
そもそも大衆に受けようとする魂胆が、いやらしく、卑屈で、足元を見透かされているにもかかわらず、本人のみがそれに気が付いていない図である。
彼は金持ちのボンボンであるが故に、大衆の深層心理を真から理解することなく、表層的な流れに翻弄された構図であろうが、高等教育を受けた身で、政治家でありながら、それに気が付かないということは、人間として致命的な欠陥である。


『ローマ人の物語 Ⅲ』

2012-09-26 21:35:36 | Weblog
友人からの善意の押し売り的においていかれた本で、『ローマ人の物語 Ⅲ』という本を読んだ。
サブタイトルは「勝者の混迷」となっていて、著者はいうまでもなく塩野七生女史である。
ハンニバルとの戦いが終わってローマに平和が来るかと思いきや、それが混迷の時期の助走であったということが縷々述べられている。
今までの前2冊も相当に重厚な内容で、読み切るのに集中力を要したけれども、私のいい加減な読み方ではその全てが頭の中に残るというものではない。
特にローマ人の名前などは私にとってはただただ記号でしかなく、その人間関係など私の頭脳では整理しきれるものではなく、覚えきれなかった。
しかし、この分厚い本を読んで印象に残ったことは、この時代、紀元前の1、2世紀という大昔に、既に兵役の志願制というのが確立されていたという事実には正直驚いた。
志願制というよりも、主権国家の国民としての認識を既にこの時期に備えていて、その認識の上に立って、自分たちの国の安全保障の維持に、国民各位が義務と責任を持っているという認識は、実に驚くべきことだと思う。
前の本では、カルタゴの傭兵というシステムに関心が向いたが、今回はローマの志願制に非常に大きな興味が沸いた。
この話が、日本ではまだまだ神代の時代にすでにヨーロッパ、中でもイタリアを中心とする地中海沿岸では、こういう人間の営みがあったということは実に驚くべきことだと思う。
ローマ市民の意識というのは、完全に21世紀の先進国の市民感覚と同じものがあった。
私がこの時代のイタリアを想像するに、ギリシャ、ローマを中心とする都市国家、いわゆるポリスも、あちらこちらに展開していたが、その周りにはまだそういう形態を作りえない蛮族としてガリア人、未開部族が散在していて、文化的おすすんだ集落は、そういう未開人を傭兵として取り込むこともあったであろうが、逆にそういう未開人の反撃を受けるケースも多々あったに違いない。
それを私並みの凡人に判りやすく説明するには、アメリカの西部劇を思い浮かべればいいと思う。
紀元前のローマ人は、アメリカ大陸を西へ西へと進む開拓者であったわけで、それを推し進めるためには、自己防衛をしながらインデアンを制圧する構図と瓜二つである。
ただここで注意しなければならないことは、自分の属する集団に対する誇りと忠誠心である。
紀元前のローマでも21世紀の日本でも、兵役という労苦を好む人間はいないわけで、兵役などというものは、人間であれば誰しも嫌なことであって、好き好んでするものではない。
だからそれを強制的に人々に強いれば、それを受ける側は、誰一人積極的にそれに尽力するものがいないのも当然のことである。
だからこそ、カルタゴのように、それ専門の人士を外部から引き入れて、それを傭兵として自分達の国の安全保障を担わせたが、基本的にこういう用心棒が雇い主に真から忠誠を誓うわけがない。
忠誠の度合いも所詮金次第ということになる。
そういう反省の上で、「自分の国は自分達で守ろう」という理念の下に徴兵制によって国民の各層から均等に、公平に人員を選別して、国民兵のシステムを考え付いたが、これはこれで大きな矛盾を抱え込んでいたのである。
国民の各層の中から一定の条件を満たすもの全部に、均等に兵役を振り分けたので、極めて公平な感がするが、これはある意味で玉成混交なわけで、味噌も糞も一緒くたにするシステムであった。
この世に生まれ出た人間の中には、当然のことながら、兵役という苛酷な試練に耐えきれない人間も数多くいるわけで、徴兵制というシステムはそういう人間を救済する術を持たない。
普通の常識で考えても、苛酷な兵役をこなせない軟弱な人間を無理やりシステムの中に抱え込んでも、マスとしての軍団が機能的に活躍するとは限らないので、良い事は何一つありえない。
徴兵制という国家の定めた制度であるからには、体制の側からそういう軟弱な人間を排除するという思考はあり
体制側が「お前は体が軟弱で使い物にならないから来なくていい」などと言えば、今の人権感覚からすれば差別になるわけで、ひ弱な人間でも何とかシステムの中で使い道を探さねばならない。
ところがこれが志願制の下では、体制側は、体制の維持にとって優秀な人材を選別して確保できるわけで、軍務に合わない軟弱な人間を抱え込む必要はない。
結果として、強力で優秀な人材を確保できる。
ただし、徴兵制の下で集めた将兵は、平和な時は従来の生業につかせればいいが、志願制の下では、兵役そのものが職業と化してしまうので、平和な時もそのまま維持しなければならないという不都合がある。
この問題は、古代ローマも今日の日本でも未だに解決しきれないテーマであるが、人が生きるということはこういう問題を抱え込んで生きているということである。
であるならば、我々はもっともっと国家の生き方、在り方、民族の誇りとプライドに真摯に立ち向かわなければならない。
ただ21世紀という時代は、ローマやギリシャの都市国家とは違って、世界中がリンクしあったグローバル化した中で生きているので、自分の国籍、自分はどこの国の人間か、ということがあまり問題ではなくなってしまった。
余所の国に行って、自分の国の悪口を言っても、国家反逆罪にもならなければ売国奴にもならず、ある意味で英雄視さえされかねないので、国家に対する帰属意識というのは極端に無くなってしまった。
そういう国民をも飼っておれる日本という国は、それだけ世界的に優れた国ということも成り立つが、本人は、そのことに気が付いていないので、祖国に対する不満のみが表面化しているに過ぎない。
ローマという都市国家が、紀元前に巨大ローマ帝国を築いたということは、ローマ人の国家への帰属意識に他ならないが、彼らは自分の國を維持するために、市民権を広範に周囲の人々にも広げて、その市民権を得た人々が、その権利をこよなく愛したから、こういう偉業が成ったように思われる。
市民権とは、言うまでもなく納税の義務と兵役の義務を負うものであって、それを積極的に下支えする気概を人々が持っていたからこそ、それがなったと思う。
この時代には市民権を持った市民は、ある意味でごく限られた恵まれた人達であったわけで、その他には奴隷というのがあった。
ところがこの奴隷というイメージは、私の場合、アメリカ南北戦争の時の奴隷をイメージしがちであるが、どうもそれとは違うらしい。
良家の子女の家庭教師をする奴隷とか、領主の執事か秘書のような役割の奴隷もいたとようだが、奴隷というのはただ単に自分の運命を自分で決められない人々という意味合いらしい。
けれども、戦争の捕虜を奴隷にするということは、ある意味で荷役をする家畜の延長線上の存在と思っていたが、そういう人はそういう能力しかなかったから、そういう立場に甘んじざるを得なかったということなのであろう。
そもそも戦場で戦う兵士は、どこの国でも無頼漢のようなならず者の集団なわけで、そういう者が戦争に敗北すれば、家畜の延長として使役に使われるのは致し方ない。
先に述べた徴兵制の弊害というのは、体制側が集まってくる兵士の選別ができず、味噌も糞も一緒くたに面倒を見なければならないという点にあったが、平和な時にはまた元の生業に戻すというメリットは確かにあった。
ところが、これが志願兵だと、平和な時はいきなりリストラということになるので、やはりメリット・デメリットを併せ持っていたことは変わりない。
ローマでは、徴兵にしろ志願制にしろ、ローマ市民が自分の國は自分で守るという認識が普遍化していたが、カルタゴは経済で得た金で用心棒、いわゆる傭兵を雇うという選択をしたわけで、これでは国家としての基盤は薄っぺらなものにならざるを得なかったと思われる。
その中で、戦争を専門に担う奴隷の存在もあったわけで、それはそれでローマ人という文化人にとっては一つの娯楽になっていたようで、今のプロレスのデス・マッチに等しいようなものまであったということ
今のプロレスのデス・マッチは、本当に死ぬまで戦うわけではないが、ローマの時代は本当に相手を殺すまで戦ったわけで、その意味では今の感覚からすれば野蛮なことをしていたということになる。
しかし、野蛮かそうでないかは極めて曖昧なもので、剣闘士のデス・マッチを眺めることが野蛮であって、自分の祖国の国益を阻害し、祖国を売る行為が野蛮でないということは言いきれない。
アメリカで日本の近現代史を研究して、アメリカの日本統治の手法を鵜呑みにして、祖国に対する自虐史観のスパイラルに嵌りこんで、そこから抜け切れない日本人の若い研究者がいるということであるが、これなどまさしくれ歴史研究者のグローバル化そのものだと思う。
昨今、我が国は中国とも韓国とも関係がぎくしゃくしているが、それを踏まえて日本の学者の中で、「双方の学者が真の歴史認識を相互理解に努めるべきだ」と判ったようなことをいう人がいるが、お互いの主権国家同士で歴史認識を理解し合うということが成り立つわけがないではないか。
中国は中国の価値観で自分の国の歴史を説き、韓国は韓国の価値観で自分の国の歴史を説いているが、我々は相手国の価値観に阿(おもね)って自らの歴史を説こうとするので、相手の言い分と噛み合わないのである。
相手は自分の価値観で押しまくってくるので、こちらがその勢いにたじろいでいる間に、主導権を握られてしまって、相手の言葉に言い返すタイミングを逸してしまい、相手の言う事に反論するチャンスを逃がしてしまうのである。
こういう口げんかの巧妙さでもって、相手は自分の言った事が正しい事だ、と正当性を主張して、歴史のねつ造を事実とすり替えてしまうのである。
中国や韓国以外では1+1は2であり、2+2は4であるが、こういう国では1+1は3であり、2+2は5であってる、日本がそれは違うと言っても、中国では、韓国ではそうなっていると言って、強引に押し切っている姿である。
いくら話し合っても、認識の土俵が違っている以上、話の落としどころはありえないわけで、どこまで行っても平行線をたどるのみである。
その意味からも主権国家どうしで共通の歴史認識など有るわけがないではないか。

