無心

日記

早稲田大学

2011-09-03 20:09:01 | 日記
大講堂は3階建てで1123席、地下1階は301席の小講堂。外壁のタイルは全部で約19万枚で、信楽風の全て手作りの焼き物である。
7階建の時計塔がシンボルとなっており、大隈重信が提唱した「人生125歳」説にちなみ、125尺(約37.8m)の高さになっている。
外観にはラグナル・エストベリのストックホルム市庁舎(1909-1923年)の影響があるといわれる。塔上の鐘は、
米国ボルティモアのマクレエン社からパナマ運河を越えて運ばれてきたものである。東京都選定歴史的建造物・重要文化財である


會津八一記念博物館は1998年(平成10年)5月,早稲田キャンパスに開館した総合博物館である。博物館が入居する2号館は1925年
(大正14年)に図書館として建造された学内最古の建造物で、設計は今井兼次が担当、大隈講堂と共に東京都歴史的建造物
第一号に指定された。会津八一が私費で収集した東洋美術資料を中心に、近現代美術、考古・民俗資料などが収蔵されている


政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣、農商務大臣、内閣総理大臣、内務大臣、貴族院議員などを歴任した。早稲田大学の創設者であり、初代総長である。早稲田大学早稲田キャンパスには2体の大隈像があり、有名なガウン姿で壮年期の立像は1932年10月17日、
早稲田大学創設50周年と大隈重信没後10回忌を兼ねて作られた。右足を失った後の姿のものであるため、杖をついているのが特徴である。


新校舎のようです。構内には角々にこのような案内が表示されており分かりやすく、有難いです


1938年に商学部出身者の寄附により建てられた旧11号館から、70年以上の時を経て、2009年に新11号館が竣工しました。記憶と伝統を意図、以前と同じ場所、位置に再構築しています。カフェも広く気持ちよいです


大隈重信像の後ろから講堂を見たところです。ヨーロッパ的な風景です


昭和27年は、創立70周年の記念すべき年であった、まず学内には学生が気軽に口ずさめるカレッジ・ソングを希望する声が非常に高まっていた。現代的な感覚を持った応援歌が必要でもあった。これを受けて2つの新作詞が募集された。作曲は前者を新進の芥川也寸志氏が、後者を古関裕而氏がそれぞれ担当。結果、次の2つの新曲が出来上がる。
「早稲田の栄光」(作詞・岩崎巌、作曲・芥川也寸志)「あの眉若人」(作詞・岩崎巌、作曲・古関裕而)
その後も「早稲田の栄光」は、早大生に連綿と歌い継がれ、校歌とともに最も愛される学生歌となった。早大生の心の琴線に触れる、名曲中の名曲である。


南門のサクラ並木・春ともなれば満開で、そぞろ歩きが楽しみです、学生さんがもう帰る夕暮れ時・寂しげな一日も終わりに近ずきました
コメント
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