横田予防医学研究所

現代医学で原因未解明とされている慢性諸病は
今だ本当に解明されていないのか?
その答えを述べたいと思っています。

日本再生論(その13)

2011-04-18 00:47:07 | Weblog
 心臓発作あるいは脳卒中発作の根本原因が、酸性腐敗便の産出・吸収であると解明した私どもの研究成果をこのブログでは繰り返し述べてきました。
 ところが現在は、この酸性腐敗便のことがこれら発作の根本原因であることが盲点となってしまっていて医学界ですら全く気付いておりません。したがって、とくに成人の場合には、発作が起こっても酸性腐敗便に対しての処置が全く行われていないのです。
 すなわち、発作の根本原因である酸性腐敗便は今もなお、発作発症後もお腹の中にほったらかしにされております。そのためその吸収は分・秒単位で刻々と進行し、酸性腐敗便中に産生される中心の有害物質であるタンパク性アミンによる様々の激烈な障害作用は体の各部(ことに心臓あるいは脳)にもたらされる事となります。
 そして、根本原因に対して全く処置せず(処置できず)にいる現在、医療の内容はほとんど対症療法と呼ばれるものにならざるを得ません。したがって言葉悪く言えば、現行の医療では“後始末の対処”がもっぱら行われていることになります。そのため、原因物質の激烈な作用が負荷されたことによる血管系のほころびの繕いをするため、心臓外科あるいは脳外科医のお手を頻度高く煩わせることとなったりしています。また、内科的には血液の凝固あるいは溶解の薬物療法を時宜に応じて適切に行うなどのことが行われています。
 このような根本原因に対する処置を行わずにいる現行の重篤発作医療では当然、優れた治癒成果を望むことは非常に難しく、生命損失の確率は高くならざるを得ないのです。また、このような病人を抱えた家庭の経済的な負担も相当大きなものとなりうるわけです。

 それに引き換え、酸性腐敗便がこれら発作の根本原因であるという私どもの研究成果が広く啓蒙されれば、発作発症の極めて初期に於いて様々な手を打つことが可能となります。
 飲食する際に、予め酸性腐敗便の産出を防ぐよう自らを戒めるよう心掛けることもできます(普段の生活の中で常に食事に際して気を使う事は困難であるのが実状でありましょうが、特別な食事〔例えば、冠婚葬祭など〕に際してだけでも注意を払うことは可能だと私は思っています)。また、酸性腐敗便の産出・吸収を知らせるごく軽度の自覚症状の発生に対しても、その症状発生の真の意味が理解できれば、速やかに対処の処置を行うなどのことも可能となります。さらに、症状が極めて重篤なものとなる前でも、適切な処置を個人的乃至家庭内で行う事も可能となります。
 このような処置が可能となることにより、このようなケースでの救急車による搬送を大幅(1/2~数分の一)に減らすことは十二分に可能だと私は確信しています。

 なお、私のこのような記述は、医師でも無い素人が勝手にこのような処置を行う事は非常に危険なのではと考える方が必ずやおられるであろうと私は想像するのです。
 ただ、発作初期に於いては、症状も極めて軽度でありますので、あわてる事無く落ち着いて処置を行う事ができますし、このようなことを行う事に伴う危険性はまず生じ無いと私は考えています。また、例え極めて激烈な発作で、下手に手を出したりするともしかしたら患者を殺してしまうことになるのではと感ぜられるような(患者の体が激しい痙攣を生じ、顔は苦しさに醜く歪み、顔色も普段とは大違いの暗紫色に変色した)場合に於いても、酸性腐敗便に対する適切な処置が家人(あるいは、バイスタンダー)によって行われるべきだと私は考えているのです。
 何故ならば、例えこのような発作患者が救急車により極めて速やかに病院に搬送されても、現行の医療に於いて病院では医学界ですらこれら発作の原因が未解明であるとしておりますため、酸性腐敗便に対する処置は行われていないからです(原因を放置したままの医療は当然成果が上がりません。したがって、たまたま酸性腐敗便の産出の度合いが軽度であったとか、患者の体力に余裕があったなどの幸運が重ならない限りは、このような発作を起こした患者を現行の医療ではたいていの場合助けられないのです。また、例え生命を助ける事はできても、重い後遺症が残るなどの禍根を生ずることが起こり易いのです。しかし、病気に対するこのような〔極めて消極的な〕対応が医療だと思い込んでいる人が現在は圧倒的に多いようです。従来通りのままを続けることは楽かも知れないのですが、一般の人はもとより、医師の人々の中にも何かもっと優れた治療手段は無いものかと、その出現を強く心待ちにしている者は数多くおられるはずだと私は強く確信しています)。さらにまた、酸性腐敗便に対する処置は、その技術の上手・下手などということよりも、可及的速やかに行うという事が何よりも遥かに最優先されるべき性質のものであるからです。
 例えもしその結果として、その患者が亡くなられるなどの思わしく無いものになったとしても、このようなことが行われなければ重篤な発作患者の生命を救う事は不可能なのです(この私どもの言葉が事実であることを、医学関係者には良く追試確認して頂きたいと強く私は願っています)。したがって、その処置の行為を行った者が法的に罰せられるなどは、とんでもないことであると私どもは結論しています。(続く)