『ローマ人の物語 Ⅱ』

2012-09-23 08:42:08 | Weblog
友人が親切の押し売り的において行った本で、『ローマ人の物語 Ⅱ』を読んだ。
サブタイトルは「ハンニバル戦記」となっていた。読み始めたら止まらなくなってしまった。
こうなると完全に怠惰な人間の成り代わってしまって、本から目が離せず読み終わるまで何も手につかない。
この本の著者、塩野七生さんは女性にもかかわらず書かれている内容な完全に戦記ものであって、いわゆる戦争の本である。
ここには平成の日本人が失ってしまった国家と自らの所属集団に属しているという誇りが縷々述べられているが、何故に戦後の日本人はそういうものを失ってしまったのであろう。
紀元前のローマの人々のみならず、地中海地方の諸民族は、皆それぞれに自分の所属する集団に忠誠を誓い、そういう自分の祖国に殉じることがごく普通に行われていたようで、その辺りの考察は今の我々の同胞が不勉強であったからではなかろうか。
ただ私の個人的な関心としては、マケドニアという国、この国は今のチュニジア、アルジェリアにあたるようだが、これらの諸国は基本的には貿易立国であったようで、兵力というものを傭兵に頼っていたようだ。
こういう話になると私の関心は、フランスの外人部隊という方向に流れるが、傭兵とか外人部隊というのは、我々日本人のイメージからは思いつかない発想である。
ヨーロッパではこういう傭兵というのが普通にあるようで、私の知っている範囲では、スイスなどはこの傭兵として兵士を他の国や地方の豪族に派遣することで国家を潤していたとも聞く。
日本の戦国時代には、日本の武将あるいは豪族の首領は、自分の地域の百姓の集落に行って、兵力としての雑兵をかき集め、それを自分の陣営に組み入れて兵団としていたわけで、その意味では洋の東西を問わず人間の考えることは同じだと言える。
また近世に至ってもヨーロッパ諸国はアジアから兵士を駆り集めて、ヨーロッパ戦線で戦わせたというようなこともしばしばあったみたいだ。
この紀元前の兵制と同じことを19世紀までしていたということは、ヨーロッパではもともとの人口の絶対数が少なかったという点に起因していたのかもしれない。
にもかかわらず、ローマ軍は自分たちの同胞で軍隊の大部分を構成していたので、強かったという認識で記述されている。
思えば、そうなるのも必然的な自然の流れであったかもしれない。
そもそもヨーロッパの半島から地中海の沿岸のアフリカ北部には、さまざま部族が群雄割拠していたに違いない。
この本のストーリーは、イタリア半島の中央部にいたローマ人の部族の栄華盛衰を述べた物語であって、イタリア半島のみならず、この辺りにはさまざまな部族がさまざまな場所の移り住んでいたに違いない。
いわばそういう人たちが自然発生的に集落をつくっていたという事だと思う。
その集落が要塞を築けば、それがポリスであり、都市国家ということになるが、数ある部族のなかには、そういう集落の形態をとらないものがあったにちがいない。
人の群れが集落をつくれば、当然、それにはテリトリーが形造られるわけで、それが今の言葉でいう国境という概念になったものと思われる。
この集落においては、自分のテリトリーだけを維持し、積極的に外に出てテリトリーの拡張を望まなければ、自分たちだけの若者の集合でこと足りたが、積極的に勢力の拡張をしようとすると、自分たちの若者の人数では足りないので、どこからか融通してこなければならない。
だから金で武装集団を雇い入れるということになるのであろう。
この本で描かれている場面は、カルタゴの武将ハンニバルがローマを席巻して、最後には死に至るまでを縷々述べているが、カルタゴという国は貿易立国であるが故に、自前の兵力・武力を持たずに、その大部分を傭兵で賄っていたという点が非常に興味惹かれるところである。
それに反しローマは、兵力・武力の大部分が自前の市民でなり立っていたので、優れた力になっていたと説かれている。
紀元前のことでありながら、21世紀の今日でも立派に通用することは、立派な武将が必ずしも優れた政治家、統治者になるとは限らないということである。
だが優れた政治家や統治者であるならば、戦争についても広範な知識と経験が入用であることは真理だと思う。
国家の存立ということは、突き詰めれば生存競争を生き抜くという事であって、その為には周囲の諸国家と熾烈な駆け引きをしなければならないわけで、その為には武力行使を念頭に置いて駆け引きをするのが常識であり、綺麗ごとだけでは生き馬の目を抜く国際社会は渡りきれない。
平成の日本は、戦後67年間も武力抗争の実態を知らずに来ているので、自分の国の国益が損なわれているという実態を認識しきれない。
その上に民族の誇りという認識も持ち合わせていないので、ただただ家畜並みの自意識しか持ち合わせていない。
この本の主題になっている古代ローマも、周辺諸国、あるいは周辺の民族との熾烈な軋轢を経て、地中海の王者になり、何時の日にか衰退したのであるが、いかなる民族にも自分の所属集団に対する誇りというものは持ち合わせていると思う。
紀元前、日本で言えば神代の時代に、地中海においてはこういう人間の営みがあったのかということは、実に驚異的なことだと思う。
カルタゴのハンニバルという武将は、カルタゴの植民地であったところのカルタヘーナ(スペイン)を出発して、アルプス山脈を越えイタリアの北側からイタリア半島に入り、その半島を南下してイタリアの靴の先っぽまで行き、そこからアフリカに渡り、16年間も戦い続けたというのだから驚く。
この本はその16年間の戦闘をくまなく書き連ねているわけで、実に驚くべき記述である。
全編、ハンニバルとスキピオの戦闘の状況が克明に記されているが、読んでいて実に痛快であった。
それと合わせて、人間の欲望というものは、紀元前のこの時代から21世紀の今日に及ぶまで、いささかも進化していないというのも一種の驚きである。
この本の主題として描かれていることは、いわゆる「ハンニバル戦争」についての戦記であるが、カルタゴのハンニバルは何故に16年間もローマと戦い続けたのであろう。
最初はテリトリーの拡大という具体的な目的があったかもしれないが、それにしてもあの時代において、アルプスを越えてまで北側からイタリアに攻め入ろうという根底には、領土的野心などというという今日的な視点では言いつくせない何かがあったのではなかろうか。
それでいてハンニバルとスキピオという両雄は、会って話し合えば判りあえる部分が大いにあったわけで、にもかかわらずその後も戦争をし続けたということは、人間というものは常に諍い合う存在という事なのかもしれない。
諍いの原因は何でもいいわけで、諍い続けることが人間の生存の直接的な目的だったのかもしれない。
いつの代でも、「戦争」と「平和」でどちらが良いかといえば「平和」が良い事は万人が認めるが、にもかかわらず紀元前から人間は諍いを止めないわけで、それは一体どうしてなのであろう。
ハンニバルはイタリア半島全域にカルタゴの旗を立てたかったので、はるばるアルプス山脈を越えてまでイタリアに攻め入ったのであろうか。
この思いは、多分、ハンニバルにはあったと思うが、それは領土的野心と同時に覇権主義でもあったわけで、この二つが闘争心の根底に横たわっていたということかもしれない。
「自分の版図を拡大したい、自分の覇権を広範囲に拡大したい」という欲望は、為政者としての根源的な欲求であることはよく理解できるが、それを実現させるにはまず内側を安定させなければそれはならないと思う。
ただここで興味深い事は、この本で綴られている両雄の在り方は、今でいうところのシビリアン・コントロールが立派に生きていることで、これは大いに驚くべきことだと思う。
為政者から軍務を委託された司令官が、為政者の希望に応えるべく、任地で活躍する形態がすでにこの時点で出来上がっているわけで、それはある意味で世界的に普遍的なことであったといえる。
ところが日本の戦国武将では、為政者と軍務を担う司令官との峻別が曖昧で、厳密な意味でシビリアン・コントロールにはなっていなかった。
ただ戦略上、配下の戦力を適材適所に分散配置することはあっても、統治するものと軍務を担うものがきちんと分かれていたわけではない。
人類が対外的な戦争を遂行するというときは、戦場という空間を面で認識しなければならないので、力を広範囲に分散しなければならず、そこでは自ずから役割分担をせざるを得ない。
その意味では日本も同じ行動パターンにならざるを得ず、それは自然の普遍性ということであったかもしれない。
兵器の技術革新が未熟だったこの頃、人の数だけが軍事力を測るバロメーターであったわけで、その意味で国民兵・市民兵であろうが、傭兵であろうが大した変りはなかったわけだ。
ただこの時の傭兵という発想は、ヨーロッパでは今でも生きているわけで、湾岸戦争の後のイラクの復興の際の民間警備会社の存在は、正規軍が軍務の一部を民間警備会社に委託するという発想で、傭兵の進化したものと思えてならない。
我々は幸か不幸か67年間も国家間の武力抗争を経験していないが、これはこれで極めて危ない状況だと思う。
昨今、小中学校でのイジメの問題が噴出しているが、これはイジメという行為の是非を問う話ではなく、生き方そのものが問われているのである。
イジメに対し「戦争反対」を叫ぶのと同じレベルの綺麗ごとを言っていても、事の本質を真に理解したことにならず、イジメが止められない。
イジメはそのこと自体が小さな戦争なわけで、それに対応するには当事者の毅然たる心構えが必要であって、「如何にイジメに対応するか」というそのこと自体が、当事者の生きるための選択が問われているのである。
それに立ち向かうのは当事者以外にない。
ハンニバルのイタリア遠征もある意味でこのイジメの構図に似ているが、注視すべきはイジメられた側のイタリア・ローマの抵抗の仕方である。
こういう状況下で生き抜くということは、全知全能を結集してことにあたらねばならないわけで、周辺の諸国家と共存共栄を図ろうとすれば、日夜を上げて知恵を寄せ合い、対抗策を練りあげ、遺漏の無いように策を弄せねばならない。
平和を維持するということは、「平和だ、平和だ」と言って浮かれている場合ではなく、次なる危機に備えて用意周到、準備万端、整えるときであるということを忘れてはならない。
我々は67年間もそういう事に思いを巡らしたこともなければ、危機を思い描いたこともない。

『ローマ人の物語 Ⅰ』 

2012-09-21 07:13:22 | Weblog
8月に入ってからどうにも本を読む気力が失せた。
それで1ヵ月近く本を読むことから遠ざかっていた。
特別にこれといった理由は見当たらない。
ただ近所に住む知人が、「この本は良い本だから読んでみるといいよ」と言って10冊近い本を持ってきてくれたがこれがいけなかったようだ。
いつもは図書館に行って自分の目で「この本は面白そうだな」と思うものを借りてきて読んでいたが、今回のように、親切の押し売りに合うと、どうしても相手の好意が心の重荷になって、素直な気持ちで取りかかれなくなってしまう。
結果的に半年余りその本には触ることもなかったが、あまりに無為な時間を持て余して、寝ころびながら、最初の一冊をひも解いてみた。
『ローマ人の物語 Ⅰ』 。サブタイトル「ローマは一日して成らず」  著  塩野 七生 
紀元前のローマの記述が綴られていて、まるで神話の世界であるが、まんざら知らない単語ばかりではなく、ローマに行った時、目にしてきた単語がちらちらしていたので、ついつい引き込まれて読み切ってしまった。
確かに、登場人物に限っては神話の中の神様の名前でしかないが、それは日本の昔話でも同じなわけで、人の名前など記号だと思って読み進めば、ストーリーの輪郭をたどるのに何の支障もない。
紀元前のローマのことを「ローマの歴史」として読めば、肩が凝って投げ出したくなるであろうが、物語だと思って読み進めばそれなりに面白い。
今からおおよそ2400年も前のことが今語られるということは、その当時に既に物事を記録する術を人間が持っていたということだと思う。
古代ローマにおいて、既に人類は知性と理性を備えていたということは実に驚異的なことだ。
この古代ローマができた時、アジア大陸では殷が勃興し始めた時期で、日本ではまだ歴史以前の縄文時代であった。
卑弥呼伝説もあったかどうかの時代である。
この時すでに「すべての道はローマに通じる」という状況があったというわけで、こうなると登場人物の名前が神話的であろうともストーリーを追いかけてみたくなるのが好奇心というものである。
だから紀元前の話の中で、誰が、何を、何時、何したという話は、どうでもいいわけで、その時の人間としての感情の変異に興味惹かれるものがある。
別の言い方をすれば、統治の手法であって、人の集団の長は、どういう風にして隷下の人々を統率していたのかという部分に非常に興味深いものを感じる。
ただ後世の人が歴史を綴るという時、どうしても統治者の業績、実績の列挙ということになりがちで、この本の著者は、その部分をできるだけ掘り下げて説こうとしているので、その点が私にとっては興味ある部分であった。
この時代、ローマがあって、ナポリがあって、ポンペイがあって、アテネがあって、スパルタがあって、その他諸々があったわけで、それぞれに都市国家を形成していた。
当然、その都市国家の間には、良好な関係の時もあったろうがその逆の時もあった筈で、それぞれに自分の集団としての都市国家には、それぞれの生き方があったに違いない。
この本を読んでいた時(平成24年9月18日現在)、丁度、中国で反日デモが勃興していたので、国家の在り方というものが必然的に頭の中をよぎる形となった。
自分という一人の人間が、主権国家の構成員の一人であるという、在り方を考えることとなった。
古代ローマでも、古代ギリシャでも、ポリス国家と言われているが、このポリスを21世紀の感覚で言えば、ある限られた人間の集落とみていいのではないかと思う。
そこには人間という生き物の、自然のままの在り様が展開されていたわけで、それが日時を経るに従い、自分たちの在り様の効率化、合理化を目指すようになり、それが統治というシステムの構築となったに違いない。
その統治のシステムは、それぞれのポリス、いわゆる人間の集落ごとに違っていたわけで、それが現実の歴史としての合従連衡をしていたわけで、その部分をわかりやすく説いたのがこの本である。
日本でいえば、神話以前の神代の話が今日まで伝えられているということは驚異的なことだと思う。
しかし、我々の祖国も、昭和15年に皇紀2600年というお祝い事をしていることを考えると、この古代ローマと同じ歴史的時空間を共有しているということになる。
紀元前の昔から今日に至るまで、人間の本質はいささかも変わっていないように見える。
その変わらない部分にあるのが、自分の所属集団に対する愛着であって、それが民族の誇りとして銘々の人々の生きるための精神的な糧になっているように思われる。
それを端的な言葉で言い表すと、愛国心であり同胞愛となるが、これを人間はこの時代から連綿と引き継いできているのである。
ところが21世紀の我が同胞は、この愛国心も同胞愛もかなり希薄になってきている。
無理もない話で、19世紀以降の人間は物質文明の進化で、自分の身の回りの人間に依存しなくても生きていけるわけで、祖国や同胞に忠誠を誓わなくとも生きていける状況が出来上がれば、愛国心が希薄になるのも自然の流れである。
自分の所属集団に忠誠を誓わなくとも生き延びるチャンスはいくらでもあるわけで、「誇りだけで飯が食えるか、誇りだけで命が永らえれるか」という素朴な疑問に直面するようになったのである。
自分が生き延びるためには、誇りなど何の値打もないと考える人が出てきても不思議ではない。
人が生きるということは、名誉と食い扶持とのバランスの上に成り立っているわけで、それこそが生存競争である。
ところが19世紀以降の技術革新は「食う」という人間の必要条件を完全に克服してしまったので、その中では自己の名誉など有っても無くても生きていけるのである。
それこそが福祉社会なわけで、こういう世の中になれば、それこそ愛国心も同胞愛も過去の遺物に過ぎず、時代遅れの思考にすぎない。
そういうものの価値観の低下は、人々の結び付き、いわゆる社会の絆の希薄化にもつながっているわけで、それは家族の間にも隣人の間にも見えない糸で結ばれていた筈のものが喪失したと考えられる。


