生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

生きる勇気

2024-06-07 23:27:55 | 日々の暮らし
わ江戸時代の元禄文学の三大文豪に、芭蕉・近松・井原がいます。
井原西鶴の「好色一代男」に「死なれぬ命のつれなくて、さりとは悲しくあさましき」があります。
毎日毎日が辛くて、死ねるものならいっそ死んでしまいたいが、死のうにも死ねないせつなさは、まことに悲しくも浅ましいという意味。
人間はひとたび生まれてきたからにはどのような思いをしても、どんなに大きな障害が待ち受けていても、死ぬまで生きなければならない。
なぜなら生命は貴重なものだから。
どうぞ、愚痴ばかりでなく、心は生きる力の言葉を発してください。
必ず導きがありますから。
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袖振り

2024-06-07 01:13:48 | 日々の暮らし
古代に流行っていた袖があります。 現代では別れの時は、 さようなら! と手を振りますね。
しかし、万葉集を読んでいると、万葉の頃は 袖(そで)振りというようです。
「白波の 寄そる浜辺に 別れなば いともすべなみ 八度(やたび)袖振る」
(大舎人部祢麻呂・おおとねりべのねまろ)

白い波が寄せる浜辺で別れてしまったら、もうどうしようもない。 だから、何度も、何度も、何度も、何度も袖を振るのです。
栃木県足利市の大舎人というひとが、防人(さきもり)として九州に派遣されて旅に出る途中に詠んだ歌。
きっと恋しい人と、いつ会えるか分からない 別れの歌なのでしょう。
万葉の頃の袖は、手よりも長い筒袖でした。 「袖を振る」とは、人の魂を鎮(しず)めたり、親しい人に自分の気持ちを伝えることができると信じられていたようです。
袖振り合う仲というのでしょうか。
愛してるよ!
の気持ちが込められて いたのでしょうね。
古代の袖振り、現代の手を振る。
どちらにも気持ちが込められているのです。

皆様にも袖振ります!
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