古い言葉の教えに「四体の心」があります。
一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。
二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。
間違った言動を恥ずかしいとする心。
三体の心に「辞譲(じじょう)」 がある。
人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。
四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。
この「四体」の心を
もたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。
この言葉に自信があると答える人はそうは
いない。私は二体と四体が充分できません。いつも過ちを神に謝罪している。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。
「心外無別法(しんげむべっぽう)」という言葉があります。
幸福や不幸というものは、何かの形で現れるものではありません。
それは、心のもようで変わるもの。
つまりは感じるということ。
不幸になるというのではなく、不幸だと感じる。
すべての現象や存在は、自らの心によって起こるもの。それを「心外無別法」といいます。
不幸にならないためには、それを不幸と感じないことと説いています。
「すべて、あなたの心が決めているのです」
人は苦悩をとおして、真の歓(よろこ)びを知るようになる。苦難を乗り越えた人には人の痛みが分かり、人の喜びが分かる。強さの中に優しさができる。辛い哀しいことがあったから、幸せのありがたみが分かる。どん底を知ると怖いものがなくなる。いろんな人生を送った人は、すべてが幸せに通じるものと感じるものです。不幸だと思わないことが、不幸にならないことなのです。
夏目漱石の「三四郎」の上京する列車の中での有名な言葉。「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より頭の中の方が広い。」ひとりひとりの頭(心)の中は無限大と述べています。
そして、夢も無限大です。私の頭は宇宙の空を飛び回っています。
さあ小さな悩みなど忘れて無限大の頭になりましょう。
私にとって「幸せとは」
・何かに打ち込んでい る時。
・人の役に立った時。
・現状に満足してそれ以上望まない時。
・現状に満足できずに新たな挑戦をする時。
・自分自身が何者であるかを知った時。
・たくさんの愛にめぐりあった時。
・何気なく幸せを感じる時。
幸せとは心の中から湧き上がるもの。これを「至福感」というのだろう。
今日コロナワクチン接種しました。あまり痛くありませんでした。二回目は来月です。医療従事者としてお年寄りと同時に受けました。私はボランティアで特別老人施設、有料老人ホーム、デーサービスなどに書道教室に行くのでワクチン接種は必要です。ストレスがたまったお年寄りの息抜きになる時間を提供しています。400人位かな。皆さんの笑顔が見れて幸せです。