「新戦争論『太平洋戦争』の真実」

2012-08-12 08:25:11 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「新戦争論『太平洋戦争』の真実」という本を読んだ。
サブタイトルには「戦争と平和について仮想家族、3世代の対話」となっていた。
著者は佐治芳彦という人であったが、サブタイトルにもあるように、3世代の家族の対談という形で説き進められているので、読みやすく判りやすかった。
私にとっては8月15日が近づくとどうしてもこういう話題になりがちであるが、世の中はオリンピックと高校野球に夢中になっている。
戦争を忘れて、そういうスポーツに熱中できるのも、平和なお蔭であるが、ここで言う「お蔭様で平和を享受できている」という現実をありがたく思わず、それが当たり前だと思っているとしたら、大いなる罰当たりだと思う。
平和というのは、心して築き上げるべきものであって、待っておれば向こうからやってくるものではない。
戦後67年も経ち、その間に様々な書物を読んだが、書物をいくら読んだところで、平和に貢献することにはならない。
自分の国の平和に貢献するということは、何も自衛隊に入って積極的に訓練を受けることではないと思う。
もちろん、そういう人はそういう人で素晴らしい貢献ではあるが、すべての人が同じことをする必要はないわけで、基本的に祖国に貢献するということは、普通の社会的な規範に従って、普通の日常生活を送り、目の前のすべきことに果敢に挑戦して、普通にすべきことを普通にこなすことがそのまま自分の祖国に貢献することにつながると思う。
別の言い方をすれば、極々自然の営みを黙々とこなせば、それが最大の祖国への貢献になると思う。
ところが人間というのは『考える葦』であって、無気質に目の前の仕事を黙々とこなすということができず、ついつい誰しも、「自分はこんなことをしていていいだろうか」と、自分のしていることに疑問を持ち、懐疑的になって悩んでしまう。
若い人の場合、学校教育の場では、「自分の好きな職業、好きな仕事を探せ」などと無責任なことを教え込まれているが、そんなものがこの世にそうそう転がっているわけない。
大分部の大人は、最初から自分の好きな職業や仕事にありつけたわけではなく、そんな人は極まれな存在で、大部分の人は嫌だけれども辛抱して継続しているうちに、それが好きになってきた人である。
つまり、人間は成長の過程でいろいろなことを考える、『考える葦』であったわけで、考えすぎるから世の中がおかしくなるのである。
先の大戦で日本は完膚なきまでに敗北した。
その責任は当然の事、戦争指導者にあって、彼らがバカであったという一語に尽きるが、戦後生き残った我々の同胞も、案外こういう単純明快な言葉は発しない。
負けるような戦争ならば、バカでもチョンでも出来る。
昭和の初期の時代からあの戦時中を通じて、我々日本人の認識として、海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人は優秀な人材だ、という評価が定着していた。
「そういう優秀な人が戦争指導して、どうして我が祖国は敗北したのだ」というと、彼らは世評通り優秀でなかったからだ、という他ないではないか。
彼ら、つまり「海軍兵学校や陸軍士官学校を出た人は優秀だ」という評価を作り上げたのは、言うまでもなく当時のメディアに他ならない。
戦争を語るとき、我々はメディアの存在を意に介さず、目先の華々しい事象にのみに目を奪われがちであるが、こういう態度、ものの考え方そのものがすでに敗因への道であったに違いない。
ガンの治療にあたって、病気の本質を患者に伝えないまま、つまり患者に本当のことを告知しないまま治療するようなもので、その成果がおぼつかないのも当然のことである。
あの戦争の時に、日本の軍部においては、これと同じことが起きていたわけで、その時点ですでに日本軍としての組織がメルトダウンしていたということに他ならない。
戦前・戦後を通じて、誰もこういう見方をしていないが、日本の敗因は軍部の官僚主義にあると考えられる。
陸軍でも海軍でも、軍の組織が官僚化してしまって、官僚が行政の業務をしているような感覚でもって戦争指導をしていたということである。
官僚。元の大蔵省でも、元の通産省でも、元の文部省でも、本庁の人間は、つまりキャリアー組は組織の末端の人間のことを考え、業務の本旨を考えて仕事をしていたわけではなく、ただただ自分たちの描く理想に近づくために仕事を作り上げていたにすぎない。
東京の千鳥ヶ淵戦没者墓苑にいくと、遺骨収集の場所が世界地図で表示されているが、それを見るとアジア大陸全域から太平洋全域にまでわたっている。
あの地図を見ると、日本軍は世界的規模で展開したことが一目瞭然と理解できるが、それは同時に、日本の戦争指導者が如何にバカであったかという証明でもある。
あれを見て、落ちこぼれでコンプレックスの塊のような私でも、「これでは戦争になっていない」と、心底思ったものだ。
そんなことが優秀であるとされた海兵や陸士を出た戦争のプロに判らないはずがない。
判っていたけれども、やらざるを得なかったというのが本音だろぅと思う。
この部分が最大の謎であって、戦争のプロであればあるほど、「してはならない戦争だ」、ということが判っていたにも関わらず泥沼に嵌りこんでいったという事だ。
ならば何故回避できなかったのだろう。
我々の国が戦争に負けたということは、個々の作戦にことごとく失敗したということで、その作戦失敗の積み重ね、その集大成として敗北に至ったわけで、「なぜ失敗するような作戦を練ったのか」という部分が官僚主義の官僚主義たる所以だったという事だ。
官僚機構というのは基本的にピラミット型の強固な組織で、上意下達で上からの命令が滝のように下に降りてくるシステムである。
普通の官庁ならば業務という形であろうが、陸軍省海軍省では作戦という形で、業務というか、仕事というか、任務というか、とにかく命令という形で降りてくるが、その命令を起案し、実践に移すべき案を作るセクションが、素人ばかりであったというわけだ。
戦後に書かれた書物では、こういうセクションにいた人々は、つまり参謀本部とか、大本営とか、海軍軍令部とか、仰々しい呼称で語られているが、こういうセクションにいた人たちが、ものの見事に戦争を知らない戦争音痴であったところに我々の悲劇があった。
こういうセクション、いわゆる戦争指導者や政治指導者が、普通の常識を備えていれば、全世界に兵力を分散するような愚昧な作戦を起案するはずがないではないか。
こういうセクションに詰めていた人たちは、それこそ海兵を出、陸士を出、その上に海軍大学、陸軍大学で恩賜の軍刀をもらった優秀な人たちであろうが、そういう優秀な人が作戦指導して、どうして我々は負けたのだ。
結果から見て、我々が負けたということは、そういう連中が少しも優秀ではなかったということに他ならない。
当然といえば当然のことで、彼らは官僚として現地のことは全く知らないわけで、そして報道と言えば、水増しならばまだ良い方で、時には丸々嘘の報告まであったわけで、これでは真に優秀な人であったとしても、まともな計画・作戦が起案ができるわけもない。
すべての情報が真実であったればこそ、真に有効な作戦ができるのであって、情報が信用ならないでは、まともな作戦は立案のしようもない。
このクラスの高級軍官僚ともなると、当然のこと外国への留学や視察も経験している筈であるが、外国に行っても何一つ学んできていない、という点も実に由々しき問題だと思う。
外国に行って何一つ学んできていない、というのは一人や二人というレベルではなく、行った人が皆が皆、何一つ学んできていないという点も、実に日本的な官僚の在り様だと思う。
まるで物見遊山の外遊であって、国費で相手国の装備を観察するに際して、職業意識がまるで喚起されずに敵情を知るという意識が微塵もなかったという事だ。
これが戦争のプロと言われる高級将校の官僚的在り様であったわけで、まさしく戦争を知らない戦争のプロであったわけだ。
問題は、こういう軍人を「優秀な人材だ」と勘違いする国民の側の浅薄さである。
それは当然のことメディアの責任でもあるわけで、メディアが無責任にも戦争を煽った、という部分もあるが、国民の側がそういうニュースを好んだ、ということもあると思う。
メディア、この時点ではまだ新聞や雑誌という活字メディアが主体であったであろうが、メディアも自分が生き残るためには、国民に媚を売る必要もあって、国民に好かれるような、好まれるような記事を掲載するわけで、それは測らずも軍国主義の吹聴ということになった。
我々の民族が明治維新を経て近代化すると、江戸時代のような鎖国という状態ではおれず、好むと好まざると、国際社会に引っ張り出され、グローバル化の波にさらされて、結果として日清・日露の戦役で勝利したことによって、近代化に成功したかに見えた。
そうなってみると、内側にはまだ貧困の問題を抱え込んでいたため、その貧困の克服として海外雄飛ということに視点が向いたのだが、その事が今日アジアの諸国から植民地支配といわれているが、この問題も我々の内側からこの言葉を使うべきではないと思う。
我々が確かに台湾と朝鮮を支配したことは歴史的事実であるが、それは西洋列強の帝国主義的植民支配とは発想の段階から全く違っているわけで、こういう事は日本の学者諸氏が明確に、日本の国益擁護の論戦を張ってしかるべきだと思う。
江戸時代から、明治維新を経て、近代化が進み、富を求めてアジアに進出する一連の流れは、日本にしてみれば歴史の必然であって、流れがその方向に進むことは必定であろうが、その時点ですでにアジアは西洋列強の支配下にあった。
日本の躍進はその西洋列強の地歩に無理やり割り込むような形になるので、西洋列強が黙って傍観するわけがないのも当然のことで、まさしく弱肉強食の生存競争の場であったというわけだ。
日本がしなければソビエットが、ソビエットがしなければ中国が日本の代わりをしたに違いないが、歴史にはifということがあり得ないので、この論旨は成り立たないが、それが予見されたので日本はアジアに地歩を築こうとしたことは間違いない。
そのためには富国強兵が必然であったわけで、こういう状況下で日本の頭の良い人間は、須らく「国に貢献する」という美辞麗句に酔っていたと考えられる。
それを一番目に見える形で具現化することが、軍人になって直接的に国家に奉仕することであったが、これは貧乏で進学できない人たちに開かれた道であって、家が裕福で高等教育を受けられる環境の人たちは、普通の教育を経て官吏の道を選択したのである。
こういう人は、そもそも頭脳明晰で頭が良いので、将来の展望もそれなりに見えていた筈で、彼らなりに一番合理的な処世術を選択したというわけだ。
官吏といえば、その典型的なコースが東大法学部を出て高等文官試験を経るコースであるが、軍官僚も基本的には同じようなエリートコースで出世していったと考えていいと思う。
問題は、こういうエリートコースを歩んだ高級官僚は、現場を知らないという高級官僚独特の不文律があって、ご幼少にみぎりには頭脳明晰であったが故に、官僚として箔がつけばつくほど、誰でもわかる普通のことは判らなくなる、という官僚病におかされるということである。
これが私ども落ちこぼれの人間には不可解でならないが、彼ら、陸軍でも海軍でも、戦争が終わるまで、「自分たちの戦争の仕方では勝ち目がない」、という事に気が付かないまま敗北したではないか。
千鳥ヶ淵の戦没者墓苑の世界地図を見れば、普通の日本人ならば誰でも「こんなに戦線を広げれば勝ち目はない」とごく自然に考えるが、彼らはそういう発想に至らなかったではないか。
これこそまさに官僚的発想の作戦であったわけで、戦争を知らない戦争のプロの発想だ、と言わざるを得ない。
そこで問題は官僚的発想ということになるのだが、高級官僚は押しなべて自分の組織の実態を知らないのではないかと思う。
恐らく、下からボトムアップで上がってきたり、横からくる情報の数字で物事を判断していたのであろうが、その情報や数字が全くあてにならないということに思いがいたらず、自分の理想と理念の実現のために作戦を練っていたに違いない。
現場の真実を知っておれば、つまり前線の状況をリアルに掌握しておれば、机上の演習のような杜撰な作戦はありえないが、軍官僚のトップとしてはそういう点に思いが至っていなかったという事だ。
その前段階において、彼らは、今、何をどうすればいいか、どうすべきか、ということが判らないまま、ただ焦燥感に追い立てられて、右往左往していたにすぎないのだと思う。
彼らの仕事は作戦を練ることであって、それは図上演習、机上演習と同じ感覚で、生きた将兵を扱っている、という感覚は微塵もなかったに違いない。
だからいくら杜撰な計画・作戦であっても、貴重な人命が損なわれる、という配慮が欠けていたし、そもそも彼らには生きた人間がそれによって振り回される、という認識そのものがなかったに違いない。 
日本は資源がないから南方を占領して、そこの資源を持ってきて戦争を継続する、などということを普通の日本人、普通の常識のある人が考えるわけがないではないか。
南方で資源を確保しても、それをどうやって日本まで運ぶのだと考えれば、その計画の実現性は瞬時にして消え去る運命であったが、我々の官僚は、それをまともに実現しようとしていたではないか。
軍部のエリート官僚、東大法学部を出て高文試験にパスしたエリート官僚がどうしてそういうバカバカしいアイデアに批判の目を向けなかったのだろう。
私は、日本が戦争にのめり込んでいったのは、アメリカのルーズベルトに嵌められたと考えているが、これはこれで、生き馬の目を抜く国際社会を掻い潜るには致し方ない事で、そうであるとするならば、我々ももっともっと外交という駆け引きの現実を学ぶべきであって、綺麗ごとの良い恰好しいという生き方を放棄すべきだと思う。
戦後の政治家の吉田茂は見事にそれを演じたわけで、最小の負担で最大の効果を引き出した、まことに稀有な政治家だと思う。
国際社会というのは、真に卑劣極まりない世界で、日本の政府が弱腰だとみなすと、直ちに自我をあらわにして、自己保全に引きつけようとする。
ロシアのメドベージェフの北方4島の視察も、今回の韓国大統領の竹島訪問も、日本の政府が低迷している隙を狙っての行動であって、こういう事態に適切に対応しようとすると、同胞の中から反対意見が出て、相手を利するような事態になる。
その元の所にはメディアの存在があるけれど、メディアというのは普通のことが普通に機能していてはニュースにならないわけで、相手の行動に毅然と立ち向かう状況ではニュースにならないが、そういう状況下で相手を利する売国奴的な行動をする人が現れれば、ニュース・バリューとしては最高のポイントになるのである。
メディアにとっては日本の国益などどうでもいいわけで、世間が騒げば騒ぐほど、それが飯のタネに繋がるのである。

「昭和の記憶を掘り起こす」

2012-08-10 19:11:49 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「昭和の記憶を掘り起こす」という本を読んだ。
サブタイトルには「沖縄、満州、ヒロシマ、ナガサキの極限状況」となっている。
この本はオーラル・ヒストリーと称して、供述調書のように当事者とのインタビューで綴られている。
だから、真の歴史として認知されるかどうかという点に、一抹の不安を抱え込んだ書き方になっている。
こういう点に我々の民族の生真面目さが表れるわけで、我々が過去に経験したことを語り継ぐのに、歴史の正確さなど些末な問題だと思うのだが、この本の著者はそうは考えていない。
冒頭に沖縄の話から始まっているが、沖縄戦において住民の自決に、軍が関与したかどうかの問題は、実に難しい問題だと思う。
この件に関しては、大江健三郎の『沖縄ノート』の裁判でも日本中の関心を集めたが、裁判では一応大江健三郎の主張を認め、軍は関与したという結論付けがなされた。
大江健三郎の『沖縄ノート』には、同胞からも批判的な視点で見られているにもかかわらず、それでも日本の最高裁が大江氏の主張を認めたということは、戦後の日本のメンタリティがこういう方句にある、という事を指し示している。
日本の最高裁の裁判官も、祖国や同胞を愛するという気持ちを持ち合わせておらず、口先だけの平和志向というべきか、売国奴的思考というべきか、ポピリズムの究極の姿というべきことなのであろう。
沖縄戦が始まった時、座間味島には梅沢大尉が、渡嘉敷島には赤松大尉がいて、島の防衛にあたっていたが、米軍がいよいよ上陸してくるという時になって、島の長老がそれぞれの防衛隊長のところに自決用の手りゅう弾を貰い受けようと要請に来た。
だが、各隊長は「民間人は降伏すればいい」と諭して返したと言われている。
私の知り得た知識ではこうなっているが、何しろ激戦の真っ最中なわけで、誰が、何時、何を、どう言ったか、ということは正確には判らないのが本当だと思う。
小さな島で、今まで鬼畜米英と言っていた敵軍が押し寄せてくるという現実を前に、若い指揮官もその対応に困ったであろうとは思うし、年取った島の長老は、敵に蹂躙されるよりは自決を選んだ方がまだましだ、と考えるのも自然の成り行きであろうと想像する。
そういう中で司令官が自決を強いたとか、強要したとか、命令したという明確な立ち居振る舞いは、証明し切れないと思う。
命令のあるなしにかかわらず、あの当時、あの状況下で、普通の民間人であればこそ、「敵に蹂躙されるよりは自ら死を選択した方がましだ」という考え方が深く浸透していたことの方が不思議だ。
確かに人々の団結を強固にするために、「アメリカ兵に捕まれば女は犯され、男は八裂ぎにされる」という流言飛語が流布していたことは確かであろうが、そういう潜在意識の中で、住民がそれを真に受けて、早合点するケースも多々あったに違いない。
あの戦争中の期間を通じて、日本の軍人の全てが品行方正であったとは思えず、私利私欲に走り、自己の保身に現を抜かし、他者をコケにした軍人も数多くいたことは事実であろうと思う。
そもそも「勝!勝!」と言いながら戦争指導して、結果として大敗北を帰し、国民に嘘を言い続けてきた旧軍人、軍部に対して、怨嗟の気持ちを拭い切れないのは戦後に生き残ったすべての同胞に共通の潜在意識ではなかろうかと思う。
この本に書かれているすべての人が、そういう思いであったことは否定できない。
だが大江健三郎が、あの戦時中の個々の将兵の責任を、自分の価値観で断罪するということはあまりにもおこがましい行為である。
自分は安全な場所に身を置いて、人が必至で敵と戦っているのを傍観者として眺めている構図でしかない。
あの当時、あの状況下で、地元住民が自決を切望することも十分考えられることで、先走った住民が絶望が目の前に控えていると悟って、早まった行動に出ることも十分考えられる。
あの状況下で、若い司令官、つまり防衛隊長としては、軍の規範からすれば住民の保護は2次的な任務で、本来の任務はあくまでも敵の上陸阻止であった筈である。
このあたりの比重のかけ方、ウエイトのかけ方、取捨選択の裁量によって、司令官、指揮官の人間性が問われることになるわけで、二律背反的な要因が濃厚な場面であるが、普通の常識のある人間ならば、あの状況下では戦闘の勝ち目は望めないと判断するのが当然であろうと思う。
この二つの島の防衛隊長、梅沢、赤松大尉は、あの状況下でよく戦ったと思う。
こういう指揮官は、敵側も一目置いて、敬意を表するのが武人の共通認識だと思う。
それに引き換え、そういう同胞に、後ろから言葉の銃弾・悪口雑言を浴びせる大江健三郎の存在というのは、実に由々しき問題で、戦後の日本が堕落するのも無理ない話だと思う。
何度も言うが、あの戦争を通じて日本をミスリードした軍人・軍部は数限りなくいる。
しかし、末端の将兵は実に健気に上からの命令を実践しようとして、そのことが結果的に玉砕につながり、集団自決につながったわけで、銃後にいた人が前線にいた人を後から非難中傷する行為は、許されるべき事ではない。
この裁判では結論として、大江健三郎の側が勝って、梅沢、赤松氏の告訴は敗訴になったが、この最高裁の決定そのものに、戦後の日本の価値観、戦争観、安全保障に対する考え方の基軸がにじみ出ている。
実に穢れなき心優しい性善説で、この世に悪人は一人もいないという発想で、悪人そうに見えるのは国家がそういう色眼鏡で見るからだという論理のようだ。
我々の国は実に美しい国で、人々の幸福はお上が無条件に下賜されるので、人々は心豊かに極楽浄土を拝んでおれば、災禍は避けて通ってくれる、という他力本願の思考である。
実に子供、中でも幼児のように穢れを知らない無色透明で純白な精神構造であって、ひねた大人の価値観から見ると、実に生真面目、クソ真面目、素朴、純真、理想主義、無知、バカという言葉が並ぶ。
日本の戦争が終わって今年で67年になるが、この間に様々な書き物を読んでみると、我が同胞の軍人の中にも本当の悪人は大勢居るので、大江健三郎がそういう人間を告発したくなる気持ちも十分理解できるが、それにしてはその志があまりにも低すぎる。
いやしくもノーベル賞を受賞した文学者ならば、文学者にふさわしい言葉で告発すべきであって、自分の怒りの感情を、そのまま直截な語彙でストレートに表現するということは、文学者にあるまじき行為だと思う。
この本は「昭和の記憶」と銘打っているが、あの戦争を通じて、我々日本民族は完全に軍国主義に洗脳されていた。
洗脳という言葉を使うと、我々は共産主義者やオウム真理教の釈伏を思い浮かべるが、我々を洗脳した主体は一体何であったのだろう。
昭和天皇が国民に向かって「軍国主義に帰依せよ」といった風でもなければ、東条英機が言ったようにも思えないが、いったい誰が軍国主義を順守するように仕掛けたのであろう。
どうもそれを率先して積極的に推し進めた主体というのはなかったみたいに思える。
世の中の評論家とか、大学の先生方というのは、ああでもないこうでもないと百家争鳴の観を呈しているが、軍国主義の根源を明らかにした者はいない。
俗に教育勅語が元凶だとか、軍人勅諭が元凶だと言われているが、あんなものはどこの主権国家でも普通にあることなわけで、日本だけが特別であったわけではない。
私がつらつら考えるに、昭和の奇態の時代というのは、明治維新の後遺症ではなかったかと思う。
明治維新で我々は四民平等を勝ち取った。
此処でその本質を深く考察すると、四民平等ということは、我々の民族の中では玉石混交、もう一つ別の言い方をすると、味噌も糞も一緒くたになったということにつながる。
そこにもってきて、我々の民族は、古来から「万機口論に決すべし」という不文律ももっていたわけで、明治以降になって、四民平等と万機公論が合体してしまうと、文字通り百家争鳴になってしまって、意見の収取が暗礁に乗り上げて結論が出なくなってしまった。
大正時代の自由民権運動は、その具体的な事例であって、政党政治というのは不毛の議論を延々と続けていたので、血気にはやった青年将校が立ち上がってしまったということだと考えられる。
此処で考えねばならないことは、知識人の役目である。
自由民権運動の中で、人々が自由に自分の意見を言う事は民主主義にとっては良い事であるが、意見を言うだけで、結論を導き出す才覚が稚拙であったので、不毛の議論の繰り返しになり、若手軍人の堪忍袋の緒が切れてしまったということになった。
ここで本来ならば知識人・教養人とメディアがタイアップして、意見の集約に努めるべきであった。
民主主義というのは基本的に言葉の戦争の場だと思う。
ところが我々は、ある問題を理性的に冷静に話し合って、議論を重ねるという術に稚拙わけで、論理的な議論の積み立て、積み重ね、冷静に相手を説得する、相手の言い分を冷静に聞く、という術に不慣れなわけで、すぐに感情論に陥り、感情で物事を判断してしまうので、解決策が見つけられない。
例えば、原子力発電の安全性という場合、100%完全なる安全というのはありえないわけで、だったら「安全でないものは作るな」という論理になる。
ならば、「将来のエネルギー政策はどうすればいいか?」と反駁すると、「それは政府が考えるべきでことだ」と問題を他に転嫁して逃げるのである。
四民平等で、誰でも彼でもが万機公論に嘴を差し挟める状況であってみれば、極めて民主的で良好な社会でなければならないが、出来上がった社会は衆愚政治そのもので、典型的なポピリズムの社会であった。
それに飽き足らない軍人が、不毛の議論に明け暮れている政治家を抑え込んでしまった、という構図だと考えられる。
何度も言うように、こういう状況を打破すべきが本来ならば知識人、教養人、メデイア、評論家というよう人々でなければならなかったが、そういう人たちが保身に走り、沈黙を守り、象牙の塔に閉じこもってしまったが故に、軍人が跋扈する世の中になってしまったのである。
軍人、特に徴兵制度で集められた下士官・兵たちは、国民各層、各階級の声なき声を身に染みて体得しているわけで、不毛の議論に明け暮れている政治家や為政者には、甚だしい嫌悪感を抱いていたに違いない。
大江健三郎の深層心理には、こういう鬱積した気持ちがあったればこそ、自らの属する日本社会というものに信がおけず、同胞を貶めるような言辞を弄しているに違いない。
日本社会の中で、同胞の悪口を声高に叫ぶことで衆愚の注目をひき、そのことによって知名度を上げ、売文業を生業として、福祉を享受しながら、後ろ脚で自分の祖国と自分の同胞に砂を引っ掛けている姿なのである。
昭和の初期の時代に、軍人が跋扈しかけた時に、軍人の首に鈴を付けるべき使命を負ったのが、本来ならば教養人と言われる人々であり、メデイアの人々でなければならなかった。
2・26事件が起きた時、国民の側には青年将校たちの決起を容認する空気が強く、彼らに対する嘆願書も数多くあったと言われているが、当時も今も、国民と言われる人々、市民と呼称される人々は、これほどまでに愚昧であり衆愚であったという事だ。
あの戦争を引き起こして、どんどん深みに嵌っていったのは明らかに軍人の専横であったが、その軍人の背景、軍隊・軍部の後ろには、当時の日本国民の声なき声が反映されていたわけで、彼らは当時の国民の声なき声を代弁していたということになる。
何故、軍人・青年将校たちが国民の声を代弁する仕儀に至ったかと言えば、それは政治家が堕落していて不毛の議論ばかりしていたからに他ならず、何故、政治家が不毛の議論に明け暮れていたかと言えば、四民平等で万機公論に決すべく口角泡を飛ばしていたからである。
それを是正し軌道修正すべきが、何度もいうように知識人、教養人であった筈である。
昨年の大震災で東京電力の福島原子力発電所が被災して放射能が飛び散ったら、日本の全知識人、教養人、メディア、評論家、大学教授等々すべてが、原発反対の狼煙をあげたが、こんな安易な付和雷同があって良いわけないではないか。
彼らの教養知性は一体どこに飛んで行ってしまったのかと言いたい。
学識経験者であればこそ、「あの大事故を教訓にして、より安全なノウハウを探りましょう、こういう事故に耐えられる技術を築きましょう」というのならば、学者として普通の思考であるが、「原発が危険なことが立証されたのだから直ちに止めましょう」では、幼児の発想でしかないではないか。
「原発は危険だから止めましょう」というアピールは非常に大衆受けしやすい言辞であって、こういうスローガンは大衆という名の衆愚には受け入れやすいが、それだけに、どこまでも無責任なわけで、これが戦前の日本国民の中にも蔓延していた雰囲気ではなかったかと思う。
メディアの表層的な報道に惑わされて、ドイツはきっとヨーロッパの覇者になるから、今の内にバスに乗り遅れないようしよう、という安易な思考であったと思う。
ところが、国民、大衆というのは、所詮この程度のもので、メデイアの無責任極まりない報道を真に受けて、「あっちの水は苦いぞ、こっちの水が甘いぞ」と言われるたびに、あっちに行ったりこっちに行ったり、バスに乗り遅れまいと右往左往するのである。
まさに四民平等、万機公論に決すべしの具現化の結果そのものである。

「昭和の戦争」

2012-08-08 08:11:46 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「昭和の戦争」という本を読んだ。
また8月15日が近づくと、戦争にまつわる話題が多くなるであろうが、あの戦争が終わって67年目になる。
明治維新が1868年、それから西洋列強に追いつき追い越せで1894年に日清戦争、その10年後の1904年に日露戦争、ここで世界の5大強国になったとうぬぼれて、1914年に第1次世界大戦に足を踏み入れ、その23年後の1937年に中国に攻め入った。
明治維新から太平洋戦争の敗北で日本が廃墟となってしまうまでの時間は77年間であった。
栄華盛衰世の習いというのは、地球上の生きとし生けるものには普遍的なことなのであろう。
今からあと10年たつと、日本は再び無に帰る、という事なのであろうか。
歴史は繰り返すというが、果たして我々の歴史も再び繰り返しをするのであろうか。
私はこういう事を考えるとき不思議でならないことがある。
それは、戦争というものは、強欲な為政者が、国民の犠牲の上に、私利私欲を肥やすために行っている、という戦後の我が同胞の知識階層の思考であって、21世紀の我が同胞は、本当にそんなことを思っているのであろうか。
私はデモクラシーというものをあまり信用しておらず、マス、大衆、庶民というのは、基本的にバカな存在だと思っている。
明治維新から昭和の戦争の敗北までの77年間、日本と日本民族の評価は、幸か不幸か、軍人、兵隊、将兵によって確保され維持されていたと思う。
その間の様々な戦争の結果として、軍人、軍部、それぞれの将兵が活躍したからこそ、世界の5大強国になり、日本という国も民族も、世界から崇められる存在になった。
然し、民族の栄華盛衰、あるいは優れた文化を持った人々の衰退というのは、いわゆる内部からの崩壊がなさしめているのではなかろうか。
アメリカのインデイアン、ネイテイブ・アメリカンはヨーロッパから来た人々に依って席巻されてしまったが、他の古代文明はすべて内部崩壊で滅びたのではなかろうか。
古代インカ帝国は、ほんのわずかなスペイン人に滅ぼされたと言われているが、スペイン人に滅ぼされたというよりも、民族として自らメルトダウンしたとみなすべきだと思う。
私の個人的な考えでは、明治維新の時の「四民平等」という考え方は、戦後の民主主義の中では非常に評判が良くて、それがあったればこそ、近代化を成就しえたという認識であろうと思う。
ところが私にはそうとは思えず、あの四民平等は玉石混交を促し、味噌も糞も一緒くたにする思考だと思う。
江戸時代の士農工商という身分制度は、士分のモノが他の身分のモノを抑圧するという意味ではなく、あくまでも「身分をわきまえた行動規範を守れ」、という意味で、身分制度が固定化されていたわけではない筈である。
それが証拠に、士分のモノが百姓になったり、百姓が名字帯刀を許されたりと、かなり流動的であったではないか。
問題は如何なる階層であろうとも、分をわきまえておれば平穏に生活できたが、この分をわきまえるということは、ある意味で「矜持を持って生きる」という事であるが、これが明治維新の四民平等では全否定されたところに問題がある。
この世に生れ出た人間には、身分の如何にかかわらず、頭の良い人間とそうでない人間は必然的に混じり合って存在している。
究極の民主主義で、過去の如何なる身分制度にもとらわれず、ペーパーチェックのみで選抜する制度があれば、過去のすべての階層からそれに応募してくることは当然の帰結である。
当然のこと、如何なる階層であろうとも、そういう制度を利用して公募に応じてくるモノは、頭の良い人間で、頭脳明晰、学術優秀というモノに決まっている。
究極の民主主義の実践として、そういう篩を通過してきた連中は、ペーパーチェックは見事にクリアーしてきたが、彼らの潜在意識まで究極の民主主義が浸透していたかどうかは甚だ疑問なわけで、そこに日本が奈落の道に転がり落ちた最大の理由がある。
ここの個人の持つ品性や教養は一朝一夕で出来るものではなく、3世代経ないと真の品性や教養は身につかないわけで、たった1回のペーパーチェックをクリアーしたとしても、生来の品性の卑しさがそれで一気に払拭しえるものではない。
我々の民族の中には、「陸軍士官学校や海軍兵学校を出た人は皆立派な人だ」という暗黙の了解事項があるが、私に言わしめれば、彼らが立派な軍人であったならば、なぜ戦争に負けたのだという理屈になる。
彼らは世に言われているほど優秀でなかったから、日本は戦争に負けたのではないかという事だ。
だが戦争に負けたのは軍人だけの責任ではないと思う。
戦争に負けても生き残った人の言い訳、あるいは怨嗟の気持ち、あるいは悔しさの捨て所として、すべての敗因を全部軍人、軍部、軍隊に蔽い被せてしまえば、その場しのぎの気休めにはなる。
明治維新以降の日本の近代化の中で、日本という国の興隆に貢献したのは軍部だけではなくて、高等教育の場の大学、旧制高校から旧制大学の教育の場も大きく貢献していると思う。
ただこういう高等教育の場には下層階級からは入り込めないわけで、猫も杓子も高等教育を享受するということはなく、あくまでも恵まれた一部に人のものであったので、そういう意味では如何にもひ弱な存在であった。
青二才の青年将校から大声で叱られると、もうそれだけで縮挙がってしまう覇気のない連中だったと思う。
こういう連中が、戦後になって軍隊がなくなると、軍人や軍隊の悪口を一斉に言い出だしたわけで、これも日本が奈落の底の転がり落ちた大きな理由をなしていると思う。
「戦前は治安維持法があって、ものが自由に言えなかった」とよく言われるが、一遍の法律を極めてクソ真面目に順守する知識人というのもおかしなものである。
この「治安維持法があったからものが言えなかった」という言い分は、自分の周囲の人間の密告が恐ろしくてものが言えなかっただけのことで、ここでも真の理由を他に転嫁しているわけで、こういう部分に頭の良さというか世渡り上手な風見鶏風のインテリの要領の良さが垣間見れる。
で、問題は、陸軍士官学校、海軍兵学校という職業訓練校を出て、陸軍なり海軍という特殊な環境の中で純粋培養されると、究極の軍官僚に成り代わってしまうという点にある。
官僚というのは、行政府の施策を推し進めるのが本来の仕事のはずで、行政府のトップが決めたことを組織の末端まで行き渡らせて、目的を成就させるシステムである。
ところが陸軍でも海軍でも、彼らの存在価値は、戦争をすることにあるわけで、戦争のない状態では、その存在価値が疑われる。そこで無理にでも戦争を作りあげなければならなかった。
陸軍士官学校や海軍兵学校を出た人は、本当ならば戦争のプロフェッショナルであるはずであるが、蓋を開ければそうではなかったわけで、第1次世界大戦後の戦争については全く無知であったという事だ。
1939年にノモンハン事件を経験しながら、そこから何ひとつ教訓を学びとっていないということは、陸軍士官学校の教育は一体何をどうしていたのかと言いたい。
こういう論議は、本来、シビル・レベルで展開しなければならないことであって、大学やメディアが声を上げて軍を批判してしかるべきである。
昭和の初期の時代というのは実に不思議な時空間だったと思う。
大学やメディアが軍を批判しなかったといったが、私の推察では大学の先生やメディアに携わっている人の子弟の中には、きっと軍に属している人の一人は二人はいたものと考えられる。
つまり、あの時代、普通に良識のある人間ならば、軍に帰属することが何よりも普遍的な価値観であって、大学の先生方や、メディアの関係者の中にもきっと軍人の一人や二人は居たに違いない。
あの時代に五体満足な成人男子で、他の職業を選択するということは考えられなかったに違いない。
まさしく軍国主義そのものであるが、あの時期に日本の全国民が軍国主義に被れたことの不思議さである。
ここで我々の民族の生真面目さというモノを考察しなければならない。
先に述べた治安維持法の順守においても、知識人ならばこそ、法律を実に健気に順守するという面もあったに違いないと思う。
身の回りの人の密告を恐れた、というのも生真面目であるが故に、そういう心配をしたわけで、あの戦時中の玉砕という行為も、敵に包囲されて勝ち目はないとわかれば、上官を殺して自分だけ降伏するという道もあったであろうが、我が方にはそういう例はないみたいだ。
ここでも実に生真面目、クソ真面目に死んでいったということになる。
1万メートルの上空を飛来するB-29の爆弾投下に、ハタキで立ち向かおうとする防空演習に、病人や妊娠中の女性まで狩り出すバカバカしさ、これも我々の民族の生真面目さ、クソ真面目さを端的に示す例だと思う。
昭和の初期の時代において、陸士や海兵に進学した人たちは、当時の同世代の子供の中では確かに優秀であったに違いなかろうが、ならば軍国主義の行き過ぎにどうして気が付かなかったのであろう。
それは軍国主義を吹聴していた方が生き易かったという事ではなかろうか。
反戦とまでは行かなくても、ほんの少々戦いを自重する論旨を呈するだけで、すぐに非国民扱いにする風潮というのは今でも立派に我々の民族の中に息づいている。
その良い例が、昨年の東日本大震災で被災した原子力発電に対する反対運動で、「原子力発電は危険だから直ちに止めよ」という論旨である。
東京電力の福島原発の事故と、他の日本全国にある原発とは何の関係がないにも関わらず、「危険だから直ちに止めよ」という論理は、B-29の投下する焼夷弾にハタキで立ち向かう構図と同じで、何の整合性もない論理である。
それで「自分たちの意見を認めないのは非国民だ」という論理で迫ってくる構図というのは、戦前も戦後も全く変わっていない。
戦後における知識階層のあの戦争に対する認識は、「一部の軍人の独断専横」が大きな災禍を招いたという認識であるが、この「一部の軍人」の後ろには、日本全国の大衆、民衆、国民、市民、世論の、期待と願望が横たわっていたように思えてならない。
昭和初期に起きた青年将校の反乱は、当時の一般世論の声を代弁していたように思えてならない。
2・26事件の時、昭和天皇はただちに『反乱』と位置づけ、『賊』と言ったが、その後の裁判の過程では、国民の側には同情論が多く、寛大な刑が求められたということは、国民はあのクーデターの主張を容認する心構えがあったということである。
国民、一般大衆の側は、反乱軍の行動を容認し、それを支持していたが、為政者の側がそれを押しとどめたという構図が成り立つ。
もっとわかりやすく言えば、当時の国民の側はイケイケドンドンであって、為政者の側はそうあってはならじ、と必死になってその動きを抑え込もうと奔走していたという構図に落ち着く。
日本の国内がそういう状態であればこそ、ここで知識人の良識が発揮されなければ、知識人としての意味をなさないが、現実的にはそれは全く期待されず、知識人はタコツボに入ったがごとく、沈黙に徹し、メディアは体制側に迎合してしまったという事だ。
昭和の初期の時代、日本人も生き抜かんがために、必死に生きる方便を模索していたわけで、無知蒙昧な大衆、民衆というレベルは、イケイケドンドンの軍国主義を吹聴しまくり、学者は象牙の塔に閉じこもり、メディアは体制に迎合して、それぞれに生きんがための道を模索していたということになるが、戦後の人々は、戦争は生きんがための手法だ、という認識を故意に避けようとしている。
先に、我々の同胞は実に生真面目、クソ真面目だということを述べたが、その延長線上で、人間の織り成す世界には「正しい事」そうでない「悪」があるという認識に浸っている。
人は正しい事、善き事をすべきで、悪い事はしてはならないという倫理観に依っており、戦争はその悪しき事の最大のものだという認識である。
この論理は間違ってはいないが、あまりにも子供じみた未熟な論理で、大人の考えることではない。
人が生きるということは、正邪、善悪を超越して、精一杯、力いっぱい生き抜くという事が大前提なわけで、人が生き抜くためには正邪・善悪を踏み越えてでも生きねばならないのである。
自分が生きられるということが判ったならば、そこで初めて他者に対する思いやりが出てくるわけで、自分が生死を境をさまよっているときに、他者に対する偽善などできるわけがない。
戦後の知識階層は、飽食な世の中に生を受けて、生死の境をさまようという体験がないので、口先で平和・平和と念仏を唱えるだけで平和が実現すると思っているが、こういう錯誤を正すべきが本当の知識階層ではなかろうか。
戦争と平和。どちらが良いかと問えば、答えは世界中みな同じで、そんなことは子供でも理解できることである。
ならばどうしてそんな判り切ったことを大学者や、知識人や、ジャーナリストがさも大事なことであるかのように大騒ぎして議論をしているのだろう。
世の中は、正邪や善悪という価値基準で動いているのではなく、如何に生きるかという生き方の方策を巡って争っているわけで、昭和初期の日本は満州を開拓して、農産物を確保し、資源は南洋から持ってきて、自存自衛を図ろうとしたが、それがアメリカの生き方と正面衝突してしまったわけで、結果として太平洋を挟んで大戦争となったが日本が負けてしまったというわけだ。
しかし、負けたとはいえ日本、77年前には丁髷を結って駕籠に乗っていた日本人が、西洋先進国、イギリス、フランス、アメリカと互角に戦ったという事実は、政界中の人々を驚かせたに違いない。
だがそれによって人種差別が減ったわけでもなく、そういうものは人類の生存に普遍的なものであって、人の理性とか理念で払しょく仕切れるものではないということを知る必要がある。
世界中の人々は、我々が想像している以上にしたたかで、そういう事を常に意識の内に持ち続けなければならない。
それこそがこの生き馬の目を抜く世界で生き残る手法なわけで、こちらが敵意を示さなければ相手もこちらの思いを慮ってくれるに違いない、という甘い思考では生き残れない。
戦後も67年もたってみると、我々は完全に平和ボケの中に浸りきっているので、いかなる紛争解決も武力に訴えるということはありえないので、日本の周辺諸国では言いたい放題、したい放題のことが罷り通っているが、それに対して悔しいという思いをいささかも示そうとしない。
日本の巡視船に中国の漁船がぶつかってきても、死傷者が出たわけではないので、主権侵害に対して憤慨するという意気込みがない。
国家主権などあってもなくても日常生活に何の影響いもないわけで、「そんなもの逃がしてやればいいではないか」という安易な発想である。
こういう考えの人が国家の中枢にいるわけで、これでは国家主権足り得ていないが、それを選んだのは国民の側である。
その前に自民党の国家運営もまさしく見るに見かねる状態であったので、やむなく民主党に政権が渡ったけれど、民主というのもそもそも最初から国家を運営する、国の舵取りをつつがなくするという気迫がない。

「NHKの真相」

2012-08-01 07:16:58 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で、「NHKの真相」という本を読んだ。
サブタイトルには「大手メデイアが報じなかった“伏魔殿”の正体」となっている。
大勢の評論家のような人が原稿を持ち寄ったようなものであるが、そのことごとくがNHKに対する愚痴のオンパレードである。
NHKのような巨大な組織になれば、内からも外からも様々な批判が沸き立つことは不思議でもなんでもなく、むしろ組織の健全性を表していると思う。
何も批判のない組織こそ不健全な組織であって、組織に対する批判が内からも外からも、雨あられと降ってくる状態は、それだけ人々が注視している証拠なわけで、極めて健全な存在だと思う。
NHKに対する外から批判は、職員の不正行為、いわゆる職員の犯した犯罪によるところが大であるが、NHKのような巨大な組織の構成員がすべて品行方正な聖人君子だと思う方が認識が甘いというべきだ。
全国のお巡りさんの中にも泥棒をする人がおり、全国の小中学校の先生方の中にも、痴漢をする人がいるのと同じで、NHKの職員の中にも不心得者の一人や二人がいるのは当然だと考えねばならない。
しかし、NHKの経営が今までのままでいいかどうかとなると、話はまた別の次元の事となる。
NHKというのは、その本当の名前を「日本放送協会」というもので、国家の指導の下で、国民にあまねく情報を提供し、情報提供に際しては料金を徴収するということになっていた。
彼らの身分は、純粋な民間企業でもなければ公務員でもないわけで、極めて不可解な立場だと思う。民間企業ではないのだから、利潤追求が許されておらず、その分、視聴者からは受信料というものを徴収していて、その全ては組織運営に回さなければならない。
つまり、新しい機材購入とか、人件費で全部ペイしてしまわなければならない、という事なのであろう。
そういう意味で、その活動は、常に政府に報告し、政府の承認を得なければならず、そのことは政府の監視下にあると言っても差し支えないし、政府の指導の下で活動をしているということになる。当然の事、NHKとしては不偏不党で、政治的には中立を維持し、堅持しようとせねばならず、そうしていると思うが、NHKを快く思っていない人は、この部分に大いなる疑義を感じているのである。
私個人の、個人的な考え方としては、主権国家たるもの、政府直轄の放送局を持っていても良いと思う。
いわゆる国営放送局であって、主権国家として、自らの主権を広く世間に知らしめ、国民に知らしめ、自らの指針を明確に他者に知らしめ、その実現に国民の協力を得るべく、宣伝し、自らの施政方針を明らかにすることは有意義なことだと思う。
世界を見てみれば、アメリカやイギリスのような先進国は日本と同じように半官半民の中立的な組織で放送事業を行っているが、政府の中に取り込まれた形ではない。
ところが、後進国は押しなべて国営放送という形をとっている。
VOAでもBBCでも、やはりNHKと同じような問題は抱えていると思う。
国家の存立に影響を出そうな主題を如何に放送し、それがどこまで許されるかというジレンマ、愛国心との兼ね合いの問題は、メディアとしての根源的な悩みであろうと考えざるを得ない。
民主的な国家運営ということは、反対意見を聞く度量を持つという事であろうが、すべての人の意見を聞き入れることはありえないわけで、どこかで人々の意見、あるいは考え方というものを取捨選択しなければばらない。
それを実践しようとすれば、多数意見を尊重せざるを得ないわけで、ここで自分の意見を採択されなかった人たちが、「俺たちの意見はどうしてくれるのだ」というシュプレヒコールになる。
こういう相対立する意見を擦り合わせる機能を持っているのが本来ならばメディアでなければならないが、メディアも人の子で、食っていかねばならず、金になる方の肩を持つということになる。「どの意見が最も整合性があるか」という本質論よりも、大衆に受け入れやすく、銭になりそうな方の肩を持つわけで、これがいわゆるポピリズムというものになる。
大衆に人気がある施策というのは、基本的に衆愚政治に近いということで、それでは真のイノベーションはありえない。
そうならないように世の知識人というのは大衆を啓発し、啓蒙し、10年後20年後を見据えて、自分たちの政府をフォローすべきが本当の意味の国民国家であり、民主国家であり、成熟社会であると思う。
主権国家というのは如何なる国でも国家存立の理念とか理想というものを持っていると思う。
その国家の国民である限り、自分の祖国の理念や理想には素直に従うべきで、その実現には心から協力すべきが国民の義務だと思う。

報道ということでは、2000年にNHKと朝日新聞の間で大きな闘争が展開したが、これはそもそもバウネット・ジャパンという左翼組織が、世論喚起のために仕掛けた罠ではなかったかと私は勘ぐっている。
このバウネット・ジャパンという組織が、2000年に「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」という猿芝居を演じて、それを持ち込み企画としてNHkエンタープライズに取材させて、NHK教育テレビで放映させたことに端を発している。
それを4年たった時点で、この放送に際して安倍晋三と中川昭一がNHK側に圧力をかけた、と朝日新聞が報じたので大きなバトルに展開したのである。
この事件に関連して、冷静に事の成り行きをトレースすれば、明らかにバウネット・ジャパンという左翼組織の巧妙な罠に踊らされた茶番劇である。
そもそも「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」という猿芝居を取材するという点からして、巧妙に仕組まれた罠であって、街中で行われている若者のストリート・パフォーマンスを事前に根回しして取材したようなもので、それをNHKの電波で放送させることがバウネット・ジャパンの仕掛であり目的であったわけだ。
バウネット・ジャパンの立場からすれば、そういう内容のモノをNHKで放送するとすれば、当然、「政府側からも何らかのアクションがあるに違いない」と読み切っていたところに、のこのことNHKの人間が自民党の二人のところに行ったので、これ幸いと「放送内容に干渉した」というキャンペーンが成り立ったわけだ。
メデイアが何を報じ何を没にするかは極めて微妙な問題だと思う。
先の、バウネットジャパンの国際女性戦犯法廷などというパフォーマンスは、ニュースとしては極めて報道に値するパフォーマンスである。
普通の日本の社会人ならば、「国際女性戦犯法廷」という語句を見れば、国際・女性戦犯・国際女性、戦犯法廷とは一体なんであろう、と好奇心を募らせることは当然であろうと思う。
それがニュースとしての報道であったならば、まだ問題が起きなかったに違いなかろうが、特別番組として別枠で報道してしまったので、余計に紛争の種をまき散らしたことになった。
バウネット・ジャパンの目的は最初からそこにあったわけで、NHKも朝日新聞も見事に罠にはめられたという事なのであろう。
私は個人的にはNHK大好き人間で、数あるテレビ局の中でも一番信頼している。
だからと言ってNHKに不祥事があってもいいとは思っていないことは当然であるが、世の中には知識人と言われる立派な人が大勢いるが、こういう人はどういうものかNHKをバカにし、受信料を払わないことがステータスでもあるかのような言い方をしている。
これは一体どういう事なのであろう。
普通に知識人といわれるような立派な人が、NHKの受信料を滞納することを勧めるような言辞を弄するということは一体どう考えたらいいのであろう。
平凡な世の中で、平凡な人々が平凡に暮らしていてはメデイアにとっては面白くも可笑しくもない。平凡な世の中で、人がびっくりするようなパフォーマンスを演じれば、メデイアとしては自分の存在感を大いにアピールすることができるわけで、バウネット・ジャパンはそれを見越して大きな罠を仕掛けたということである。
そしてそれに関連してNHKと朝日新聞が大論争を展開してくれたので、彼らにとってはこの上ない収穫であったに違いない。
NHKにしろ朝日新聞にしろ、メデイア業界においては巨大な組織なわけで、組織が大きくなればその中には必ず不心得者が紛れ込むが、だからと言って組織ぐるみ排除するわけにもいかず、弱い犬、ないしは負け犬の遠吠えのような批判が続くことになる。
その典型的なものがこの本であって、いくらNHKに対する愚痴を積み重ねたところで、NHKの本質が変わるものではない。
しかし、私としてはNHKがこういう世論に押されて、本来の筋を軟化させることの方が心配でならない。
国民のモノの考え方も、時代の変化とともに大きく変わることはいたしかたないと思うが、低俗な民間テレビに迎合するような変わり方は何とも惜しい気がしてならない。
視聴者の受信料で成り立っているNHKであればこそ、世評とか時流に迎合することのない確たる信念を貫き通す太い心張棒を兼ね備えた組織であってもらいたい。
その意味では、政府や政党や団体の圧力に屈しない、ということは当然であって、そういう意味で真の不偏不党を貫いてもらいたい。
報道の中身に関する批判というのは、日常的にあって当たり前であって、この本で言っている愚痴も、その類の一つであろうが、世間の人は何かと感情論を振りかざして、巨大な組織に歯向かうことに快感を覚えるものらしい。
それを通常、判官びいきと言って、弱いモノ、小さいモノには無条件で同情を寄せるが、それを良い事に弱いモノ、小さいモノが大きなものに対して、無理難題を吹っ掛けることが往々にしてある。こういう時の論理は、全く整合性がないわけで、「風が吹くと桶屋が儲かる」式の整合性を欠いた論理がどうどうと罷り通る。

「あの戦争になぜ負けたのか」

2012-07-31 09:49:20 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「あの戦争になぜ負けたのか」という本を読んだ。
文芸春秋社の新書版であったが、半藤一利、保阪正康、中西輝政、戸高一成、福田和也,加藤陽子という日本の近現代史のそうそうたるメンバー―の対談という形の本であった。
この人たちの本は、それぞれに読んだものもあるので、相対的には知ったことばかりであるが、彼らの見落としていることに、昭和の軍人たちの出自に思いをいたしていない、という部分である。
私の個人的な思考では、人間の発達途上における人格形成には、個々の出自が大きく作用するものと考えざるを得ない。
生まれ落ちた赤ん坊が成人に達する過程で、精神構造が確立するときに、どういう環境の中で育ったか、ということが大きく作用すると思う。
私は学者でもないし、高等教育も受けたことがないので、全く無責任な立場にいて、昭和の軍人の出自を事細かく研究したわけでもなく、あくまでも一般論の域を出るものではないが、明治維新を経た直後の日本軍の将校は武士の出身者が多かっと思う。
武士階級の出だからすべて良し、というわけではなかろうが、少なくとも人を指導するという矜持は心得ていたと思う。
こういう人たちが日清・日露の戦役で実績を上げると、日本全般に彼らに対する評価が一段と挙がったわけで、彼らはその時代のヒーローに祭り上げられた。
つまり、その時代の寵児になったわけで、少しでも覇気のある若者は、その全部がそれにあこがれるようになるのも無理からぬことである。
戦後の高度経済成長の時でも、大学の工学部を出た人間が、当時一番華やかであった銀行や証券会社に流れたのと同じで、何時の時代でも少しばかり学問に秀でた人間は、時流の潮の目を見るに長けている。明治維新でかつての身分制度が全否定されたために、武士階級以外でも軍の将校養成学校に志願することができた。
戦のプロフェッショナルを養成する学校に、身分制度を否定した結果として、農民、商人、職工の中からでも、神童と言われるような才長けた、大人びた、優秀といわれる子供が入ることが可能になった。
これを今の価値観で捉えれば、究極の民主的な手法であり、民主主義のこの上ない実践であるといえるが、その内情はいわゆる玉石混淆で、味噌も糞も一緒くた、というのが現実であったと思われる。
戦後の教育では、それ以前に存在した個人の身分を問うということが厳に戒められたので、その後の世代の人々は、そのことを皮膚感覚で認知し得ず、学問的には空白になっている。
そういう背景のもとで、戦前・戦中の日本軍の立ち居振る舞いを形成したのが、身分制度の崩壊で、味噌も糞も一緒くたになった所為だ、ということを表立って言い切れないもどかしさをうみだしている。
四民平等という美酒の中から、選りすぐりの神童もどきの子供を集めて、その中では完全な職業訓練が施されて、なお悪い事に、その後も陸軍・海軍という枠の中だけで純粋培養がなされたので、視野狭窄に陥ってしまったということである。
四民平等という究極の民主化の結果として、味噌も糞も一緒くたという混沌が生まれたわけで、それはそれでまた新たな問題提起を引き起こすことになったわけである。
こういう人間を、本人も、周囲も、国民も、世間も、日本国中の人々が、立派な軍人として崇め奉って敬意を表してしまったところに、日本が奈落の底に転がり落ちた最大の理由がある。
普通に一般論で考えても、15歳から20歳、25歳、30歳という年を重ねるにしたがって、普通の一人の青年がどういう精神的な変化を経るかと考えただけでも、昭和の軍人の存在そのものが奇異な存在ではないか。
心身共に健全な青年が、青春時代を普通に経過すれば、その精神の進化は驚くほどの変化があって当然なのに、昭和の若手将校には、そういう精神の進化、深化も経験する機会が与えられていなかったに違いない。
昭和の政治指導者の大部分が、軍人出身者であることを考えると、幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校という井戸の中で培われてきたモノ考え方を、どういう風に我々は捉えたらいいのであろう。
こういう事象は軍人の世界だけことではなくて、行政職についても同じような傾向にあったわけで、東大法学部というのが軍人の学校と同じような機能を果たしていたと思えてならない。
私自身も戦後の民主教育の中で育った世代であるが、戦後の民主教育では先の大戦の責任を全部軍人と当時の為政者に追いかぶせてしまっている。
ところが、私に言わしめれば、当時の軍人はその全てが貧乏な水飲み百姓の出なわけで、青年将校のモノの考え方の中には、当時の水飲み百姓、農民の考え方を大きく反映していると思う。
5・15事件や2・26事件という、青年将校の反乱と言われるその青年将校の思考は、当時の民衆、つまり水飲み百姓や零細事業者の考え方を代弁していたと思う。
つまり、彼ら、当時の国民、一般大衆は、戦争をしたくてしたくたまらなかったに違いない。
それだけ世の中が閉塞状況に追い込まれていたわけで、それを打開するには戦争しかない、という気持ちだったと思う。
だから本来ならば、民衆や大衆のそういう拙速で、捨て鉢的で、刹那的な思考を諌め、戒めるべきが教養知性に富んだ文化人という人々でなければならないが、そういう文化人や知識人も、ある意味で人気商売なわけで、大衆や民衆から崇められるような言辞を弄せねば食っていけないので、大衆の本音をいち早く汲み取って騒ぎ立てなければならなかったのである。
つまり、大衆に迎合してイケイケドンドンということになったのである。
昨年の東日本大震災で東京電力の福島第1原子力発電所が被災して甚大な被害を引き起こしたことはなんとも不幸なことであるが、あの原子炉のメルトダウンで日本全国がすべて反原発一色になってしまったことは実に我々の同胞の意気地のない在り様だと言わざるを得ない。
「原子力発電所の事故は今後一切ありません」ということは言いきれないが、一度事故が起きたから「日本全国の原子力発電を全部止めてしまえ」という論議は、あまりにも稚拙で大人げない思考だと思う。
「原子力発電所の事故は今後一切ありません」と言い切れない以上、有る方が良いか、無い方が良いかと言えば、無いに越したことはない。
こういう子供じみた議論を、無知蒙昧な大衆がするのならばまだ考慮の余地があるが、見識の高いであろうと思われる知識人が、無知蒙昧な大衆のちょうちん持ちのような発言していては、その人の教養知性が泣くというものだ。
これこそが大衆への迎合というもので、人気取りあるいはスタンドプレーというものである。
戦前の日本の大衆の中にも、こういう好戦的な思考の人が大勢いたわけで、大衆や民衆が無知ということは、世界中押しなべて普遍的なことであって、日本だけが特別にそうであったわけではない。
政治とか統治、政治家とか為政者というのは、こういう大衆の深層心理を汲み取ることが上手で、こういう大衆を上から抑圧して、私利私欲を肥やすという発想は、近代以降はありえないと思うが、こういう大衆の深層心理に答えることがより良き政治という事ではある。
しかし、大衆や民衆の望むことは、目先の目に見える拙速な利益の追求に走りがちで、戦前の我が同胞の潜在意識も、早急な貧困からの脱出であったと思われる。
その為には滅支膺懲で、中国への進出の容認であったわけだ。
こういう無知蒙昧な大衆に、好戦的な気分を醸成させたのは、言うまでもなくメディアとしての新聞・雑誌であったわけで、それがいわゆる世論というものであった。
民主主義の本質は、「最大多数の最大幸福を追求することにある」ことは論を待たないが、大衆の望むことをそのまま具現化することは、限りなく衆愚政治に近づくことになり、最後は国家そのものが立ち行かなくなる。
為政者、統治者というのは、大衆の潜在意識を考慮しつつ、大衆の望むことと相反する施策を考えなければ、国家の発展というのはありえない。
先の太平洋戦争の経緯を見ても、大衆はアメリカとの交戦を心待ちにしていたが、為政者、日本政府の側は、何とかしてアメリカと戦火を交えることを回避しようと努力を重ねていたではないか。
しかし、そういう状況を踏まえて、当時の日本の軍のトップは、あまりにも世間知らずというか、戦争音痴というか、戦争というものの本質を知らない無知な連中だったと言わざるを得ない。
陸軍士官学校、海軍兵学校というのは、基本的には高級将校を養成する学校であって、軍官僚を養成する場ではなかった筈であるが、結果としてそこを巣立った人たちは、全部軍官僚に成り下がってしまった。
20世紀の戦争は国家総力戦になっていたのに、その国家総力戦という概念そのものを認識することなく、日露戦争と同じ認識でいたわけで、そういう発想はもうこの時点で時代遅れになっていたのだが、それに全く気付いていない。
戦争のプロフェッショナルが、プロになりきっていない。
田舎の町や村の吏員が戦争をしているようなものであった。
海軍でも陸軍でも、トップに近い人たちは、それぞれにいろいろな理由で海外視察もし、留学もしている筈なのに、それが日々の成果に何一つ反映されていない。
終戦の時、私は小学校に上がる前の洟垂れ小僧であったが、わが町に進駐してきたアメリカ軍のジープのヘッドライトを見たとたんに、「これでは戦争に負けるのも致し方ない」と、子供心にも妙に納得したものだ。洟垂れ小僧がアメリカ軍に最初に接して、その国力の相違、すなわちテクノロジーの相違を肌で感じているのに、戦争のプロフェッショナルとしての軍人が、そのことに気が付かないわけがない。
こういう憂いは、戦前の為政者に近いところではお互いに共有していたに違いなかろうが、それが政治の場に具現化しえなかった点を、歴史の教訓として掘り下げて考えなければならないと思う。
当然、海軍や陸軍の内部でもそういう認識はあったに違いなかろうが、そういう認識を声として挙げられない雰囲気が組織を支配していた点に注意を喚起する必要がある。
何故、現実のリアリズムが封殺されて、絵に描いた餅のような空論が当時の雰囲気を支配したのか、という点を掘り下げる必要があると思う。
開戦の時に首相であった東条英機は、そのことによって世紀の悪玉にされているが、彼とても昭和天皇の意を汲んで、御前会議の決定を再考せざるを得なかったわけで、決してイケイケドンドンであったわけではない。
海軍の山本五十六も「1年半しか戦えない」と言っていたにも関わらず、ずるずると3年半も戦い続けたということは一体どういう事なのであろう。
我々、日本人の認識では、陸軍士官学校を出た人、海軍兵学校を出た人は優秀な人という評価が定着しているが、世界の高級将校が日本軍の評価をすると、「日本の兵隊は世界一優秀であるが、日本の高級将校はバカばかりだ」という評価である。
まさしく正鵠を射っている。
それが真実であったればこそ、日本は敗北を期したわけで、日本の軍人、特に高級将校、高級参謀が真に優秀であれば、敗北を期すわけがないではないか。
戦争のプロフェッショナルが、「勝敗はやってみなければ判らない」では、プロフェッショナル足り得ない。
そんなことはバカでもチョンでも言えるわけで、プロである限り、「始めた戦争は必ず勝たねばならないし、勝てない戦争ならば最初からしてはならない」という鉄則を厳に守らねばならない。
我々の過去の歴史の中で、日清戦争も日露戦争も、極めて危ない橋を渡る施策であったにもかかわらず、結果としての答えが勝利だったので、結果オーライというわけで、そこから教訓を学ぶことをしなかった。
いわゆる成功体験からは何も学ばなかったわけで、これならば凡人の振る舞いとなんら変わらない。
それが国民全体に安易な軍国主義を助長する遠因になっていたに違いない。
この本の表題は「あの戦争になぜ負けたのか」という事であるが、率直に言ってしまえば、当時の戦争指導者が、要するに軍人がバカだったの一言に尽きるが、この本の論者の中でも、それをストレートに言っている人は一人もいない。
どこかで同胞としての軍人を庇う心理が作用しているような気がしてならない。
個々の司令官の失敗に言及することはあっても、その失敗の責任の取り方となると、実にいい加減な処置で済ませているわけで、このあたりのモノ考え方が極めて官僚的である。
軍隊のトップが官僚的な思考に陥るということは、日本だけのことではなく、それぞれどこの国でも抱え込んだ難題ではあろうが、そのことによって国が滅んでしまっては何にもならない。
陸軍でも海軍でも、その他の行政府の官僚でも、官吏様、いわゆる今の言葉で言えば国家公務員が、官僚的な立ち居振る舞いをするということはどういう事なのであろう。
彼らは基本的に国民の福祉に貢献するために仕事をしている筈であるが、問題は、此処で言う「国民の福祉」という部分で、「国民」の存在が抜け落ちてしまって、「砂上の楼閣」を一生懸命固めようと努力している。彼らのしようとしていることが「砂上の楼閣」であるから問題なわけで、自分で自分の仕事を作って、その仕事に没頭することが国民への奉仕と勘違いしているように思える。
また国民の側もすぐに国に頼る傾向があって、何でもかんでも国が何とかしてくれることを期待して、口を開けて待っているという塩梅だ。
それで戦争の話に戻ると、ある主権国家が戦争という手段に打って出るについては、勝つことを前提に考えているわけで、それは一つの厳然たるプロジェクトであって、その目的達成のためには用意周到に思考を組立てて、万全の態勢を整えてから取り掛かってくるのが普通である。
軍人が個々の作戦を遂行するときにも同じことが言えている筈で、我が方の作戦の失敗を鑑みた時、果たして事前にそれだけの準備を整えた後に取り掛かった例があるであろうか。
準備が整わない、十分な資材がない、そういう事はする前からわかっているわけで、それでも突き進むという点が極めて官僚的だと思う。
民間の企業ならば、損をすることがわかっているのに進出することはないし、採算が合わないなと思ったらさっさと撤退するし、準備が整わないのに開店するということもないが、これが普通の人の普通の感覚であろうと思う。
ところが軍官僚をはじめとするすべての官僚は、そういう損得勘定というよりも、合理的な思考を、全く持ち合わせていないわけで、決まったことは何が何でも押し通し、負けるとわかっていても、わざわざそこに突き進むということは一体どういう事なのであろう。
官僚がこういう行動に出る、こういう事を推し進める背景は、コストの概念がないからであって、損をしても資金、資材を浪費したという感覚が全くないので、損をしたという感覚が不感症になっているからである。
私が心底不可解に思うことは、終戦工作で、昭和天皇が「ポツダム宣言を受け入れる」と言っているのに、尚も徹底抗戦を叫び、クーデターまがいのことまでした軍人の存在である。
あの時点、昭和20年8月の時点の東京の現状を目の当たりしても、尚、我が方に交戦能力があると信じきっている軍人の存在をどう考えたらいいのであろう。
この時の御前会議では、意見がイーブンに分かれたので、最後に天皇陛下の意見を仰いで決着を見てポツダム宣言受諾となったと言われているが、6人の出席者の中で3人がそれに賛同しなかったと言われている。
この3人は、あの時点においても、尚、我が方の継戦能力があると思っていたのであろうか。
もしそうだとすると、あまりにも現状認識が甘いというか、限りなくバカに近いということになってしまうではないか。
この現実離れした思考を持った軍官僚という存在をどういう風に考えたらいいのであろう。
官僚のモノの考え方の中には、自分のしようとしていることの本質は一体何なのか、という疑問を呈することがない。
ただ言われたことを言われたとおりに遂行するのみで、その上、すべきことを自分たちで作り上げて、自分たちで作り上げた仕事を、一生懸命追い求め、忙しい忙しいとわめいているのである。
その仕事の目的が、誰のための何のための仕事か、ということは問題外で、自分の存在感を誇示するためだけに、しなくてもいい仕事を作り上げて、下々の者に犠牲を強いるのである。
軍のトップ、海軍にしろ陸軍にしろ、あるいは当時の日本のすべての組織には、こういう頑迷というにはあまりにもバカげた、無知蒙昧な人間が大勢いたのであろう。
軍部のみならず、こういう人が高等教育の場にも大勢いたに違いない。
戦後の民主教育を受けた世代の私でも、旧陸士、海兵出身の人は立派な人だ、という定説を真に信じていたけれども、よくよく考えてみれば、日本が戦争に負けたという事実は、彼らがいささかも立派ではなかったという証左でもあったわけだ。
彼らが真に立派ならば戦争に負けるわけがない。

「放送中止事件」

2012-07-30 11:57:47 | Weblog
例によって図書館から借りてきた本で「放送中止事件」という本を読んだ。
サブタイトルには「テレビは何を伝えることを拒んだか」となっていた。
薄っぺらいブックレットである。
昭和の時代から日本のメデイアは基本的にはラジオと活字メデイアに収斂されるが、戦後のテレビジョンの発達は実に目覚ましいものがある。
ラジオでもテレビでも、こういうメディアの発達においては、ハード面がいくら伸びても意味をなさないわけで、ソフト面、いわゆるコンテンツが充実しなければメディアとしてのテレビの発達はありえない。
しかし、そのことを考えると戦後の日本の経済発展というのは実に素晴らしいエネルギーの炸裂だったと思う。
テレビ受像機を作るという意味からも、その受像機にコンテンツを送り届けるという意味でも、我々の先輩は実に懸命に立ち向かったに違いない。
地球規模で眺めれば、今日においても自分の国でテレビが作れない国もたくさんあるわけで、仮に受信機を確保しても、余所の国の放送を聞かざるを得ないということも往々にしてあるわけで、そういう事から考えると、我々は焼け野原でテレビを作り、その中でテレビを見ていたということになる。
日本でテレビが爆発的に売れたのは、今の天皇陛下の結婚という大きなイベントがあって、その有り様を自分の目で見たい、という国民的な欲求があったと言われている。
確かにそれも大きな理由の一つではあろうが、皇室の結婚の模様を自分の目で見たい、という欲求は一体何なのであろう。
皇室の結婚でなくとも、万博の様子であったり、オリンピックの様子であっても構わないが、人々が自分の知らないことを知りたいというのは、生きた人間の根源的な欲求なのであろうか。
古代においては、人々は壁画という形で、自分たちの生活を後世に伝えようとした。
江戸時代の我々の同胞は、瓦版という形で、世間のことを知ろうとし、知らしめようとしたが、メディアの本質はここにあると思う。
人はなぜ知りたがるのか。遠く離れた余所の土地のことなど、あるいは自分とは何ら関係のない外国のことなど、知っても意味がないように思うが、それでもそういう情報を得たいと願っている。
しかし、情報の送り手と、受け手の側では、その欲求が一致するとは限らないわけで、情報の送り手は受け手の思考など全くお構いなしに、何でもかんでも送り届けさえすれば、相手は喜ぶだろうと勝手に思い込んでいる。
情報の送り手と受け手という関係で見た時、今のメディア、特にテレビ業界は、1日24時間近く放送のしっぱなし、いわゆる情報の垂れ流しであって、その中実は全くどうでもいいコンテンツばかりで無駄以外の何物でもないものが沢山ある。
言い方を変えれば、一日中情報を発信し続けているということであるが、人に伝えなばならないほど重要なコンテンツが、論理的にそんなにありうるわけがないではないか。
民間のテレビ局は、その間にコマーシャルを流して、そのことが放送局の収入減ではあるが、一つの放送局が一日中内容の濃いニュースを流しきれないのは当然のことで、その放送時間の大部分が意味もない内容のコンテンツの垂れ流しということに必然的にならざるを得ない。
人間の集団は、放置しておけば、おのずから自己規制というか、して良い事と悪い事の峻別ができあがって、必然的にルールが出来上がり、それを順守しない人間を罰するために法律というものができた。
お互いに気持ちよく暮らすためには、自分の良心に従って、常識の範囲内で振る舞いましょうね、という規範が自然発生的にできるものであるが、それでもそれから逸脱する人間がたまにはいるわけで、そういう人に対しては、法律で個人の我儘を規制せざるを得ない。
テレビ局が1日24時間も電波を発信し続けなければならないともなれば、良心的なコンテンツばかりを流すというわけにもいかず、中には普通の公序良俗に反する内容も含まれかねないということになる。
しかし、どのコンテンツを流しどれを没にするかは、すべて発信する側に主導権があるわけで、受け手には発信されるコンテンツを選ぶ手法は全くない。
外部の圧力があろうがなかろうが、その選択は送り手の側にある。
今日の社会においては、如何なる国でもメディアの存在抜きではありえないが、これも実に由々しき問題だと思う。
先の大戦、第2次世界大戦では、各国ともメディアの扱いには苦慮していたが、メディアも使い方によっては戦果に大きく影響を及ぼすことが実証されたことは言うまでもない。
当然、そこには偽情報を紛らわせるということもあるわけで、報道することも報道しないことも、戦果につながるということを我々も考えるべきである。
先の大戦は、言うまでもなく国家総力戦であったわけで、総力戦というからにはメディアも大きく一枚噛んでいることは言うまでもない。
そのことは同時に、国民の側もメディアに期待を寄せているわけで、メディアの報道に一喜一憂するのもむべなるかなである。
ただこのメディアの報道は一方通行なわけで、送り手の側は如何様にも細工ができて、報ずるのも報じないのも送り手の裁量である。
最近の傾向として情報開示が声高に叫ばれているが、これは情報の受け手の側の根源的な願望なわけで、受け手としては一切合財何でもかんでも知りたい、というのは潜在意識でもある。
そういう意味では今のテレビ界の状況は、何でもかんでも知りたいという国民の潜在的欲望にも十分こたえていると思うが、実際のところ普通の市民が為政者のすべてを真に知りたいなどとは考えていない。
政府、あるいは為政者に何らかの難癖をつけたいと考えている人間が、「国民は」という集合名詞でもって自分の欲求を満たさんがために、そう言っているだけだと私は考える。
そういう情報の受け手としては、何でもかんでも知りたいであろうが、ある目的を持った組織、企業なり官庁なり、団体としては、組織の存立の為に、あるいはその組織の目的達成のために、公にしたならば十分に活動するのに不都合な事柄もあるわけで、そういうものについては知らしめたくないと考えるのは当然である。
いわゆる世の中の人、つまり大衆とか、民衆とか、国民というレベルの人々は、片一方では情報開示を声高に叫びながら、もう一方ではプライバシーの保護を同じ音量で叫んでいる。
言い方を変えれば、情報開示で個人のプライバシーを暴いて、それでメディアとしての糊塗をしのいでいるわけで、これは倫理的に大きな矛盾をはらんでいる。
メディアとはそういう矛盾をはらんだ状況の中で生きているわけで、メディア同士の競争が熾烈になればなるほど、仁義なき戦いになり、その倫理観の矛盾は拡大する一方である。
メデイアの人は、よく「知る権利」などという言葉を振り回すが、知る権利などというものはメディアの側の勝手な論理であって、普通の大衆からすればどうでもいい話である。
普通の社会は統治する側とされる側に分かれているが、統治される側にすれば、自分たちがどういう手練手管で統治されているのだろう、という疑問というか、不信感というか、その裏事情を知りたいという欲求にさいなまれることも十分にありうる。
その時に、知る権利という言葉が出るのであろうが、そういう欲求が出るということは、自分の置かれた状況に、何らかの疑問あるいは不平、あるいは疑義が生じたからそういう発想につながるわけで、統治する側からすれば実に鬱陶しい存在だろうと思う。
太古の昔から、統治される側はする側をさまざまに揶揄しては、それを絵にしたり文字にして溜飲を下げて喜ぶという風潮があるが、それがゆるされている社会は極めて健全な社会である。
いつの世にも落書きとか戯れ歌はあるわけで、その内容は統治する側を揶揄する内容と決まっていて、それがメディアの本質であろうと思う。
統治する側とされる側という立場の相違があって、常に揶揄され、悪口を言われ、批判され、弾劾され、馬鹿にされるのは統治する側である。
どんなに善政を敷いて、国民や市民の生活を向上させても、「あの政治家は立派だった」という評価は極めて少ないし、経済成長をなし、国民の生活向上に大いに貢献した為政者でも、メディア、あるいは国民、市民からそのことで顕彰されることはほとんどない。
一部の人がそういう事をしようとすると、必ず反対意見が出て、それが民主主義の本質と言われているが、民主主義というのは極めて衆愚政治に近いという立派な証拠である。
統治する側もされる側も、お互いに人の子であるとすれば、人のために良い事をした人は、政治家であろうが経営者であろうが、その実績を正当に評価して、その人の名誉をたたえることが極めて普通のことではなかろうか。
その中で、「誰がそういう評価に値するのか」といった場面で、持っている調査能力をいかんなく発揮すべきがメディアなわけで、そういうところで知る権利をかざし、情報公開を迫り、プライバシーに抵触することなく個人の実績を掘り起こすべきだと考える。
ところが従来のメデイアというのは、このベクトルが須らく逆向きに作用して、為政者の足を引っ張る方向にのみ、メディアの神通力を使うように飼い慣らされてしまっている。
いわゆる日本のメディアそのものが、いわゆる護送船団方式で、皆同じ方向を向き、同じスタンスで、同じタイミングで、同じ目標に殺到している。
メディアは権力の監視役だなどと言っているうちは、インテリヤクザの域を一歩も出るものではない。